いてもたってもいられず、13日早朝災害ボランティアへ登録し、山田町の被災地へボランティアバスで向かいました。
いったい現地の実情はどうなっているのだろう?私が出向いて役に立つ事があるのだろうかと不安でいっぱいになりながらのバスの3時間。
乗り合わせた人たちは県外の方も乗っておりました。
「熊本から来ました」「三重からです」「会社を休んできました」作業着をまといリックを背負い、スコップ片手に遠くから支援に来て下さった方々には本当に頭が下がるばかりです。
この日は風速20メートル以上の風が吹き荒れ、ガレキと化した街並みに粉じんが激しく舞い上がり続けます。
すべてを流され、一面土台しか残っていない地帯。
命も建物もすべて、「有る」か「無い」かのどちらかにしか分けることができない現実。
乾燥しきった強風にさらされながら、それをいやおうなしに知る瞬間。
寝たきりの高齢者ら入所者97人中75人が死亡・行方不明になった介護老人保健施設「シーサイドかろ」の近くの民宿が私たちの活動場所でした。
あまりの惨状に、感情が停止し、何も感じなくなってしまっている自分に戸惑いっぱなしの私。
お互い言葉少なに現場へと向かいます。
何ができるのだろう?
どこまでできるのだろう?
3.11までの暮らしの証をどこまで集められるだろう?
泥の中から一枚の写真。
「ああ、ついこの間来て下さったお客さんたち・・」
なつかしそうに見つめるおかみさん。
いくらやっても進んでいる気がしない作業。
それでもやり続けなければ・・・
私たちに出来る事は何だろう?
考え続けながらガレキの撤去作業を続けた一日でした。
ここに来るまでは被災者の心のケアを気にしていた私でした。
だけど、この惨状に立ち、思う事は、ひとつ。
まず、これを片付けなければ始まらない!
被災者の衣食住の確保が第一優先!
何もかも先が見えない事が心を痛ませているのだから、
先が早く見えるようにするためのお手伝いが先決です!
と、私はつくづく感じました。
今一番必要なのは復興労働力。