前回、
東風のあさ
梅の香ほのか
和の二階
こちのあさ ko chi no a sa
うめのかほのか u me no ka ho no ka
わのにかい wa no ni ka i
という俳句を作ったことは、既に書いた。
私は、この句をつくった体験をしたとき、次の和歌を思い起こした。
東風吹かば
匂いをこせよ
梅の花
主なしとて
春な忘れそ
こちふかば ko chi hu ka ba
においおこせよ ni o i o ko se yo
うめのはな u me no ha na
あるじなしとて a ru ji na shi to te
はるなわすれそ ha ru na wa su re so
菅原道真
菅原道真は、今から1000年以上も前の有名な漢詩人であり政治家である。
平安時代の人物であり、菅原道真は京の都から、九州の太宰府に左遷され、この地で没した。
讒訴(ざんそ)であったため、道真の死後、天変地異が多発したことから、道真の恨みによると考えられ、京や太宰府でたたりを鎮めようと天満宮を建立した。
それが、天神様となり、天神信仰として全国に広まった。
この和歌は、道真が讒訴され、京の都を去るときに詠んだといわれている。
前置きが長くなったが、道真も1100年以上も前に私と同じ体験をしていたことに驚いた。
同じ体験というのは、梅の花の香りを東風が運んでくれて、美しい春のひとときを過ごすことができたということである。
その体験があったから、
「東風吹かば」は、道真が京都で、梅の花の香りを私と同じように体験したことを、そのまま歌にしたと確信したのである。
つまり、文字通り東風が吹いたら、梅の花は、その香りを一層引き立てて、優しいほのかな香りを私(道真)に届けてくれた。
私が京にいなくなっても、主(私)を忘れることなく、優しいほのかな香りを私(道真)に届けてほしい。
太宰府にまでも。
本当に、この美しい京の都と梅の花の優しいほのかな香りのする京の都から離れるのが残念でならない・・・
と、理解出来るのだ。
1100年以上も前の平安時代の人物の心情を理解出来る言葉は、おそらく日本語を除いてないのではないか?
同じ形の日本語として続いているから。
しかも、自然観は現代の日本人とそんなに変わっていない。
道真は梅に「主(私)を忘れることなく、優しいほのかな香りを私(道真)に届けてほしい」と詠んでいる。
つまり、梅も人間のように同じ生物としてコミュニケーションが出来ると信じている。
この自然観は現代日本人の自然観とほとんど変わらない。
こうして、1000年以上も前の菅原道真とほぼ同じ気持ちを、同じ日本語で共感できるのは、奇跡としかいえない。
和の国へいらしたら、この国の「和歌」にもぜひあたっていただきたい。
そうすれば、和の国の人々の「魂」が少しも変わっていないことに、気づかれるはずだ。
1000年以上も前の和の国の人と心を通わすことができる奇跡に、あなたは驚嘆されるはずである。
身近なところでは、百人一首にあたられることをお勧めします。
「ちはやふる」という百人一首の競技を描いた映画もあります。
perfumeさんは、この映画の主題歌「FLASH」を歌っています。
(^J^)
映画『ちはやふる』主題歌「FLASH」(Perfume)PV
残念ながら、「東風吹かば・・・」は、百人一首には採取されていません。
理由を調べると面白いですよ。
(^J^)