満開の桜の下すくすく育っているまごちゃん、送られてくる写メールが今の私の元気の素。
何度も言いますが、この子たちの未来のために今を頑張りたいと強く思うばあばです。
関西広域連合の和歌山県は岩手県を懸命に支援して下さっております。
本当に感謝の気持ちでいっぱいの中、このご縁に私はとても驚いております。
まごちゃんのじいじとばあばは和歌山と岩手にいるのですから!
どんな小さな事でも今できる精いっぱいの事をしよう、
そんな思いの日々の中、和歌山と岩手を「つなげる」プロジェクトの提案が舞い込んで来ました。
今こそ・・・私の出来る限りのチカラを振り絞ってまごちゃんのように「鎹(かすがい)」になろう、
そんな思いでつい熱くなる私の口調にも快く賛同して下さる方も見つかり、プロジェクトは動きだしました。
早く、とにかく早く、再生の手がかりをつかまなければ、そして、ダイレクトに被災地へその成果を届けたい、その思いだけでいっぱいです。
わが家の庭で2番手の開花は山すみれ
いつもの年より多く咲いているような気がします。
「今年は絶対健康診断受けろよ~」ときつく主人に言われ、(娘たちからもずっと言われ続けていたことですが)めずらしく素直に受けようと思っているひとつ歳をとったばかりの私。
病院に行くほどの事も長い事起きずに過ごすことが出来ておりました。
だから余計に病院に行くのがおっくうになっておりました。
でも、自分のためにではなく、家族のために行くのもアリだなって思い始めました。
今回の大震災は家族の絆を強く感じた出来事でした。そしてどれだけ家族の絆の中で生かされ生きているかをあらためて確認する機会でもありました。
おそらく・・多くの人が同じ思いで3.11以降を過ごしているのではないでしょうか。
だから、私は健康診断をきちんと受ける事にしました。
あの日以来どういじってもどうにもならずおかしくなったままのパソコンの無線ランが数日前の大きな余震の後すっかり回復してしまいました。
あれほど、あれこれいじっても元にもどらなかったのに、ずっこけたり、しゃんとなったりで、落ち着きのないパソコンはやはり持ち主に似て来るのでしょうか(笑)
キミも健康診断必要だねぇ
いてもたってもいられず、13日早朝災害ボランティアへ登録し、山田町の被災地へボランティアバスで向かいました。
いったい現地の実情はどうなっているのだろう?私が出向いて役に立つ事があるのだろうかと不安でいっぱいになりながらのバスの3時間。
乗り合わせた人たちは県外の方も乗っておりました。
「熊本から来ました」「三重からです」「会社を休んできました」作業着をまといリックを背負い、スコップ片手に遠くから支援に来て下さった方々には本当に頭が下がるばかりです。
この日は風速20メートル以上の風が吹き荒れ、ガレキと化した街並みに粉じんが激しく舞い上がり続けます。
すべてを流され、一面土台しか残っていない地帯。
命も建物もすべて、「有る」か「無い」かのどちらかにしか分けることができない現実。
乾燥しきった強風にさらされながら、それをいやおうなしに知る瞬間。
寝たきりの高齢者ら入所者97人中75人が死亡・行方不明になった介護老人保健施設「シーサイドかろ」の近くの民宿が私たちの活動場所でした。
あまりの惨状に、感情が停止し、何も感じなくなってしまっている自分に戸惑いっぱなしの私。
お互い言葉少なに現場へと向かいます。
何ができるのだろう?
どこまでできるのだろう?
3.11までの暮らしの証をどこまで集められるだろう?
泥の中から一枚の写真。
「ああ、ついこの間来て下さったお客さんたち・・」
なつかしそうに見つめるおかみさん。
いくらやっても進んでいる気がしない作業。
それでもやり続けなければ・・・
私たちに出来る事は何だろう?
考え続けながらガレキの撤去作業を続けた一日でした。
ここに来るまでは被災者の心のケアを気にしていた私でした。
だけど、この惨状に立ち、思う事は、ひとつ。
まず、これを片付けなければ始まらない!
被災者の衣食住の確保が第一優先!
何もかも先が見えない事が心を痛ませているのだから、
先が早く見えるようにするためのお手伝いが先決です!
と、私はつくづく感じました。
今一番必要なのは復興労働力。
今私が出来る小さな作業として牛乳パックを使った募金箱を数個作りました。
ひとつひとつ心をこめて作りました。
今月末までいろんなところに置かせていただきます。
そして明日は山田町へボランティアに向かうことになりました。
お誘いの電話をいただきその場で即効行くことを決めました。
出向している会社や主人には事後承諾でしたが、快く許してもらいました。
早朝の出発につき主人には私の代わりに朝の交通安全指導に立ってもらうことにもなりました。
クッキリと「交通安全母の会」の印の入ったパーカーを見て、
「母の会って女の人だろう?オレでいいのかなあ」
「いいの、いいの、母の会でも、父でもいいの」半ば強制的に押しつけてしまいました。
(厳密に言えば、じいじとばあばですが(笑))
震災後初めての沿岸行きです。どれだけお役に立つか解りませんが、少しでもお手伝い出来たらと思いながら、軍手、ゴム手袋、カッパ、とテーブルに並べる夜。
ただひたすらボランティアセンターから指示された作業に専念して来るつもりです。
まごちゃんの日曜はお花見ランチの様子が送られてきました。
そうかあ、関東はもう桜の季節なんですねぇ。
悲しい事やつらい出来事はいっぱいあるけれど、そんな中でも季節を楽しむ心を忘れずに過ごしたいものです。
地域の経済復興に少しでも貢献したいと外食推進運動中のわが家です。
延期になっていた父と誕生会と私の誕生会を兼ねて、食事会をしました。
「なかなか俺は歳をとれないなあ」
と、おとといの震度6弱の余震でまたまた延期になってしまうのかと不安一杯の父でしたが無事に開催。
日本経済の沈没を防ぐためにも日常の行事は自粛するより積極的に行動を起こすべきだと考えております。
この普通の暮らしができる事への感謝の気持ちを決して忘れずに。
平成23年2月より高齢者運転標識いわゆるシルバーマークのデザインが一新、
父の誕生日プレゼントはこれと決めておりました。
それにしても、このマーク付けている車を今だ見た事がないのです。
70歳以上の者は、「加齢に伴つて生ずる身体の機能の低下が自動車の運転に影響を及ぼすおそれがある」場合には、この標識をつけて普通自動車を運転するように努めなければならない。と、道路交通法は定めているのだそうです。
でも、これは義務ではなく、「努力義務」であり違反しても罰則はないのだそうで、なんだか、あいまいですねえ。
あいまいだから誰もつけないのかなあ。
70歳以上は運転していないとは思えないし。
83歳の父には車を運転して欲しくないと家族全員が思っております。
そしてそれを伝える努力もしております。
でも、父は運転をやめようとはしません。ムリに車から離して、行動範囲を制約してしまう事が彼の精神状態を老化させてしまうという不安もあるので、強くは言いきれずいつもそのジレンマに悩んでいる私です。
「必ず、このマーク付けてね、お願いね」
どうか、父がこれからも世間の皆様にご迷惑のかからない優良運転手でありますように。
わが家の停電を救ってくれたのはこの直径8センチもあるメモリアルキャンドルでした。
安定感もあるし、安全だし、とても役に立ちました。
娘が結婚式の時にホテルからいただいたキャンドルがまさかこのような形で家族を明るく照らしてくれるなんて思ってもいませんでした。
このようにいつ何が役立つかわからないと思うと、断捨離決行宣言してもなかなか片付かないのです。
数年に一度使うかもしれないのでそれをしまっておくべきか、数年に一度しか使用しないのだから片付けて部屋をすっきりさるべきか、私の価値観を問われる毎日です。
実家にも・・・
なぜこんなにあるんだろうと不思議に思うほどのお鍋や食器類。
新品のまま何十年も小屋に入っているものもあります。
それでもどんなに古くなっても壊れてしまわない限り使い慣れたものの方が良いのです。
お鍋ひとつでも取っ手がカタカタしてきても使い続ける私です。
小屋の奥から「どなたかのお役に立ちた~い」と叫んでいる声が聞こえてきます。
4月7日23時46分、余震と言う名の大地震がまた起きました。
わが家の付近は震度6弱、そして再び停電。
大揺れの中で一番心配したのがこの愛するベティ。
パニックになって大騒ぎする大きな身体を必死で抱き包み(私がしがみついているようにしか見えないのですが)「大丈夫、大丈夫」と耳元で話かけます。
地震がおさまってからもしばらく、彼女の腰から後ろは小刻みに震え続けているのでした。
ぷるぷるふるえて上手く歩けていないようにも見えます。
彼女自身どうしたらよいかわからないのです。
夜中でしかも停電とは言え、一緒に居る時でよかったと私と主人は思うのです。
(ベティはなかなかそうはいきませんが)
人は経験で学んだ事を自らが冷静になるための糧にします。
翌朝の多くの人たちの行動を見てあらためてそれを実感しました。
いつも通り集団登校の子供たちを見送るお母さんたちに
「小学校からの連絡はあったのですか?休校とか・・」
「いいえ、何も。学校もそんな余裕もないでしょから、普通通り登校させました。ダメなら帰してよこすでしょう(笑)」
このおおらかさ、そして、地震の話題は一切出て来ません。
近所のコンビニに朝の缶コーヒーを買いに寄りました。
いつもより混みあってはいるのですが、その停電の店内で見たものは、お弁当が叶わなかったお父さんらしい人たち数人がお弁当をひとつ持って並ぶレジ。
さすがにパンは売り切れておりましたが、少なくとも私が店内にいる間は必要以上の買い込みをしている人は誰もおりませんでした。
「温められませんがよろしいですか?」
「ああ、全然かまわないよ」
うす暗い中、電卓で料金を打ち出す店員さん。
あわてることも無く列を乱さず並んでそれを待つお客さんたち。
この普通すぎる光景に感動してしまいました。
信号が全くつかない朝9時の主要道路。
車はかなり走っているのだけれど、あれ?いつもより渋滞が無い・・
みんないつもより減速で走っております。
これが逆に渋滞を起こさずにすんでいるようなのです。
いつか、テレビで40キロ走行を全員が守ったら絶対渋滞は起こらないとどこかの大学の先生が言ってたっけ。
交差点に及んではありえない程完璧な譲り合い。
だからどの路線も渋滞が発生していないのです。
みんなが譲り合い精神を持ち続けたら、信号は要らないと確信しました。
この街並みのすべてが今停電状態になっているなんて、信じられない程普通に行き交う車と人。
何事もなかったように出勤する人たち。
おしゃべり交わしたり、携帯さわりながら登校する学生たち。
経験による冷静さなのだと思います。
実は私はこの停電という不便さを得て、被災地の人たちの不便さのほんの少しでも共有できてるような気がして私自身の中では心の安堵感さえ覚えていたのです。
こんなに普通でいられるのはもしかしてみんなも同じ感覚があるのかしら?
そんな思いもうつろに浮かんでくるような朝。
そして・・・
ブレーカーを下げっぱなしにしていたのをすっかり忘れ、通電したのも知らずに停電の夜対策を始めていた私は娘からの電話で通電から2時間も遅く電気のお世話になり始めたのです(笑)
気が付いたのは夕方。
わが家の一番乗りの姫水仙がぱっと咲いていたのです!
今日の暖かさで一気に花びらを広げたのでしょう。
可憐な花たちは私に言いました。
energyを集めて!
ひとりひとりのenergyは小さいけれど、
集めたら大きなenergyになるのだから。
避難誘導の途中で犠牲になった警察官を息子さんに持った父の友人の元へ。
そして、言葉少ない喪服の父と遅いざるそばの昼食。
「ひとり息子でなあ・・・ずっと泣きっぱなしだった・・・」
お互い言葉も見つからずただ静かに冷たい蕎麦を口にする父と私。
そんなずっしりとした気持ちで帰宅して最初に目に飛び込んできたのがこの姫水仙。
可憐な花たちは私に言い続けます。
energyを集めて!
ひとりひとりのenergyは小さいけれど、
集めたら大きなenergyになるのだから。
この小さな花が私に道しるべを示してくれました。
小さな事からはじめればいいんだ、ということを。
あまりにも大きな出来事を目の前にしてそれに見合った事をしようとするから苦しくなってしまっているのにあらためて気が付きました。
大きな岩を動かそうとしないで、足元に落ちている小さな小石を拾い集めるような、そんな行為でいいのだと。
私も小さなenergyでしかないのだから。