国立西洋美術館で開かれている「北斎とジャポニズム」へ行った。
私が最も驚いたのは、北斎の目の良さである。
観察眼、特に動く人、動物に対する驚異的な動態視力である。
いや、正確に言うと動態視力+表現力である。
具体的には、北斎の「牡丹に蝶」(H-30;展示(カタログ)番号以下同じ)と言う作品がある。
これは、ミネアポリス美術館蔵である。
この作品を見て、私はびっくりした。
中央の牡丹の近く右上に、蝶が描かれているのだが、まるで、現在の超スロー映像で見たように、蝶の羽が風をはらんでしなやかに動いて飛んでいる様子が描かれている。
ビデオも何もない時代にである。
私はまるで、その場に生きて飛んでいる蝶と牡丹に時空を超えて立ち会っている感覚になった。
北斎の作品の前に立つと、北斎の描いたその瞬間に立ち会えるのだ。
それは、この作品だけではない。
すべての北斎の作品がそうだ。
有名な「富嶽三十六景神奈川沖の浪裏」(H-7)も全く同じである。
波の生きているような描き方と美しい富士に見とれてよく見ていなかったのだが、小舟に乗って大波に揺れる船の中で必死にしがみつく人々が描かれている。
この人たちを見ていると、自分もその中で必死にしがみついて生きているような感じがする。
北斎の絵のすごさは、絵の中の人間もその前に立った人間も一緒になって一つの時空を作って動き出す感覚にあるのだ。
静止画なのにまるでビデオである。
和の国へいらしたらぜひ、北斎の凄さを千歳一遇のチャンスであるこの機会に、国立西洋美術館へ行って味わっていただきたい。
さて、肝心の学びの天才北斎が世界の絵の師匠となったことについて述べる。
北斎の「牡丹と蝶」(H-30)をモチーフにしたと思われる作品がゴッホの「ばら」(129)である。
この絵は北斎の「牡丹と蝶」と異なって蝶は描かれていないが、バラが一面に咲き乱れる自然の美しさ絵にした点で明らかに北斎の影響を受けている。
また、北斎の「富嶽三十六景神奈川沖の浪裏」(H-7)を明らかにモチーフとしたのが、パリのロダン美術館蔵のカミーユ・クローデルの「波」(199)である。
これは彫刻だが、波の上で少女3人が立っている様子を表現している。
実際にはありえないのだが、クローデルは明らかに北斎が描いた舟の上の人物を生きていると感じ取って、この表現をしたと思われる。
それくらい、北斎の描いた小舟の上の人物は大波に揺られて必死に生きているということを、クローデルも感じ取ったのだろう。
北斎とジャポニズム展は、このように北斎が影響を与えた作品とそれをモチーフにした西洋の作品がほぼ並べて展示されているので、とてもわかりやすい。
北斎もすごいのだが、それを油絵にして色彩豊かにしてよりリアルに表現した作品が見られるのもすごい。
北斎の「富嶽三十六景甲州三嶌越」(H-13)の版画とよく似た構図の油絵が、アイリフ・ペーテシェンの「夏の夜」(165)である。
この作品と、北斎の作品の構図がよく似ている。
北斎は手前の大きな木の先に富士、ペーテシェンは手前の大きな木の先に三日月を映す池を描いている。
このペーテシェンの絵の前に立つと、まるで彼が描いたその瞬間に立ち会っているように感じる。
池も木も空気も。
決定的な違いは、北斎の版画には、大きな木の周りを手つないで囲む生きている人間が描かれていることである。
どれくらいの大きさがあるだろうと興味津々の生きている人間が。
北斎の絵には、生きた人間が数多く存在するのだ。
静止画だが、生きて動くビデオなのだ。
北斎の絵は。
北斎は様々な動きをする人、動物、植物を集めてテキストにした。
それが北斎漫画である。
これは、北斎が創作の時間を取られたくないために、自分が学びながらしかも一度描いてしまえば版画として量産してテキストになると考えて作ったに違いない。
弟子たちに直接教えるより、テキストにして北斎自身の創作の時間を確保するために、北斎漫画を作ったと考えられる。
この北斎漫画は、北斎の意図を越えてヨーロッパに渡り、その地の画家たちに認められ絵のテキストになった。
北斎が西洋画家の絵の師匠になった瞬間である。
北斎漫画の初編にある着物の男が大きな袋に寄り掛かる絵(HB-1)を、ほぼ左右対象にしたのがメアリー・カサットの「青い肘掛け椅子に座る少女」(58)ワシントン・ナショナルギャラリー蔵である。
国立西洋美術館で、この絵の前に立つとこの絵の圧倒的な色彩美と少女がソファーに寝そべる存在感は、まるでこの少女が生きていて、絵の前の自分がその少女と同じ部屋にいるような錯覚をするほどである。
この絵のためにだけ、入場料1,600円を支払っても惜しくはない。
素晴らしい絵である。
少女のリラックスした姿と色彩美が、絵を生き生きとしたものにしているのである。
北斎は絵を生かす術を知っていた。
メアリー・カサットはそれを北斎に学び、自分の油絵を最高の作品にしたのだ。
北斎が数多くの版画、絵、そして北斎漫画によって、西洋の画家や彫刻家の師匠になったのは、北斎が誰よりも貪欲に絵を学んだからだと思う。
例えば、当時日本にはなかった遠近法の表現は、オランダなどからもたらされた油絵等によって知り得て、その遠近法を使って描いた水彩画で表現した。
また画材として高価なベルリン・ブルー(ベロ藍)を惜しげもなく西洋から取り入れて、版画の「凱風快晴」等の早暁の空の深い青さを表現するために惜しげもなく使った。
北斎の学ぶ意欲の貪欲さは、とどまるところを知らなかったのである。
こうした北斎と西洋の画家たちの知の交流の凄さを目の当たりにするチャンスは、千載一遇ではないだろうか。
ぜひ、和の国にいらしたら、上野の国立西洋美術館へ行かれて北斎とジャポニズムーHOKUSAIが西洋に与えた衝撃ーをご覧いただきたい。
2018年1月28日の日曜日まで開かれています。
補足
北斎が静止画なのにまるで動き出すビデオのような絵を描くことができた秘密に、日本語があると考えている。
それは、日本語にはオノマトペや俳句など脳内映像を瞬時に固定する表現力を増強する言葉が豊富だったり、俳句として5,7,5の計17音の言葉を記録する入れ物が用意されたりしているからだ。
例えば、「しんしんと雪が降る」と言うように、雪の降り方を「しんしんと」言う言葉で表現して固定できる。
「しんしんと」は、吹雪ではないが次から次へと空から静かに雪が舞い降りる様子を表現した言い方である。
これだけ長い表現をたった5音で表現する日本語の凄さ。
北斎はまず、日本語で波や動物の動きを固定して、それから絵にしたのではないか?
つまり、日本語の言葉そのものが映像を固定化できる道具であったからこそ、ひらひらと飛ぶ蝶の羽の動きを現代のスローモーション映像のように、固定化できたのではないか?
その超人的な意欲と努力によって。
オノマトペほか日本語の凄さについては、このブログで書きましたので、興味があったらご覧ください。