閲覧者から有路姓、古瀬姓、大戸姓についてコメントをいただいておりました。その時から大分、日数が経ってしまいましたが、あらためて畑沢に残っている苗字について、歴史的な面から検討してみます。何回かに分けて投稿いたします。
個々の姓の説明に入る前に、畑沢の姓について概略を説明します。今の戸数は昔と比べると激減していますので、昭和30年ごろの畑沢における戸数を対象にします。その頃、畑沢の姓別の戸数は次のとおりでした。
大戸……24戸 古瀬……18戸 有路……15戸 豊島……4戸 菅戸……2戸
青井……1戸 矢萩……1戸 川辺……1戸 【合計66戸】
大戸姓、古瀬姓、有路姓が圧倒的に多いことが分かります。明治8年(西暦1875年)に平民苗字必称義務令によって、国民すべてが苗字を名乗らなければならなくなった時に、元々、先祖が苗字を有していた家ではその姓を名乗ったでしょうが、その他の大部分の家では新たに姓を考えなければなりませんでした。その際に、自分に関わりがある地元の有力者に倣った姓にすることが多かったようで、畑沢の場合もそのために大戸、古瀬、有路の姓が多くなったと思われます。
それでは、その三つの姓について考えるにあたって、大まかに三つの姓とその所在について考えてみます。畑沢の中でも分家や引っ越しがあったようですので、それらを整理して元々の大戸、古瀬、有路の姓の所在を下の図にまとめてみました。
道は現在の県道ではなくて、古道を示しました。地図は、かなり大雑把な内容になっています。大戸姓は岡田沢から荒屋敷地区、有路姓は向かい地区、古瀬姓は上畑沢・清水畑地区に始まると仮定しました。