やはりというか、やっぱりというか。
2月22日(金)の読売新聞の夕刊記事である。
タイトルは、
ベント前 敷地外で高線量 福島原発事故 県解析、最大700倍
それによると、
2011年3月11日の東日本大震災の時、福島第一原発1号機の「ベント」以前に、原発敷地外の複数の地点で、最大で通常の700倍に当たる放射線量を観測していたことが、福島県のデータ解析でわかった。
解析が遅れたのは、電源喪失でデータが送信出来なかったり、そもそも放射能測定器が津波で流されたりした。
とのこと。
この記事の意味することは、電源喪失によって冷却できなくなったため圧力の上がった原子炉内の高圧力を、人為的に解放する「ベント」以前に、原子炉内の高圧力かつ高濃度の放射性物質が、地震により破損した配管から漏れ出ていたということがほぼ確実になったと言えることだ。
どんなに原子炉を強固にしても、配管まで強固にすることは出来ないという、ごくごく単純なことがはっきりしたわけだ。
前に、このブログで書いた記事の繰り返しになるが、接続部など弱いところに地震の揺れが集中するからだ。
この解析結果は、国会の事故調査委員会の最終報告書には、反映されていないとのことである。
私は、資本主義のいいところは、問題のあるところは淘汰されることだと思っている。
現に、アメリカでは原発が採算が合わなくなって、次々に廃炉になっている。
オイルシェール革命という特殊要因はあるにせよ。
経済原理がきちんと働いている。
事故対策や耐震性を上げるために改修したのでは、ペイしない。
ペイしないものは、経済原理によって継続しない。
つまり、淘汰される。
こうした、自然な原理がどうしてこの国では働かないのだろう?
邪推になるが、地熱発電が国立公園で規制によって、制限されていたのは、単に自然保護のためではなく、何処からか圧力があったのではないかと考えるのは、私だけだろうか。
経済原理が働かない、「利権」があったのだろうか?
iPadミニは、すごい。
これがなければ、こんなに早くアップすることはできない。
このタブレットが生み出した価値を、この原稿を書いて心底から感じている。
ちなみに、この記事はiテキストで原稿を書いた。
これがなければ、時間がもっとかかっただろう。
詳しくは、このブログの下記の記事をどうぞ。
(iPad miniの入力が超快適すぎてもう元には戻れなくなる!!!)
色々なところで言われていることなので、わざわざ私が書かなくてもいいと思うが、スティーブ・ジョブス氏へ感謝の気持ちを書いておきたい。
iPadミニが普通のpcと違うのは、入力が非常に簡単だということだ。
情報もどこでも集めたり加工できたりする。
また、特にやり方を覚えなくても何となく出来てしまうというユーザーフレンドリーなツールである。
さらに、iPadミニを使っていると、不思議なことに自分が何がやりたいかが見えてくる。
これは、スティーブ・ジョブス氏が最初から、コンピュータがあったから使うのではなく、コンピュータの力をこれに使いたいというユーザーの立場で発想していることが最も大きいと思っている。
彼は、極論すれば、ガレージでMacを作った。
何だか、”Call me maybe”の元歌のCarly Rae Jepsenさんがガレージで歌うシーンと重なる。
私は、スティーブ・ジョブス氏は徹頭徹尾、ユーザーが何がしたいかではなく、自分が何がしたいかを追求したのだと思っている。
「こんなことが出来るから使ってみれば」という考えがどこにもない。
iPadミニには。
だから、私が孫にフェースタイム(iPadミニやiPadやiPod touchなどいわばアップル専用のテレビ電話機能、wifiなら無料)したら、
「じいちゃん、きらい」
と叱られてしまった。
iPadで夢中になっていたことがあったようだ。
iPadやiPadミニは一言でいうと、そういうツールである。
ユーザーにへつらうことなく、何がしたいかに徹底的にこだわったスティーブ・ジョブス氏とそのチームのオリジナリティーは、誰も真似ることはできない。
真似ることが出来るとすれば、iPadやiPadミニを使う人だけだろう。