リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

妻と私の「ローマの休日」

2007-08-27 07:41:48 | Weblog
ローマの観光では、トレビの泉、スペイン広場などオードリー・ヘップバーン扮するアン王女が訪れた「ローマの休日」の名場面観光をした。
予定より早めに行程が進んだためか、スペイン広場で1時間半ほど自由時間にしますとの添乗員さんの案内。

妻と私は、この時間をどう使うおうか思い悩んだが、おみやげはだいたい購入したので、妻と私の「ローマの休日」にすることにした。
妻が、ポポロ広場へ行きたいというので歩き始めた。

どの観光地に行っても日本人と会わないことはないのだが、さすが観光スポットを少し離れると少なくなる。
私は、どちらかというとウィンドウショッピングに興味があったので、目をそちらに凝らしていた。

すると大発見!


金をたっぷり使った室内用、装飾品の数々・・・

中央に見えるのは、金の「蛇口」である。
価格は、高価であった。

こうした金を使った装飾品を扱う専門店があるということがイタリアを感じさせる。
「機能」だけでなく「デザインや美しさ」を楽しんだり、楽しませたりするイタリアンライフの「粋」。

じっくり店内に入って見たかったが、時間が限られている(お金もなかった(笑))のでポポロ広場に向かった。
妻と記念写真を撮ろうとしたが、イクシデジタルが電池切れ。
しかし、あわてることはなかった。
携帯電話をカメラにして、携帯で撮影した。


妻と2人で見たピンチョの丘から見たポポロ広場である。
遠くに見えるのは、サンピエトロ大聖堂の丸屋根である。
この丸屋根からの眺めが、息子の話によるといいらしい。

ピンチョの丘は、公園になっていて地元の人の憩いの場になっている。
恋人たちのデートスポットでもあるようだ。

ピンチョの丘を後にして、スペイン広場にむかうとご覧のように、やや下りである。


しかし、ご注目いただきたいのは、背景に邪魔になる高層建築が何もないことだ。
緑が青空を背景に実に美しい。

こうした、美的センスが今のイタリアをつくっているのだろう。
この坂を下って、ピンチョの丘からさっきポポロ広場に向かっていた道の方向を見た写真が下の写真である。


建物は、4階建てか5階建て。
それも、ほとんど築後数十年から100年以上経っているのではないかと思う建物ばかりである。
道路を見ると路上駐車であふれている。
これは、ミラノでもフィレンツェでもそうだった。
地下を掘れば、遺跡がごろごろ・・・
駐車場をつくる用地がないのだ。
ならば、高層建築にして駐車場をつくればと思うのだけれど、そうもできない。
仮にできたとしても、この美しい景観は失われてしまう。
そして、遠くに見えるサンピエトロ大聖堂も見えなくなってしまう。

2枚目の写真をもう一度ご覧いただきたい。
もしも、遠景のサンピエトロ大聖堂(バチカン美術)がこのピンチョの丘から見えなくなってしまったら、私たちの「ローマの休日」は、「ローマの休日」でなくなってしまう。

私は、キリスト教徒ではない。
だが、こうした、古い建物を残し、大切にするからこそ、室内で毎日使う蛇口、椅子、照明、絨毯、カーテン、コード、プラグ・・・といった細々としたものまでクオリティーの高いものにお金を投じ、より質の高い満足感を得ることができるのではないか。

振り返って我が祖国。
京都はまさに、いくつのも寺社、五重塔、そして各地から見られる大文字焼き・・・
「富士見坂」など、各地の富士山を見る数々の絶景ポイント。
美しい田園風景、山河などの自然、各地にある神社、仏閣、歴史的遺産、能や歌舞伎と言った日本独自の芸術。
そして、まじめで勤勉で親切な国民性。
それらが、見られなくなったらまた来たいと思うだろうか?

私は、妻がポポロ広場へ行こうと言ったとき、正直気が進まなかった。
ヴェネツィアのサンマルコ広場さえ、ナポレオンが「世界一美しい広場」と賞賛したことさえ、そうでもないなあと思ったくらいだったから。

だが、ピンチョの丘に妻とともに来て良かった思った。
イタリア人は、この景観を守り続けている。

そして、私たちも海外から訪れる方々や子孫に「また来たい」と思う景観を残す必要があると・・・

トレビの泉に後ろ向きになって、左肩越しに硬貨を投げ入れた。
是非また、カプリに行ったり、ローマを訪れピンチョの丘からポポロ広場を眺めたりしたいと思った。

最高のもてなしは「完璧な清潔さ」、そして本物の質感

2007-08-26 08:59:52 | Weblog


写真は、今回のイタリアの旅で宿泊したホテルのサニタリーである。
できたばかりであるということもあり、とてもきれいである。
(他のホテルもとてもきれいだった。完璧な清潔さだった)
背景に鏡があるので、フラッシュなしで撮影した。
暗い感じだが、実際はとても明るい。

サニタリーの壁や流しは大理石。
そして、バスタブは真っ白で、ピカピカ

清潔であることは、こんなにも価値があるものなのかと改めて実感した。

我が家のシステムバスも昨年、リフォームしてきれいになった。
気分は最高、一流ホテルに負けないと書いたように記憶している。
室内の色遣いも写真のホテルとちょうど同じようだ。

だが、壁面の大理石の質感はさすが、一流ホテル。
本物の質感、美しさにはかなわない。
そして、完璧な清潔さ

旅の疲れを癒してくれるだけではない。
最高のクオリティーは、まさに感動を与えてくれた。

あなたが主人公ですよ!という満足感を



暑さも峠を越したようなので、久しぶりにバスタブにどぶんと浸かった。
もちろん、最高のクオリティー(清潔さ)を追求して。

見(魅)せるためにきれいにする。そしてそのプロセスを楽しむ!

2007-08-25 13:05:36 | Weblog


この写真は、イタリアのある都市のショップのトイレの手洗いである。
思わず、シャッターを切った。

壁のタイルの色、輝き、光沢・・・
芸術である。

コックは最新のセンサー式でもないし、石けんだってふつうの液体である。
しかし、その壁のタイルのあまりの美しさに、思わず魅了された。

これがイタリアなのだ。



今朝、今まで懸案だった我が家の玄関のタイルを掃除した。
築30年の我が家をリフォームしたのは去年。
しかし、玄関のたたきのタイルは手を入れなかった。
そのため、タイルは黒いタールが一部にこびりついていた。

だが、30年だからしかたないかと半分あきらめていた。
それに、特にタイルがかけているわけではないし、使う上で支障はない。
ただ、玄関のアプローチとフロアをリフォームしたので汚れが多少目立っていた。

まず、玄関のたたきのタイルから掃除をはじめた。
はじめにざっとほうきで掃除をした後、シャワーでざっと汚れを洗い流す。
たわしとハイテク洗剤「汚れおち~る」を使ってごしごし洗い始めた。

短パンにシャツなので膝をタイルに付けて、ごしごし洗う。
タイルが水でぬれているので気持ちいい。

しかし、黒いタール状の汚れがなかなか落ちない。
2~3回あらってみてもだめ。
しかたがないので、たわしの根本にある金属製の「輪」の部分でこすってみた。
すると、きれいに落ちるではないか。
「輪」は、たわしをかけるだけでなく、汚れを落とすのにも使える

さて、たわしの「輪」が使えることが分かったので、今度は玄関の外のアプローチ。
こちらは、去年リフォームしたところ。
いままで、セメントの打ちっ放しであったところをタイルにした。

明るい色にした。
ちょうど写真のタイルの色をもっと薄くして、ざらっとした感じのタイルに。
ところが、明るくしたのはよかったのだが、汚れが目立つようになってしまった。
だが、タイルをたわしでごしごしきれいにしているうちに、だんだん楽しくなってきた。
金属(鉄)のさびは、落ちにくいのだがこれもたわしの「輪」を使うと少しずつきれいになる。
だんだん、「芸術家」のような気持ちになって「タイルを彫刻」している気分になってくる。

そのとき、

そうか、イタリア人は「きれいにすることを楽しんでいる」のだ。
そして、「きれいにした結果を見てもらうことも楽しんでいる」。
効率だけを追求して、「きれいになった結果」だけを重視していたが、そうではない。
きれいにするプロセスも十分楽しむことができる!

アッハ体験出来た私は、きれいにすることがますます楽しくなった。
「きれいにしなければならない」という義務感から、「きれいにすることも、見てもらうことも、楽しむ!」に変わった一瞬だった。

うちの玄関とアプローチは、我が家だけで使うのではない。
通りがかった人にも見てもらい、「楽しんでもらう」こともできるのだ。

自分が楽しみ、人にも楽しんでもらう。

イタリア人は人生の達人だ!




ウィンドウズビスタ(フリップ 3D)と受胎告知

2007-08-19 07:25:30 | Weblog
ウフィツィ美術館は圧巻だった。
ルネッサンス期の名作が集められ、そのどれもが素晴らしかった。

ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」・「春」
レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」
ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」
・・・・

ゆっくりと鑑賞するには、1週間は必要ではないかと思うくらいだ。

その中でも、私が注目したのがレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」である。
確か、イタリアに行く前に「世界不思議発見」で、モナリザについての問題があったように記憶している。
なぜ、レオナルド・ダ・ヴィンチがあれほど真に迫る絵を描くことが出来たかについての問題であったと思う?
正解は、当時禁止されていた「解剖」をダ・ヴィンチが行い、彼が人間の骨格、筋肉、目と脳を結んでいる視神経などについて正確につかんでいたからであったと記憶している。
つまり、モナリザについても、彼は骨格を組み立て、その上に筋肉をつけ・・・
というように実に精密に描きあげたことが想像されるのである。

多分、この予備知識がなかったらレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」についても、見過ごしていたかも知れない。
数年前、ルーブルでモナリザを見た時と同じように。

しかし、今回は「受胎告知」を見て、がーんと頭を打たれたような気がした。
その絵のテーマではない。
彼の絵の描き方とそれが及ぼす影響力の大きさについてである。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」については、上記の「受胎告知」をクリックすると検索結果が表示される。
「3」をクリックして少し下へスクロールすると、左側に小さく表示されるので、それを「拡大表示」していただけると、大きく表示される。
(絵そのものの解説は検索した2番目に詳しい)

この絵をご覧いただくと、右側に「聖母マリア」が描かれている。
その右手の指先が「聖書?」に触れているのがお分かりいただけるだろう。
びっくりしたのは、この「聖書」だ!

私は驚いて、この「聖書」から20~30cmの至近距離でじっくりと見据えてしまった。
たぶん、これは実物を見ないと分からないと思うが、それでもよく見ると何となく分かると思う。

いったい何に驚いたのか?
ヒントは、今回のタイトル「ウィンドウズビスタと受胎告知」にある。

この「聖書」実は、本の各ページが透明なのだ。
つまり、各ページが透けて見える。
分かりやすく説明すると、各ページは現代のクリアファイルのように、各ページがぱらぱらとめくれている様子(重なっている様子)が、透視して見えるのである。
そして、「聖書」全体としては、各ページが一体となった「本」としての体裁を保っている。

この時代にはクリアファイルはないはずである。
ガラスはあるが。
しかし、重なっているはずの各ページが透明なので、見通すことができる。

レオナルド・ダ・ヴィンチが本まで「解剖学」的に見ていることにびっくりした。
と、同時に「これ、ウィンドウズビスタと同じじゃない」と二度びっくり。

「ウィンドウズビスタ」は、「Windows Aero」インターフェイスを採用し、見た目と使い勝手が大きく進化したと謳っている。
特に、複数のウィンドウの切り替えが「Windows フリップ 3D」で、Windowsキー + Tabキーで立体的に回転しながら表示できる。
このとき、各画面は少しずつずれていて、上の画面から下の画面まで「見通すこと」ができるようになっている。
したがって、全体をすばやく検索し、目的の画面を表示させることができる。
今まで、いちいちタスクバーをクリックして、さらにその中から目的のウィンドウを探していたのとは使い勝手がまったく違う。
(この操作は、親切なヤマダ電機の店員に教わった。私はまだXPである)

そう、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」の「聖書」の描き方と「ウィンドウズビスタ」の「Windows フリップ 3D」が瓜二つなのである。

これから先は、あくまでも私の想像である。

マイクロソフトの技術者は、この絵を見てひらめいたのではないか。
もし、本の各ページが「透視」でき、見えたとしたら目的のページをすばやく検索できる!
それを、Windowsで実現できないか?
そして、実現した。

「レオナルド・ダ・ヴィンチ」というルネサンスの天才と、「マイクロソフト」という現代の天才。
ダ・ヴィンチは、天才であったから、私のような「凡人」には見ることのできない「各ページ」がそれこそ「透視」のように見ることができたに違いない。
そして、どのページに何が書いてあるかもわかっていたに違いない。

「マイクロソフト」は私のような「凡人」にも「ダ・ヴィンチ」並に内容を「透視」できるよう、新しいツール「ビスタ」を準備してくれた。
そして、新しいOSをイタリア語の“展望”を意味する「Vista」と名づけた。
さらに、「未来の“眺望”を呈示する」という意味で最新OSを「WindowsVista」と名づけた。

確かに、現代文明の基礎は、ルネサンスにあった。

その時代の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチのすごさに驚くとともに、そうした天才たちを支援してきたメディチ家の財力とその富の遣い方のすごさ、そして、その成果が現代文明の基礎となっていることをこの目と体、そして心を通して実感することができた。

しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチも、ローマの彫刻を見ていたはずである。
フォロ・ロマーノを見ていたはずである。
コロセウムを見ていたはずである。

人間に対する鋭い洞察と叡智。
そして、ローマ時代からの素晴らしい彫刻や建築物などの表現。
その基礎の上に、レオナルド・ダ・ヴィンチも立っている。

イタリアはすごい!

美の殿堂イタリア

2007-08-18 10:42:36 | Weblog
前回、「イタリアはどこを撮っても絵になる」と書いた。
実際、美術館の彫刻、絵はもちろんのこと、教会などの建築物、身の回りのもの、どれを撮っても絵になる。
美術館の絵は載せられないが、何点かをご覧いただきたい。

イタリアでは、そうした美がごく日常の生活にあふれている。
毎日、そうした環境で生活していると自然にセンスが磨かれるのではないかと思った。

もちろん、美術館や観光地を巡ったのでイタリアの中でも、美のポイントを中心に見たことは間違いない。
しかし、そうした美が精密な計算をして作りだされていることがすごい。



↑背景はかの有名なローマにあるコロッセオだ。
手前の木々も、手入れされているとのこと。




↑映画「ローマの休日」でも有名なトレビの泉。
思っていた円形とは違い、泉の形は方形であった。
彫刻の素晴らしさもあるが、この回りに集まる人々も生き生きとしていて楽しそう。




↑ミラノのヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアである。
世界で初めての「アーケード」とのこと。
建築としての美しさを楽しめるだけでなく、中央部のドームがまた圧巻。




↑フィレンツェのウフィツィ美術館近くで出会った、三輪車。
背景の街並み(工事中をのぞき)も美しいが、石畳がすごい。
ローマ時代からのものではないと思うが、「すべての道はローマに通ず」を思い起こさせる。



↑フィレンツェのドゥオモ近くの「路上のマリア」。
石畳の上にチョーク?を使って描かれている。



↑ミラノのドゥオモのステンドグラス。
私はキリスト教徒ではないが、自然と敬虔な気持ちになる。

次回は、ウフィツィ美術館所蔵のある絵を見て、びっくりしたことを書こうと思う。

まるで映画を見てるよう・・・

2007-08-15 23:39:34 | Weblog

イタリアには、ミュンヘンから飛行機を乗り継いで入った。
直行便の予定であったが、乗り継ぎ便に変わった。

しかし、これが「大正解」だった。

直行便なら、そのままミラノに入る予定だったのが、ミュンヘン経由だったのでエアバス(300人乗りくらい)から、ローカル線の小型機(100人乗りくらい)に乗り継いだ。
片側3席の小さなジェットだった。

私と妻は、ローカル線のジェット機の席に早めに座れたので、後から乗り込んでくる人たちを待っていた。
びっくりしたのは、乗り込んでくる人たちの服装だ。

まるで、映画を見ているよう。
ビジネスウーマンの黒のスーツがびしっと決まっている。
金髪で背は高く、すらっとしている。
鼻筋の通った美人。
しかも、足先から頭の先まで一本の線のよう。
身のこなしは、まるでモデルを見ているよう。

もちろん、ビジネスマンも素晴らしい。
スーツの線が実にきれいだ。
派手目のネクタイがこれまたスーツによく似合う。
シャツはカラーで、スーツ、ネクタイとぴたっと合っている。
すべての人が身長が高いわけではない。
むしろ、身長は日本人の男性とそれほど変わらないように思えた。
しかし、こちらもまるで映画俳優が登場したよう。

まるで、映画のワンシーンの中に入り込んで見ている気分。
ちょっと古いが、ショーンコネリーが美女と一緒に乗り込んで来たようであった。

おそらく、イタリアからミュンヘンへ出張したであろう方たちとたまたま便が一緒になったと思われた。

そうした方たちの素晴らしい着こなしを見て、これが本物のイタリアなんだとしばし呆然。
いつもなら、ジェット機の外に見える素晴らしいアルプスの写真を撮りまくるのだが、撮影するのさえ忘れてしまったくらいだ。
この1シーンだけでもイタリアへ来た価値はあった。



イタリアは、どこを撮っても絵になる。
今、考えると少しリスクを冒してでもニコンは持っていくべきであったかもしれない。
できれば、ニコンとサブにコンパクトデジカメの組み合わせがベストかも知れない。

コンパクトデジカメは、ニコンではリスクの高いところや夫婦のツーショットを撮ってもらうのに使う。
ニコンは、これぞと思うところのベストショット用だ。
ちなみに、ヴェネツィアのゴンドラの記念写真を撮ってくれたプロのカメラマンは、ニコンD200を使っていた。
これは、腕もあるだろうけれど、さすがと思わせるいい写真であった。

下の写真は、私が大好きになったカプリを高速船が遠ざかっていくシーンがあまりに美しいので、思わずシャッターを切った一枚である。


イタリア旅行をする前の「おすすめ準備(予習)内容」

2007-08-14 07:35:28 | Weblog
今回の海外旅行は、前回のドイツ、スイス、フランスを訪ねた旅行の反省をもとに計画した。

前回の旅行で、もっとも失敗したのは時間がなくて、地図を買えなかったことである。
今回は、その反省を生かして、次の3つのことをした。

(1)旅行社からの日程表に基づいて、シュミレーションをする。
(2)イタリアの観光地のおおよそをつかんでおくようにする。
(3)ガイドブックは全土、だいたいの都市の地図が添付したものを買う。

(1)グーグルアースを使って、空から先に観光地巡りをする。
グーグルアースを使えば、我が家を空から見ることも出来る。
そこで、この便利なツールを使って、旅程表に基づいてあらかじめ地理感覚を頭にインプットしておく。
このことは、今回の旅行で実に役立った。
イタリアを空から全体としてつかみ、訪れる各都市の順番通りにだいたいの方向感覚をつかんでおく。
さらに、今回はヴェネツィア(ベニス)に行くことになっていたので、ヴェネツィアを空から眺めてみた。
なるほど、ヴェネツィアは干潟に浮かんだ海上都市で、運河によってつながれていることが、よく分かる。
さらに、縮尺を大きくしてみると、サンマルコ寺院なども手に取るように分かる。
また、今回訪れたカプリがナポリの沖にあり、カプリ島の形まで分かって、「青の洞窟」がどのあたりにあるかもよく分かった。
こうした、全体としての俯瞰をつかんでおくことは、いつも自分を客観的に見ることが出来てよかった。
例えば、フィレンツェからナポリまでは、ユーロスター(イタリア版新幹線)に乗った。
ところが、このユーロスター、ローマのテルミニ駅でスイッチバックする。
それまで、進行方向を向いて走っていたのが、逆向きに走行をする。
しかし、グーグルアースで方向感覚はインプット済みなので、方向感覚が狂うことはない。
そのため、いつもイタリアの地図の中での自分のポイントが把握でき、自分自身をナビゲートでき、全体としてイタリアを理解するためにとても役だった。
グーグルアースは、実にいい。

(2)イタリアの見るべき観光地については、「すっごくイタリア」(東京創元社、1997年、1500円+税)が見るべきポイントを知るために役立った。

刊行は古い。
だが、内容は「新・旅の絵本」と銘打ってあるだけに、ほとんど絵で、それにコメントがついている。
見て楽しめ、読んで役立つ内容となっている。
いろいろガイドブックはあっても、万人向けなので著者の個性がない。
でも、このガイドブックは、著者の体験のみといっていい。
内容の絵自体が、著者の目を通してみたものだ。
それに説明がついているので、実に分かりやすい。
しかも、88頁に書かれているように「イタリアは、やっぱりこわい」など、著者がひったくりにあって、現地の人に警察に連れて行ってもらったことが、よく分かるように絵入りで描かれている。
絵ばかりでなく、写真も使っているが、イタリアの観光のポイントがよく理解できる。
102頁には、前にこのブログで私が書いた「青の洞窟」で、著者が2万リラもチップをくれと船頭に喚かれたこともこの本に書いてある。
こうした「情報」が一番役立つ。
リラとは古い。
まだEUではなかった時代だ。
それでも、この本が8版までいっているということは、内容が役立って楽しいし、イタリアを楽しめるよう、正確に書かれているからだろう。

(3)ガイドブックは地図付きの「トラベルストーリー34イタリア」(昭文社刊、1400円+税)が役立った。

これは、ガイドの内容そのものより、地図を重視した。
特に、イタリア全土の地図が出ているか。
各観光地の地図が出ているか。
グーグルアースで、全体の俯瞰は頭に入っていたので、各地の観光ポイントの位置関係や、各都市の概観を観光する前につかむのに役立った。
また、細かいポイントについて簡単な説明がついてるのも便利だった。
しかし、なにより役だったのは、ヴェネツィアで自由時間が45分ほどできたときだった。
リアルト橋まで行きたかったが、買い物もしたかったので、往復30分で時間が大丈夫かどうか不安であった。
しかし、このガイドブックがあったおかげで、だいたいの距離感と方向をつかむことができたので、安心して行くことが出来た。


これは、リアルト橋から見た、ヴェネツィアの中央を流れる「大運河」


これは、リアルト橋にあるお面やさんである。

それでも、ヴェネツィアは一歩道を間違えると、誰もいないような道に入ることがあった。
単独行動は控えた方がいいし、貴重品はあまり身に付けない方がいいと思った。

また、この本は帰国してから、観光地や美術館の絵、観光したところの位置関係を改めて確かめたり楽しんだりするのにも役だつ。
2度、3度と楽しめるのでおすすめである。

美と使いやすさを追求するイタリアンデザインの素晴らしさ

2007-08-13 12:31:02 | Weblog


これは、何だと思いますか。
なくてはならないものなのです。

ヒントは、サニタリーにあります。

尾籠な話で恐縮ですが、トイレで用を足した後に使います。
そうです、これは水を流すためのスイッチなのです。

はじめ、用を足した後「コック」を探しましたが、トイレの便器回りにはついていません。
当然、貯水槽はありません。
いったいどうやって「後処理」をすればいいのか困りました。

おそるおそる押してみました。
すると、「見事」後処理ができました。

考えてみると、超合理的です。
なぜなら、便器は本体のみですから、実にメインテナンスが楽なのです。
清潔な気持ちいい生活が出来る「秘密」はそこにあったのです。

しかも、スイッチは大きなパネルですから、押しやすく何より「美しい」。
こうしたところにも、イタリアンデザインがあるのです。



これは、見ての通りコンセントです。
しかし、私たちがふつう使っているコンセントとは違います。
プラグが差し込んであるところの左側の赤い線がついたところは、スイッチです。
そうなんです。
スイッチとコンセントがまとまっているのです。
そして、壁下のつかいづらい高さでなく、立ったままの姿勢で使える自然な高さについています。
(前回のテレビの写真の後ろを見てもらうと、壁にコンセントがあるのが分かると思います)
使いやすい高さと、スイッチがまとまっていることだけではありません。
プラグを見てください。
単なるプラグなのに、他の調度と合わせるかのように「金色」です。
それも、機能だけでないデザイン性のある形をしています。
もちろん、「集合コンセント」(勝手に私がそう呼んでいる)の回りも、金色に縁取られていて、にくいことにその色とプラグとコードの色は見事に一致しています。

こうした、「何でもない」ところにも、高いデザイン性能を求めているのが「イタリアンライフ」のようです。

何でもないと書きましたが、そうではないのです。
トータルなクオリティーははるかに高いのです。

使いやすさだけでなく、見て楽しむ。
そのことが、生活のあらゆる場面で徹底して大切にされている。
イタリアンライフとイタリアンデザインの素晴らしさに、感動してしまいました。



今回書いた文を見直していて気づいたことがあります。
それは、「集合コンセント」の高さです。
これもきわめて大切なことではないかと思いました。

大人の腰よりやや低いくらい(テーブルとほぼ同じ)の高さは重要です。
日本では、コンセントの差し込み口をふさぐ感電防止差し込み小物(プラスチック製)が売られていますが、この高さなら、幼児が間違って何かを差し込むことはまずないでしょう。

美しくて使いやすいだけでなく安全。
帰国してこのブログを書いていて改めて、イタリアンデザインの奥義にふれた思いです。



どこのホテルだったか忘れました。
そのホテルにも、こうした「集合コンセント」がついていました。
しかし、微妙に曲がっているのです。
少し、水平に対して右下がりであることが見て分かります。

しかし、なんだか不思議な安心感を覚えました。
そして、人間的な暮らしやすさを感じました。
「ノープロブラム」
そう言っているようで、ますますこの国が好きになりました。

イタリアンライフを実感することができたホテル

2007-08-12 11:17:28 | Weblog
イタリアでは、いくつかのホテルに宿泊した。
どれもよかったが、最初のホテルが最も印象に残った。

玄関は、どこにでもありそうなごくふつうのホテルであった。
しかし、一歩足を部屋に踏み入れてがらりと印象が変わった。
調度を見ると、どれもこれぞイタリアと思わせるこだわりのある目を楽しませてくれる素晴らしいものであった。
決して古くからある高価なものではないが、どれも美しい。

いわゆる☆☆☆などのホテルではないと思う。
しかし、どれもデザインにこだわりがある。
生活を楽しむ国、イタリアならではのものばかりであった。

最初に目についたのが、部屋の絨毯と椅子。
色づかいといい、椅子の色・デザイン、机の色など部屋にいてイタリアにいるんだなと感じさせてくれる満足のいくものであった。



ベッドカバーも金色で豪華な雰囲気をかもしだしている。
決して高価なホテルではない。
ガイドブックにも出ていないホテルであった。
しかし、今までに体験したことのない満足度であった。

次に目がとまったのが、バスローブが掛かっているハンガー。



シンプルなデザインながら金色に輝く美しさは、単なる生活の用具としての域を超えて、鑑賞できるくらいの領域に達している。
ベースの木目とハンガーの金色がよく調和している。

サイドテーブルもシンプルだが、スタンドの金色とともに実によく調和している。

背景のカーテンの部分的な赤は、絨毯の赤とマッチしてとても落ち着く。
この部屋にあるテーブルは、どれも外枠の濃いブラウンの中に薄いブラウンがある統一のとれたものを使っている。

そして、ゆったりと腰を落ち着けることの出来る一人用の椅子。

決して、広い部屋ではない。
当然スイートなんて高級な部屋ではない。
それなのに、ゆっくりくつろぐことができる楽しめる部屋なのだ。

最後にサニタリー。

部屋の中とがらっと色遣いが変わる。
ティシュペーパー入れは、シルバー。
トップは大理石。
その他のサニタリー用品はすべて白。
清潔感あふれるサニタリーである。

とにかく、いるだけで楽しい。
生活していて気持ちいい。
これが、イタリアのホテルであった。



もうひとつ、この写真もご覧いただきたい。



テレビの下の回転テーブルがガラス製である。
そのため、スタンドの照明でグリーンに光っているのだ。
(カメラの感度が低いため暗い感じだが、実際には宝石のように輝いている)
部屋が暗くなっても楽しむことができる。
それがイタリア流の生活の楽しみ方なのだと思った。

このホテルは、日本からの移動だけでほとんど何の観光もないまま、最初に宿泊したホテルだった。
しかし、心からイタリアに来たんだなと実感した。



イタリアでは、ホテルで枕チップをあげてくださいと添乗員さんから教えてもらった。

一人1ユーロ(170円前後)でいいとのこと。
この最初に宿泊したホテルだけでなく、すべてホテルで清潔感のある最高のサービスをうけることができた。
添乗員さんによると、そうしたサービスをしてくださる方はチップで生活を支えているとのこと。

イタリアのホテルのサニタリーは、どこもビデと便器とセットであった。
ビデはもちろん女性用。
そこで、リンゴを冷やした方があったということだが、それほど清潔なサニタリーであった。

こうした、清潔な気持ちのよいイタリアンライフを提供してくれるのがチップで生活を支えている方たちである。

見て楽しめ、生活して気持ちいいサービスに、
”Grazie”(イタリア語で「ありがとう」)
とメモして枕チップを置いてきた。

海外旅行に役立つ機内持ち込み用ビニール袋:その他お役立ちグッズ

2007-08-11 12:33:33 | Weblog
前回、カプリ島の「青の洞窟」が素晴らしかったことを書いた。
この写真は実は愛用のニコンD80ではなく、息子から借りたキャノンのイクシデジタルで撮影したものだ。

私はニコンをどうしても持っていきたかったが、妻が朝日新聞のナポリ特派員?の記事を見て、持っていかない方がいいと説得されたからだ。

記事には、確かに記者がニコンをナポリの町中で持ち歩くのはやめたほうがいいと、現地の人にアドバイスされたと書かれていた。
イタリアは好きだが、このツアーの訪問地各地で添乗員さんに貴重品は肌身離さないようアドバイスされた。
ホテルの部屋にある「金庫」さえ信用してはいけないとのことであった。

ツアー中、同行した人たちはみな朝食などでも貴重品は持ってきていたようだった。

そうした状況では、確かにニコンで撮りたいが、神経を使うのはいやだったし、「貴重品」をコンパクトに収納できないのはやはり最大の問題だった。

その点、キャノンのイクシデジタルならポケットにも収まる。
さらに、妻の助言通りコンパクトデジカメにしてよかったのは、「青の洞窟」に入るためには、小船に乗るとき防水対策が簡単にとれたことだ。
添乗員さんが、
「デジタルカメラは、せっかく記録されたデータを守るため防水対策をされることをお勧めします」
と適切なアドバイスをしてくれた。

そこで役だったのが、機内持ち込み制限用に購入した縦横17cm×12cmのチャック付きのビニール袋だった。
(制限の最大は、縦横20cm×20cmでこれはテロ対策である)

チャックつきなのは、液体がこぼれないようにするためであろう。
そして、同時に透明で中が見えなければならない。
これは、出発の数日前に100円ショップで35枚入りを105円(税込み)で購入した。
(機内では、どうしても水分が不足するので、栄養ドリンク剤を入れるために購入した)

これが、内容物(液体)がこぼれないようにするだけでなく、海水が入らないよう中に入れたカメラを守ることにも役だったのである。

実際、「青の洞窟」は写真のように入り口が小船1そうがやっと、それも乗客は寝そべらないと入れないくらいの大きさ(直径1mくらい)である。
寝そべっている人は、これから入ろうとする人。
岩についているくさりを船頭さんが伝って、中に入る。
中央の小船は出てきたところである。



(私は、船頭さんの言いつけを守らないで、ずいぶん手をひっぱたかれた(笑)。船縁を手で握っていたからだ。狭いので、出入りの時岩にぶつかると思わぬけがをする。愛の鞭である。お世話かけました。チップを倍出してもよかった?)


私たちは、幸いにも海水にぬれることはなかったが、後から入ってきた人の中には、波が後ろからざんぶと船に入って、頭や身体を濡らしていた方もおられたので、添乗員の方のアドバイスが実に適切であったことが分かる。

もちろん、息子から借りたイクシデジタルも安全だったことは、この写真が証明している。

デジカメを守ったこの「チャック付きビニール収納袋」は、他の場面でもいろいろ活躍した。

例えば、ホテルが無料で提供してくれる石けんや、インスタントコーヒーのあまりをパックにして持ち帰ることができたり、使い残しの石けんをいれて持ち帰って今も我が家で使っている。

使い残しの石けんも、このチャック付きビニール袋なら水漏れの心配はないから安心して持ち帰ることが出来た。
しかも、小さいので、トランクに入れた服と服の隙間などのスペースを無駄にしないできちっと入れることが出来た。
持ち帰った、使いかけの石けんは、素晴らしいホテルライフを我が家の浴室で使うたびに思い出すことが出来、2度3度と旅を楽しんでいる。

海外旅行される方は、ぜひお持ちになることをお勧めする。

次回は、素晴らしいイタリアのホテルについてご紹介したいと思う。
イタリアンデザインとはこういうものだということが、よく分かった。

*なお、ニコンのデジタル一眼D80やD200など屈強な欧米人は、ローマやミラノなどの各都市で持っているのをみかけた。ナポリでは、心配だったが、他の都市ではそれほど心配いらないかもしれない。ただし、持って行かれるかどうかの判断は、よく相談された方がいいだろう。

*イクシデジタルはよかったのだが、1日電池がもたなかった。そのため、ポンペイの遺跡を撮ることができなかった。残念。(交換電池を購入しておけばよかったのだが・・・)それまで、携帯を毎日持っていたのに、「青の洞窟」でぬれて使えなくなっては困るのでトランクに入れておいたのだ。携帯は、通話やメールのためではない。ただ、現地時間を知るために持ち歩いていた。しかし、デジカメの電池切れの予防策として、携帯のカメラがあることにその時気づいた。案の定、ローマでは写真を撮りすぎてデジカメの電池がなくなったが、携帯のカメラがバックアップカメラとして役立った。携帯は、通話しなくてもカメラとして使える。1週間程度の旅行ならお持ちになることをお勧めする。

*携帯のカメラを使うためには、電圧変換器が必要となる。はじめ、ニコンを使う予定で欧州仕様のコードをメーカーにもあたっが在庫がなかった。ニコンD80は、充電器が200Vにも対応しているので200V対応コード1本(1000円くらい?)で使えたのだが、在庫がないのでは仕方がない。しかし、結果的に電圧変換器の方がよかった。携帯、デジカメ、ザウルスとさまざまな機器の充電に使えたので便利だった。少し、大きいのが邪魔だが。これは、ネットで探したがヤマダで、2600円くらい?で購入したのが一番よかったと思っている。