なんか知らんうちに8月が終わってました・・・おそろしい。
ひさびさアマオケ参加の夫のコンサートを聴きに横浜まで行ったり、
娘が前座合奏で参加のコンサートがあったり、
2日連日デイサービスで弾いたり、
尾道まで師匠夫妻他出演のコンサートを聴きに行ったり、
区民ホールでのリレーコンサートに出たり、
と、スケジュール帳を振り返ってみれば、なにかはしているのですけれども、記憶があまり薄い。
短期記憶も長期記憶も危機的です。不断の暗譜活動で、なんとか記憶の雪崩を防ぐしかありません。
いきなりですが、昨日、2008年放送「プロフェッショナル 仕事の流儀」の柳家小三治さんの回の動画を見ました。
柳家小さん門弟でありながら、立川談志さんとは正反対の個性の方のように思いますが、どちらもとても魅力的。
放送当時は小三治さん、68歳。
〈落語家は、通常その日話す演目は、会場に入ってから決める。ネタ帳を見ながら、その会場で最近どんな演目が話されたかをチェックする。さらに、土地柄や客層、その日の天気を加味しながら演目を絞り込む〉
〈本番30分前、小三治はモニターから聞こえる客の笑い声に反応した。「なにがいいでしょうかねえ。子供の声がしてましたね、さっき」。出番直前、候補は絞った。最終的には客の前に座って話を決める。まくらを話しながら、客の反応を探る〉
小三治さんは、若きある日、師匠柳家小さんに呼び出され、ひとつ落語をやるように言われたそうだ。
終わったとき、小さん師匠、思いつめたような顔をして「お前の話はおもしろくねえなあ」と。
当時小三治さんは技巧に長け、将来ある新進落語家として期待されていた。そこに、師匠の「おもしろくねえなあ」発言。つらい。
以来、寝ても覚めても、「おもしろい」とはなにか、・・で頭がいっぱい。
おもしろいといわれるものがあると、すっとんでいって体験する。もう必死だ。
そのとき、こういう言葉に行きあたる。古今亭志ん生師匠の言葉・・・「落語をおもしろくするのは、おもしろくしようとしないことだ」。
長い時を経て残ってきた落語は、それ自体がすでにおもしろいものなのだ、なにも落語家がおもしろくしようとしなくても、話そのものがおもしろいはず。そこで、小三治さんの個性というかスタンスが決定した。
そして50過ぎても「素直に演じることの難しさ」と格闘している、と。
もうひとつ印象に残った話。
「いちばん下からものを見ることができないと、落語はできないんだなあ。そういう意味では、自分はリューマチを患い、ひとの有難さや痛みを知った。病気に感謝しています」
この放送からだいぶ月日が流れた2014年、小三治さんは、人間国宝となられた。
この放送時68歳のときに、「150いくつ落語を覚えたんですが、いますぐできるのは30くらいしかないんです。これを忘れないようにはどうしたらいいんでしょうか?」と語っておられた。
落語は本をみてやるわけにはいかない。生涯記憶との戦い。晩年の談志も、「あれ?どっかいっちゃった。どうだったっけな?」と高座で立ち往生する映像がけっこう残っている。
・・・・おもしろいとはなにか
・・・・下からものをみる
・・・・記憶
どれもどれも深く考えさせられることばかり。最近落語、というよりは、落語家から離れられない。