リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

すべては、好きと嫌いを見分ける「選択肢」をもつことから始まる!

2008-09-21 10:58:52 | Weblog

昨日の夕食のこと・・・



今晩(19日)の夕食は、カレーとサラダ。
といっても、カレーは妻が作ったもの

私が用意したのは、サラダというより、単に畑を食卓にのせたもの。
「畑」と言っても実際あるわけではない(笑)。

妻が買ってきたきうりを包丁で1/2にして、それをさらに縦に1/8したものを皿に丸く並べ、中央にみそをのせた物。

それを、妻と次男と私の3人でいただいた。

もちろん、カレーはとてもおいしかった。
だが、私が作った「キュウリみそ」は瞬く間に売れた。

妻は、
「もっとキュウリないの?」

「あるよ。つくろうか?」

「作って!」

3人で4本切ったきうりが5分ほどで完食。
追加でさらに3本。

これも食事が終わる前にすべて売り切れた。



これには、つくった私もびっくり。

でも、自信はあった。
みそをつけて、食べてみたキュウリのおいしいこと。
自分でもこれならいける!



この「キュウリみそ」、キュウリをただ切って盛りつけ、みそを添えただけのもの。
昔、田舎で過ごしたときに、時々出された物をまねただけ。

ただのキュウリなのにみずみずしくて、新鮮で、口の中に広がる甘味。
ぱりぱりとした食感は、食欲がますます旺盛になる。
それが、みその味と絶妙にあってほんとうにおいしい。



今日は土曜日、夕食はできるだけ手間をかけたくない。
そして、できるだけシンプルにしたい。
1週間の疲れをとりたい。

そんな思いもあって、
妻から、
「サラダは?」
と言われて、5分で作ったのがこの「キュウリみそ」。



5分で作ったのに、お代わりのリクエストまである大好評となった。



おいしさの秘密は、新鮮であること。
これにつきる。

昔、一夏父の田舎で過ごしたとき、食事がおいしいことにほんとうにびっくりした。
たいしたものは食べていない。

毎日の朝食には、それこそ毎日のように「なすのみそ汁」
もちろん、みそは自家製。
少し、塩分が濃かったが、田舎の新鮮な空気と、板張りで涼しくて木の香りのする土間のいろりでいただく「なすのみそ汁」と「ごはん」のおいしいこと。
そして簡単な「漬け物」。

昔(昭和30年代)頃の田舎は、もちろんスーパーなんてない。
食事のほとんどは、自給自足に近かった。
近くに買いに行くところがあっても、そんな新鮮なものはない。
買うとしても、鮮魚くらいだったように思う。

しかし、田舎でいただいたものは、ほんとにおいしかった。



自作弁当作りを始めて、どんどん昔食べた、田舎の簡単な漬け物、みそ汁、「キュウリみそ」・・・にどんどん近づいていっている。
都会で育った私の「味の原点」いや「おいしさの原点」が都会でなく、田舎にある。

都会の方が便利で、近代的なのに、圧倒的に食べ物は「田舎」の方がおいしい!
ずっと田舎の方が都会より豊かに思えた。
いや、実際豊かだった。

広いし、風通しはいいし、涼しいし、掃除は簡単だったし、ちょっと自然な香りもするが、食べ物のおいしさだけですべてを上回っていた。
それに、いつでも冷たい井戸水を飲むことができる。
冷蔵庫(といってもその当時は氷をうえの棚にのせて冷やす)はなかったが、井戸水で冷やせばいつでもちょうどよく冷えたすいかを食べることができた。
井戸水で冷やさなくても、家の横の川から引いた水路に沈めておくだけでも、けっこうよく冷えた。




自作弁当作りを始めて、朝食もどんどん作るようになった。
妻が、
「おいしい!」
といってほめてくれることもある。

だが、一番の理由は、自分が食べたいものがつくれる。
おいしいもの、好きなものが食べられる。

これにつきる。



作って食べてもらって分かったのは、
「自分がおいしいと思うものは、人もおいしいと感じている」
ということだ。

その典型的な例が、今晩の「キュウリみそ」。



今では、どうしてもっとこれ(弁当や食事を作ること)を早くしなかったんだろうと後悔している。

家庭をもつということは、「食の交流」である。
お互い全く異なった「食習慣、食文化」の中で育った夫婦が、それぞれ「自分の食習慣、食文化」を持ち寄る。
そこで、「食の交流が起こる」。
子どもたちは、その「食の交流」の中から、ほんとにおいしいと思ったものを「自分で選択していく」。
その絶好の機会をミスミス失ってきたのだ。



我が家で言えば、子どもたちはほとんど「義母や妻の食習慣、食文化」の中で育ってきた。
ほとんど、「食の交流」もなく。

しかし、悔やんだところで過去には戻ることができない。



今からでも遅くはない。

たまたま、帰宅した次男に「なすの塩もみ」を食べさせ、夕食には「キュウリみそ」を幸運にも食べさせることができた。
私の「食文化の一部」を伝えることができた。



あとは、子どもたちがその中から「自分のおいしい」を選択してくれればいい。



ここまで書いてきて思うのは、前回書いた、

「弁当の日はもともと、01年に香川県綾川町滝宮小学校で始まった。年に数回、子ども自身に弁当を作らせることで自立や家族との交流を促す。
その後、小中学校を中心に広がり、全国16大学でも様々な形で行われるようになった」

こと。

そこでは(香川県の小中学生)は、単に家族との交流ではなく、夫婦、祖父母、隣近所、・・・と幅広い人たちとの「食の交流」を通して、「自分で考えて、自分で好き選択して、自分の好きを追求していっているだろう」ということである。

私も、たまたま父の計らいで、父の実家で一夏を過ごすことができた。

そこで、ほんとうにおいしい「命を支える食」に出会い、「本物」を見極める目をもつことができた。
おそらく、この経験がなければ、「本物のおいしい」を見極める目(舌も)を持つことはできなかったかもしれない。



好きと嫌いを見分けて、好きをどんどん追求すると、自分がどんどん変わる。
自分が変わると家族も変わる。
家族が変わるとまた自分も変わる。

すべては、好きと嫌いを見分ける「選択肢」を自分がもつことから始まる!
(前に書いた、紙1枚を半分に折って、好きと嫌いをかき分けることから始まる)
(このブログの過去記事 紙1枚で、人生ががらっと変わる・・・ リフォームも最適にできる をごらんください)


好きを追求した自作弁当作りを始めてから、すべてががらがらと変わり始めた。
選択肢を「好き」に大きく舵を切ったときから。


自作弁当づくりは「意欲」を活性化する!

2008-09-10 08:05:46 | Weblog
文科省が今年の学力調査結果を発表した。
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20071026/に簡潔にまとめられている。
それによると、小学生(総合)回答率のランキング
1位 秋田県
2位 福井県
3位 香川県
4位 青森県

中学生(総合)のランキング
1位 福井県
2位 富山県
3位 秋田県
4位 石川県

小中学生(総合)のランキング
1位 秋田県
2位 福井県
3位 富山県
4位 香川県

どこも、農業県ではないか。

と、前々回書いた。(これは、平成19年度の結果だが)

秋田、福井、富山、青森の各県は北陸ないしは東北で、冬の寒さも厳しい。
だから、辛抱強くなる・・・
学力調査の結果も好成績になることが納得できた。

だが、どうして「香川県が?」とずっと考えていた。



朝日の9月8日付の記事を読んで、なるほどど合点した。
「食育で生活改善」のタイトルで、香川県についてこう書かれている。
「弁当の日はもともと、01年に香川県綾川町滝宮小学校で始まった。年に数回、子ども自身に弁当を作らせることで自立や家族との交流を促す。
その後、小中学校を中心に広がり、全国16大学でも様々な形で行われるようになった」
とある。



私も、自作弁当を作るようになって、何が一番変わったかというと昼の弁当を食べるのが楽しくなったことだ。
それまでは、昼食は仕事の合間の燃料補給という感じでしかとらえていなかった。
それと、ちょっとした息抜き。

今では、弁当を食べるのが楽しみで、一生懸命仕事もできる。
(今まで以上にということですので、念のため)
張り合いもできる。

すべてが、好循環になる。

自作弁当作りは、単に栄養補給ではなく、まさに「意欲」の源泉になっている。

もちろん、「自立」という意味も大きい。
自作しなければ、食事とくに昼食は永遠にだれかのお世話になるしかない。
しかし、単に「自立」という以上に、誰かの世話になっていることで、「意欲」をそがれているということに、今まで気づかなかった。



昨日のNHKの「クローズアップ現代」をごらんになっただろうか?
介護でお年寄りに「おむつ」をするとそれにたよりきりになって、足腰が弱くなるとのことであった。
改善するために、「おむつ」をはずす訓練をするということであった。
その最大の理由は「立って歩いて自分で排泄するという意欲が失われる」ということであった。

そう考えると、私は自作をしなかったばかりに「意欲を失っていた」のだ。



香川県綾川町滝宮小学校の活動は、まさに卓見というほかない。



滝宮小学校のホームページの「学校からのお知らせ」内に「弁当の日」について写真付きで説明があります。
子どもとお母さんの「攻防戦」があるとのこと。
攻防戦の中身は、是非滝宮小学校のホームページをご覧ください。
ほほえましいです。
また、ほとんどの人(6年生)が5時から5時半には起きているとのことです。



滝宮小学校のホームページ、弁当の日の説明に、「弁当の日のルール」というのがある。
①親が手伝わない
②月1回第三月曜日
③買い出しから片づけまで自分でする
思わず、なるほどとうなってしまった。

特にすごいと思ったのは③である。
弁当を作ってみると分かるのは、一番大事なのは準備である。
つまり、何を食べるか、そのために何を買うか、どのような手順で調理するか、特に買い出しはすべての始まりである。
そして、いざ調理となると、必要な調理器具、調味料、器などのありかをすべて自分自身が分かっていなければならない。
ルール①があるから、これらをすべて自分でやることになる。

これを、2001年から始めたんだから、力がつくのはもはや「当然」だろう。
「あたりまえ」である。

私の大好きな言葉、
「当たり前を守り、当たり前を破る」

これが、なかなかできそうでできない。

それにしても、子どもたちが作ったお弁当はおいしそう。
卵焼き、ウィンナー、私も大好き。
大好きがいっぱいのお弁当。

私も子どもたちに負けないよう、おいしいお弁当をつくろう!

全国学力調査結果は平成19年度のものでした。お詫びして訂正します。

2008-09-07 10:27:30 | Weblog
前回、学力調査結果を平成20年度ものと思いこんでいて、事実誤認をしていました。
文中のアドレスで確認していただけると分かりますが、平成19年度の結果です。

今年の結果を「国立教育政策研究所」http://www.nier.go.jp/にあたりましたが、都道府県別の結果は出ていないようです。

あくまで、学力調査結果は平成19年度の結果と考えてください。
お詫びして、訂正します。



さて、前回

コンビニは、まさに「便利」だ。
コンビニを取り上げたのは、「弁当」を売っている他にもコンビニは、その地域の「便利さ」の指標になると考えたからだ。

しかし、全国学力調査の結果の順位と1万人あたりのコンビニの数を対比させると、好成績な県は「便利」な「コンビニ」が多くもなく、少なくもなくという県なのだ。
「便利すぎてもよくない」
だが、
「不便なのもよくない」(コンビニが本当に「便利」を提供しているかどうかは別として)
「学力」かどうかは分からないが「全国学力調査」の結果は、好成績の県の結果が、「便利さ」と「不便さ」の絶妙な「バランス」の上に成り立っているようだ。
つまり、学力には適当な便利さと不便さが必要だということなのではないか?


と書いた。

しかし、「日経」を日頃からよく読んで総合的に考えると、別の考え方もできる。
平成19年度の学力調査結果で上位の県は、コンビニが「多くもなく少なくもなく」という県である。

コンビニだけでなく大型スーパーなどは、開店前に事前の商圏調査をきちっとする。
それでも、競争に敗れて閉店するコンビニはよく見かける。

まわりくどい言い方をしたが、平成19年度の学力調査結果で上位の県の「コンビニ」の数は「適当」な数であることが予想できる。

つまり、「競争が適当」に行われて、「利益も適当」にあがっていることが予想される。
コンビニが「適当な数」あるということは、「適当な人数」がそこに住んでいる「商圏」が存在するということである。

「適当な競争」が、大切なことを「平成19年度の学力調査結果」は物語っていると言えないだろうか?

論理の飛躍と言われればそれまでだが、

コンビニの数が適当にある
      ↓
適当な競争がある
      ↓
地域に適当な競争がある
      ↓
学力調査結果が好成績

となるのではないだろうか?



大嫌いな言葉だが、「勝ち組」「負け組」と平気で使っている今の社会は、明らかに「いきすぎた競争」に陥っている。
その「過当競争」に、個人も企業も苦しんでいる。
それが、今の我が国や世界ではないのか。

このことを「平成19年度の学力調査結果」は、見事描き出したといっても過言ではないのではないか?

文科省の「学力調査」は、まこと学問を司る府だけあって、見事現在の私たちの姿を描き出してくれたと言える。

「日経」は、すばらしい。
宣伝文句は嘘ではない。
読み続けると、「世界が見えてくる」



昨日のNHKの「日本の、これから激論!どうする?税金」をごらんになっただろうか。

途中、司会者が「当番組はバラエティー番組」ではありませんと断っていたが、いやいや「バラエティー番組」より遙かにおもしろかった。

最後が焦眉。

この国の未来としてどちらが選ぶか?
高福祉、高負担のスウェーデンか、低福祉、低負担のアメリカか?
スウェーデン派とアメリカ派が激論になったが、最後お互い一致した点があった。

あるスウェーデン派の女性とアメリカ派の男性が激論した。
お互い、ゆずらなかったのだが、唯一一致した点があった。
アメリカ派の男性が、
「そんなに高い負担はいやだ」というようなことを言ったような気がする。
スウェーデン派の女性が、
「お互いこの国の政府を信用していないということでは、一致してますね!」



「勝ち組?」は「グローバル」という言葉が好きなようだ。
何でも議論に負けそうになると、必ず「グローバル」という言葉を持ち出す。

私には「グローバル」=「ルールなき無制限な競争」と言っているように思えてならないのだが・・・。

ルールなき、無制限な競争の結果は、「平成19年度の学力調査結果」に映し出されている。



ルールなき、無制限な競争の結果
と書いて思い出したことがある。

写真の昨年訪れたローマにある「コロセウム」である。



オリンピックは終わってしまったが、陸上競技で使うあのトラック競技の下地は、赤い色をした「アンツーカー」である。
残念ながら、コロセウムの中には入れなかったのだが、あの赤色は「コロセウム」から始まったということをそのとき聞いた。

あの赤色、血の色だそうだ。

ローマ市民が、憂さ晴らしに「奴隷の格闘」を楽しんだといわれている。
格闘といっても単なる「殺し合い」だ。
闘った奴隷が傷ついて流した血の跡、その赤色が「アンツーカー」の赤だそうだ。

中には、幸運にも何度も勝ち抜いて「ローマ市民」になれた奴隷もいたようである。
「ルールなき、無制限な競争の原点」があのアンツーカーの「赤」なのではないか。


頭をからっぽにしていい曲を聴くと、どんな暮らし方がいいか「スタートライン」も見えてくる!

2008-09-01 07:11:43 | Weblog
Wiiはなかなかいい。
写真チャンネルで、好きな写真と好きな音楽をSDカードにコピーして楽しむことができるようになった。

もともとある曲の「なつかしい」が一番いい。
しかし、自分好みの平原綾香さんの曲を入れて楽しめるようになった。
どれも、平原綾香さんの曲はいいのだが、「スタートライン」は大好きだ。
この曲を聴きながら、Wiiでスライドショーを楽しむと「元気」が出てくる。
歌詞がすばらしい。
どんなに困難なことがあっても、乗り越えて新たなスタートラインにつくという決意を曲と詩に感じることができる。

自分が撮った好きな写真とともに聴くこの曲は、ほんとにいい。



何も考えないで、平原綾香さんの音楽に浸る。
心は空っぽにして。
ただ、歌詞にあるように、思いのある人々を一人にはさせないという思いで。

空襲で亡くなった祖父。
戦地へ赴いて、戦死した叔父。
祖父を失い苦労しながら、戦後子供たちを育てやはり亡くなった祖母。
高校時代に亡くなった友。
私につながるすべての人々。
そして、原爆で亡くなった人々。
無益な戦争で亡くなった人々。
戦死した戦友への思いを抱きながら、戦後の経済成長を必死で支えて今の我が国を作り出してきて、亡くなったすべての人々。
そうした人々ともう一度、同じスタートラインに立とうと。

平原綾香さんの音楽に満足したとき、突然ひらめいた。

これを神の啓示というのだろうか?

前回書いた、「考えるようになった」ことについて。
「考える」って「学力」と関係しているのではないかと。



前回こう書いた。

食べる野菜の量が多くなると、咀嚼する回数がどうしても多くなる。
写真の弁当を見てもらっても分かるが、サラダや野菜などよく噛まなくてはならない。
不思議と
よく考えるようになった
と。



そして、7月12日には、
時々、どうしても自分の食べたいものがなくて、コンビニ弁当にすることがあった。
だが、コンビニ弁当のパターンは決まっている。
揚げ物、肉か魚、ほんの少しの野菜。
とも。



キーワードは「コンビニ」「よく噛む」「考える」「野菜」

文科省が今年の学力調査結果を発表した。
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20071026/に簡潔にまとめられている。
それによると、小学生(総合)回答率のランキング
1位 秋田県
2位 福井県
3位 香川県
4位 青森県

中学生(総合)のランキング
1位 福井県
2位 富山県
3位 秋田県
4位 石川県

小中学生(総合)のランキング
1位 秋田県
2位 福井県
3位 富山県
4位 香川県

どこも、農業県ではないか。

実際、手に入った2007年の都道府県別人口と2005年農業人口をもとに、エクセルで農業人口率を計算してみると、
秋田県は、 1位で23.5%(小学1位、中学3位、総合1位)
青森県は、 9位で15.4%(小学4位)
福井県は、10位で15.0%(小学2位、中学1位、総合2位)
富山県は、12位で12.9%(中学2位、総合3位)
香川県は、15位で12.8%(小学3位、総合4位)
となる。
成績上位の県は、農業人口率の高い県だ。

ちなみに、農業県と思っていた大好きな「北海道」は、農業人口率3.8%で農業人口率では、ランキング41位である。
農業人口率の少ない都道府県を40位からあげると、
40位 沖縄県  4.0%
41位 北海道  3.8%
42位 京都府  3.8%
43位 愛知県  3.3%
44位 埼玉県  3.2%
45位 神奈川県 0.8%
46位 大阪府  0.6%
47位 東京都  0.3%
である。

農業人口率が高い県すべてがランキングが高いかというとそうではない。
また、農業人口率が低いからといって一概にランキングが低いとはいえないが、農業人口率が高ければ、学力調査結果は高いという関係があることがうかがえる。



農業人口率が高い県は、実際農家が多い県と考えていいだろう。

昔、私も農家に一夏過ごした経験があるので分かるが、農家は毎日のように野菜を食べる。
だいたい漬け物が多い。
ちょっと来客があってもお茶と「漬け物」である。
それも、塩もみのような簡単な物。
毎日食べるのだが、素朴であきない。
塩だけの味付けなのだが、つかり具合が時間とともに変わり、時間がたってもおいしい。
それに、何より健康的。
カロリーはゼロに近い。
そして、何よりよく噛むから、脳を刺激して「よく考える」ようになる。

全国学力調査の結果が、好成績なのは納得できる。

しかも、農家は朝が早い。
だから、夜は早く寝る。
今日(8月31日付け)の朝日の記事にもあったが、秋田県が一番睡眠時間が長い。
十分睡眠をとって、頭を休めることもできる。
だから、朝はすっきりした頭で、野菜をよく噛みながら「いい考え」もたくさん出てくるだろう。
何より、学習したことが「机上の空論」ではない。
毎日の実生活で具体的に考えられているから、しっかり身に付くだろう。
しかも、具体的な事柄をもとに考えられるから、考えた結果をいろいろなところに具体的に生かすこともできるのだろう。

そして、生活のリズムがしっかりとしている。
朝はやくからの農作業は、健康にいいから、朝食もおいしくいただける。
ますます、好成績をあげることができるようになるだろう。



全国学力調査の結果が、好成績なのは、農業人口率の高い県といっても過言ではないのではないか。

ところで、キーワードの「コンビニ」についてだが、コンビニ弁当についてこう書いた。
コンビニ弁当のパターンは決まっている。
揚げ物、肉か魚、ほんの少しの野菜

と。

コンビニ、文字通り「便利」だ。
便利だから、私も毎日のように利用する。
だが、便利であるということは、「不便」を感じないということだ。

「不便」を感じなければ、「考える」必要がない。
そして、ますますこの悪循環に陥っていく。
「考え」ないですむから、コンビニを利用する。
便利だから、いつでもやっていると思って「考えない」。
「考えない」から、問題が起こってきたとき解決できない。
この繰り返しになるのではないか?
「考えない」から「考える力」はどんどん落ちていく?

しかし、まったく「コンビニがなくていいか」というとそうでもなさそうだ。



同じく、2007年の都道府県別人口と、2002年の都道府県別コンビニ数が手に入ったので、1万人あたりのコンビニ数を上位からエクセルで並べ替えてみた。

なんと1位は、北海道。
人口1万人あたり、4.45軒ある。
1位 北海道 4.45軒
2位 茨城県 3.97軒
3位 宮城県 3.92軒
4位 山梨県 3.88軒
5位 東京都 3.82軒と続く。

では、好成績だった秋田県、福井県、富山県、香川県、石川県、青森県はコンビニ数ではどうかというと、
秋田県 20位 2.56軒
福井県 33位 2.10軒
富山県 26位 2.41軒
香川県 29位 2.37軒
石川県 18位 2.63軒
青森県 28位 2.37軒
となり、中位に位置する。

1万人あたりコンビニ数下位5県をあげると
43位 鹿児島県 1.45軒
44位 徳島県  1.44軒
45位 島根県  1.35軒
46位 鳥取県  1.27軒
47位 高知県  0.60軒
となる。

コンビニは、まさに「便利」だ。
コンビニを取り上げたのは、「弁当」を売っている他にもコンビニは、その地域の「便利さ」の指標になると考えたからだ。

しかし、全国学力調査の結果の順位と1万人あたりのコンビニの数を対比させると、好成績な県は「便利」な「コンビニ」が多くもなく、少なくもなくという県なのだ。
「便利すぎてもよくない」
だが、
「不便なのもよくない」(コンビニが本当に「便利」を提供しているかどうかは別として)
「学力」かどうかは分からないが「全国学力調査」の結果は、好成績の県の結果が、「便利さ」と「不便さ」の絶妙な「バランス」の上に成り立っているようだ。
つまり、学力には適当な便利さと不便さが必要だということなのではないか?

何とか「学園」や「学園都市」や「研究都市」が、都会から「適用な距離」離れたところにある理由がこれで納得できる。



「好き」をつきつめて、自作弁当を作り始めた。
自作弁当を作りを始めて、いろいろ考えるようになった。
お金の余裕もできて、Wiiも買った。
「好き」追求して、「写真チャンネル」で大好きな平原綾香さんの「スタートライン」を聴けるようになった。
大好きな音楽を聴いて、頭を空っぽにすると、ますます世界がよく見えてくる
どんな暮らし方がいいかも見えてくる。


ふつう、2007年と2005年のデータを一緒には計算しない。
時間をかければ、同じ年のデータで正確に計算できるであろう。
あくまで、傾向と思っていただきたい。

平原綾香さんの音楽を聴いていて、突然、神からの啓示のように直感的に見えてきた。
「全国学力調査」の結果をいろいろな視点から分析すると、さらにいろいろなものが見えてくるのではないか?