祇園新橋は、八坂神社周辺の茶屋町として江戸時代中頃から賑わった地域で、祇園六町のうち新橋通りを中心とした茶屋町です。重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

祇園新橋を含む祇園地区には、江戸末期にはお茶屋が500軒、芸妓、舞妓、娼妓合わせて1000人以上いたそうです。その後、徐々に規模は縮小していったのですが、それでも昭和30年代から40年代にかけては、お茶屋150軒、芸妓、舞妓合わせて600人くらいの規模を維持していたのですが、その後急速に、衰退していき、一時期祇園のシンボルである舞妓さんも20人に満たない人数へと落ち込んでいました。最近は、徐々に回復し、現在は30人弱にまで増えているそうです。

茶屋の建物は切妻造桟瓦葺、平入二階建てで元治2(1865)年の大火直後の建築です。一階は千本格子、二階は縁を出し「すだれ」を掛けていて、隣り合う庇は同じ高さで統一感があります。

白川沿いの建物です。また少し趣が違っていていいですね~。

ゆったりと食事をしてみたいものです。

京都は、神社仏閣も素晴らしいけど、こういう街並みもほんと素敵ですよね。京都にはまってしまう要因の一つでもあります。

ほんと、街歩きは楽しいです(^^)v

祇園新橋を含む祇園地区には、江戸末期にはお茶屋が500軒、芸妓、舞妓、娼妓合わせて1000人以上いたそうです。その後、徐々に規模は縮小していったのですが、それでも昭和30年代から40年代にかけては、お茶屋150軒、芸妓、舞妓合わせて600人くらいの規模を維持していたのですが、その後急速に、衰退していき、一時期祇園のシンボルである舞妓さんも20人に満たない人数へと落ち込んでいました。最近は、徐々に回復し、現在は30人弱にまで増えているそうです。

茶屋の建物は切妻造桟瓦葺、平入二階建てで元治2(1865)年の大火直後の建築です。一階は千本格子、二階は縁を出し「すだれ」を掛けていて、隣り合う庇は同じ高さで統一感があります。

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