田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

爆弾強風に感謝

2008-01-24 22:32:57 | Weblog
1月24 日 木曜日 晴れ
●風が強かった。テレビで爆弾強風という言葉を学んだ。どうもわたしには馴染めない言葉だ。季節風とか。男体颪。とかだったら情緒があるのだが。爆弾はいただけない。

●橋の上は風が強かった。ワイフが風にあおられてとばされそうになった。わたしの手にすがった。うれしかった。ワイフと腕を組んで歩くなんてひさしぶりだった。

● ワイフと恋を語ろうと思う。純粋にスピリチァルな世界でのむすびつきだから
これからの、老人の愛は神の領域にふみこむことになるのではないかとすら思っている。会話が一番楽しいということになる。会話術というような本がすばらしく売れているらしい。ワイフとの会話がすごく楽しい。

●毎日が楽しい。この感情は恋人との関係だ。ワイフがまた新たな恋人となり、もうひとつの人生をやっとはじめたという感じだ。


あら、雪が……

2008-01-23 14:14:01 | Weblog
1月23日 水曜日 霙
●朝ゴミだしをすませて二人でゆっくりと石塀に沿って歩いていると「あら、雪が……」とワイフがいった。妻がいった。いつものようにカミサンがいった。女房がいった。家内がいった。代名詞ひとつでずいぶんと文章の雰囲気がかわるものだ。とうぶん、ワイフにしてみようかな。

●雪は雨がまじって霙になったり、雪にもどったり雨になったりめまぐるしく変化しなから午後までふりつづいている。いつもの冬であったらまちがいなく雪が降り積もっている。今年の冬は暖かだからこういう降り方になっているのだろう。寒くないのは老いの身にとっては助かるが農作物への影響はどうなのだろうか。

●ワイフは息子から「礼服」をおくってもらいたいという電話をもらい荷造りに余念がない。友だちのお父さんが危篤状態とのことだった、その話をしながら息子を思い荷造りをしているワイフを眺めながら、ああ、母親なのだなぁ、女親にとったら子どもはいくつになってもこどもなのだと思った。わたしなど息子と一献酌み交わすことばかり考えている。

●でもワイフはいつになっても恋人だ。そしてわたしは、永遠のあなたのボディーガードだ。長生きしょうぜ。

●「あら、雪が」といって空を見上げたときのあどけないあなたの横顔が美しかった。


町が寂れる

2008-01-22 13:02:42 | Weblog
1月22日 火曜日 晴れ
●寒い日がつづいている。庭木に小鳥がきて鳴いている。どうやら、ツバキや白モクレンの蕾を食べにくるらしい。あたりに林がすくなくなったせいか、わが家の数本しかない庭木をたよりにとんでくるようだ。裏に小高い山があるのだが、竹林になっている。山の樹木を育てても営利的にはなりたたないとのことだ。こまったものだ。

●自然のバランスだけではない。学生も成績のいいこと、悪い子の差はますますひろがるいっぽうだ。成績が悪いだけなら最近ではおどろかなくなった。街を歩いていても、少年犯罪予備軍みたいな行動にでているものをみうける。あまり具体的には書けないが心配だ。

●わたしが自然の風雅をたのしみ生きがいとしてきた田舎町が荒廃していく。なんとかならないものなのだろうか。

トマソン教師の休暇

2008-01-21 20:24:16 | Weblog
1月21日 月曜日 晴れのち曇り
●喉の粘膜が腫れた。痛みはないのだが、体が砂袋になったみたいに重い。年のせいか自然治癒力がよわくなっている。これくらいのだるさだったら若いときは放っておいても一晩ぐっすり寝れば治ったものだ。楽をしていれば自然となおったものだ。晩酌でもすればなおさら回復ははやまった。

●しかたなく、ペンザブロックL 錠を飲むとカザ薬を飲むと眠くなる。ホリ炬燵でうつらうつらしながら小説のストーリを考えた。楽しいひと時だ。何本も悪い癖で同時に書いているからストーリが混線してしまうこともある。いままでは小説の筋はあまり考えないで書いてきた。文章だけに気をくばった。これからはそうはいかない。読者はストーリにきょうみがあるのだ。エンターテイメントの作家をめざすからには、おもしろい話を書きたい。このおもしろく書くのはむずかしい。

●小説を書いているとブログにいつも書く。でも近作はまだ披露していない。このブログを5月までつづけてなんらかの成果がみられなかったらどうしょうか。このブログに小説を発表していくことにしている。書くからにはみなさんに読んでもらいたい。そのときになって、なあんだ、このていどのものか、といわれないためにも精進している。

●どうなっていくかわからない。いい小説を書けるようになるのか、もういくら精進してもこのへんが限界なのかわからない。じぶんの人生のストーリすらまだ見えてこない。だからおもしろいのだ。

●のどの腫れがひいてきたようだ。あすからまたがんばります。


トマソン教師の憂い

2008-01-20 18:22:46 | Weblog
1月20日 日曜日 晴れ
●日曜日だが塾の特訓をした。その後、塾生を誘って宇都宮餃子館まで餃子をたべにでかけた。「すきなものをたべていいわよ」とカミサンが彼らにいっている。

●わたしは特訓を休んでしまい、いまここにいない、S 君のことを思っていた。このプランをたてたときいちばんここに連れてきたいのは彼だった。受験勉強のプレッシャーに耐えきれずこのところ口もきかなくなってしまった。

●この町の教育現場に身をおくこと43年になる。東京オリンピックでは県の通訳をした。それが通訳としての最後の仕事だった。それいらい、ずっと教壇に立ち続けている。あれからこの町のとくに英語を勉強する生徒もずいぶんとかわってしまった。

●英語と国語の勉強が嫌われている。努力すること、がんばりぬく精神か希薄なのだ。悲しい。なんとかならないものかと、こちらは必死で教えようとする。生徒はますます逃げる。しまいには教室で眠ってしまう。S 君がそうだ。中3になってから入塾した生徒だ。基礎的なことがぜんぜんわかっていない。中二のクラスにもダブって出席していいから。ということで励ました。下級生のクラスは嫌。出席したくない。たしかに上級生としてのメンツがあるのだろう。心ないことをしたと反省した。それでは、一対一で教えるからといっても、拒絶された。

●うてるだけの手はうった。あとは食事でもしながら心の緊張をもみほごしてやるほかはない。それで立てた計画だった。S 君はこなかった。この日の特訓と食事会のことは、家のものにはいっていないのだろう。

●教師としての無力感に泣きたくなる。現実はテレビドラマの学園青春もののようには展開しない。もっと暗いやりきれないものだ。S 君がすわっているべき席をじっとみつめた。ああ、ここに彼の笑顔があったらな。なんともいえないやるせなさにわたしは、苛まれていた。

●「ごちそうさまでした」生徒たちの元気な声もうわのそらできいていた。


トマソン教師の嘆き

2008-01-19 03:51:29 | Weblog
1月19日 土曜日
●昨日、トマソンのことを書いた。多数のかたのご訪問をいただき感激している。わたしは、白夜書房刊の『超芸術トマソン』赤瀬川原平著を読んだころは西早稲田に住んでいた。白夜書房の前もよくとおった。鶴巻南公園内の樹木が痴漢がでても見通しが利かないからという理由で切られた。ごろごろ切り落とされた太い枝を見てこのまま放置すればトマソンだぁ、なんて見当違いの理解をしていたことを思い出した。

●正月に東京から中学二年生の孫娘がきた。英語の勉強をすこしだけみてやった。この子が将来どんなに立派に成長してもはじめて英語を教えたのはわたしだ。「オジイチャンに英語教えてもらっていて、よかったよ」といってくれる。うれしい。見ると筆記体で書いている。

●わたしはいまでも筆記体を教えている。別にブロック体でもいいのだが、学校ではまったく筆記体を教えていない。教えてはいけないということなのだろうか。それで筆記体を読むこともできなかったら将来こまるだろうということで、教えている。もちろんブロック体も教えてはいる。これはほとんど教科書の活字体をみればそのとおり書けばいいようなものだから、教えることもない。と考えている。

●ところが筆記体を教えているから悪い塾だ、なんていわれている。孫娘にきいたら筆記体でも、ブロック体で書いてもどちらでもいいの。という返事だった。うれしかった。東京でも公立校では筆記体は教えていないのだろうか。

●テレビをみていても外人教師のブロック体の文字のなんと稚拙なことか。だいたい文字に美学があるというのは漢字を書く民族固有の意識なのかもしれない。

●板書の漢字やかな文字の美しさにこだわる。流れるような英語の筆記体にこだわる。

●そんなわたしはトマソン教師なのだろうか。

●浅田次郎の小説を読んでいた。『テイファニーで朝食を』教材にした外人教師の話が出てきた。おもしろかった。わたしも高校生のとき同じような経験をしている。
長い文章を読むこと。都合によったら短編を原書で読むといい。なんて今の高校生にいっても納得してもらえない。空欄に単語をチマチマ、セカセカ埋めたり、記号で答えたりどうなっているのだろう。マークシート方式の英語の問題を見ると、長文が細切れにされているようで哀れをもよおす。受験英語だけを教える教師にはいまだになれない。

●だからわたしはますますトマソン教師だ。


わたしは町のトマソンだ

2008-01-18 10:18:47 | Weblog
1月18日 金曜日 晴れ
●いつのころからか、起きるとすぐにthermometerに目をやる習慣がついた。頭髪がうすくなった。冬はニット帽をかぶらないではいられなくなった。そのころからだと思う。かれこれ10年ほどまえだろう。

●今朝は室温1度。寒かった。可燃ゴミの収集車のくる日なのでカミサンとふたりで黄色のplastics袋に三日分のゴミをつめこむ。ふとみると裏の流し場においてある木製の樽に氷がはっていた。かなりの厚みがある。いよいよこれは本格的に寒くなってくるぞとふたりで話し合った。

●寒さには慣れている。小学校は、頭に北がつく、北小学校だった。男体山を見る北の方角に向って黒髪颪にふかれながら登校した。あれがよかったのだろうな。戦時中のことだからたいした防寒対策もしていなかった。なにを着ていたのか記憶にないが毛糸のセーターなどではなかった。ともかく薄着だった。食べ物もなかった。いまの小学生に話してもとても信じてはもらえないだろう。

●その、男体山はいまも形はかわっていない。かわったのは、人間社会だ。まさかデジカメで男体山を被写体として撮り、ブログに載せるさわぎをしているとは、おどろきですよね。じぶんのしていることが、往時をふりかえるとシンジラレナイ。

●「あの、幸橋いつこわされるのかしら」
カミサンがカメラをかまえてカシャっとシャッターの音をたてる。撮る。あれを橋というのだろうか。帝国繊維の女工さんが行き来した橋だ。K川の上にかかってはいる。わたしはあの橋のことを小説に書いた。両側の階段が切り離されている。橋としては機能していない。トマソン橋だ。いまでも超芸術探査本部が健在なら『超芸術トマソン報告用紙』をおくってもらって登録したいくらいだ。この古い町にはトマソン物件があふれている。はやいはなしわたしもそうだと認識している。この町にとって、わたしはまちがいなくトマソン人間なのだ。トマソンに関しては検索でおしらべのほどねがいたてまつります。

●男体山は今日も気高くそびえている。


ブログの不作は小説の豊作

2008-01-17 06:46:51 | Weblog
1月17日 木曜日 
●むかし、志賀直哉の、たぶん『暗夜行路』ではなかったかと思う。ともかく60年も前に読んだ本だからまちがっていたらゴメナサイ。乳房を手で愛撫しながら「豊年だ。豊年だ」と主人公が呟く場面があったように記憶する。これも豊作だったかもしれない。あの本は、同人誌『現代』をやっているときに手放してしまった。いまはノンフィクション作家として有名な柳田邦夫さんの、お兄さんが古本屋さんをやっていて、百冊ほど無理をいって高く買い取ってもらった。(そのお金で和文タイプライターをかった)その中の一冊なので、調べようがない。がらんとした本棚をみてカミサンがはらはらと涙をこぼしたのを今でも覚えている。43年も前のことだ。

●すべての情景が古い写真のようにセピア色にかすんでいる。その同人誌も惨憺たる結果で解散となりすべては徒労におわった。思いだすと、今はわたしが泣きだしたくなる。

●前置きがながすぎました。本題です。このところブログに元気がありませんね。と会う人ごとにいわれる。はげましの言葉をいただいている。

●ブログが痩せている。不作である。そういうときは、ご安心ください。小説のほうが豊作です。具体的には月に三百枚ほど書けるようになってきました。これなら、営業してもやっていけそうです。営業ということは、まさかこのGGのはげ頭を編集部に行ってさげても、若い編集者をゾッとさせるだけだろうから、投稿するということにとどまるでしょうが。

●このブログは老文学青年が、青年といっても、もちろん精神的にといつた意味合いですが、はたしてカムバックできるかどうかということを記録しているものです。

●だから泣きごとなども書くことがあります。ついに矢尽き刀折れて敗残のままにおわるかもしれません。毎日、文学ぶんがくブンガク。ショウセツしょうせつ小説と囀って生きています。堅苦しい亭主です。これでよくカミサン逃げださないと、まあ、感謝しています。

●このブログは昨年の5月30日からつけだしました。一年たったらなにか成果をお知らせできればいいなと思っています。老書生のカムバックを希求しての生活にいますこしおつきあいください。

●今朝も朝食まえに十枚かきました。豊作になりそうな気配です。



老人がいっぱい

2008-01-16 21:15:39 | Weblog
1月16日 水曜日 晴れ
●カミサンのお供をしてK までいった。このところ、正月も終わったので街はまたもとにもどった。老人のおおい街になった。年齢はわたしたちくらいのはずなのだが失礼だがずいぶんと老齢に見える。そこへきて、このところの物価高である。みんな元気がない。戦後、girls chin up という言葉がはやったことがある。老人のみなさん勇気をだして、元気にがんばりましょう。

●小説を読んでいると60歳の老人などという表現にであう。悲しくなる。

●小説を読むのが若者だけとはかぎらない。わたしたちは活字文化華やかな時代にそだった。いまでもみなさんかなり本を読んでいる。熟年文学がうまれてくることをねがっている。わたしたちが喜んで読めるような小説の出現を望んでいる。

●どこもかしこも年配のひとばかりだ。田舎町はどこにいつてもそうなのだろう。過疎化をくいとめる手段はないものだろうか。


文学の友

2008-01-15 21:57:55 | Weblog
1月15日 月曜日 晴れ
●久しぶりに寒い朝をむかえた。東の空の朝焼けが美しかった。影絵のように黒く鳥が飛んでいた。しだいに明るくなっていく空をみているうちに、はっきりと目覚めた。こうした朝のむかえかたは万葉の歌人の感覚とまったくおなじだろう。

●現代に生きるわたしには心配事がある。友だちが声を掛けてくれた。田舎町で苦渋の文学修業をよぎなくされている老書生に救いの手をさしのべてくれた。うれしかった。そのわたしの作品をのせてくれる予定のサイト。結果がいつごろわかるのか問い合わせた。超多忙の彼に迷惑とは知りつつ、気になってしかたがなかった。メールがはいっているだろうか。心配だった。

●メールはとどいていた。結果を月末に先方と会ったときにきいてくれるとのこと。ありがたかった。友だちの友情に報いるためにも精進していい小説を書き続けたい。書かなければならない。とじぶんのこころを励ました。