リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

論理的・科学的思考ができなかった日本人 - そんな中で見えてきた曙光 -

2012-12-28 23:01:57 | Weblog

前回、鎖国がもたらした不幸について書いた。

 

つまり、鎖国が情報の集積と拡散を阻んだことによって、革新が制限され、そのためにこの国は、その代償を今まで支払い続けているということを書いた。

 

革新が生まれないのは、そもそも情報がないことが大きい。

また、経験値がないことも大きい。

そして、最も重要なことであるが、物事を論理的かつ科学的に考えていくという訓練がされていないことが大きい。

 

サッチャー氏を映画化した「マーガレット・サッチャー鉄の女の涙」を見ると、英国議会の場面が出てくる。

この場面だけを見ても、この映画は価値があると思っている。

 

何が言いたいのか?

 

英国議会の徹底した討論である。

 

現実には、それだけで決まらないところは多々あると思うが、問題に対して相手を説得できるかどうかが、きわめて重要であると言うことが分かる。

 

それと比べるとどこかの国の国会は、きわめて幼い。

 

冷静かつ論理的かつ科学的に議論していない。

どうして、そういう結論又は主張になるかが理解できないから。

 

こうなってしまったのには、訳があると考えている。

 

黒船来航以来、我が国民はパニックに陥ってしまい、未だにそこから抜け出られないのだ。

 

時代を当時に移す。

 

<黒船が来港した当時>

 

黒船つまり鋼鉄船がどうして浮くか考えられなかったから、吉田松陰はじめ当時の日本人はみな驚いた。

その様子は、当時の有名な川柳にもうかがわれる。

 

「太平の眠りをさます上喜撰(蒸気船)たつた四はいで夜も眠れず」 *上喜撰=お茶

 

たった4隻で夜も眠れなくなってしまったのだ。

 

現代で言えば、なぜ旅客機が飛ぶのか、理解できない人は飛行機に乗るのをためらう。

 

科学的につまり論理的に考えなければ、なぜ空中に浮くのか理解できないから、搭乗するのをためらうものと思われる。

 

当時の黒船つまり鋼鉄船では、何故、鉄が水に浮くのか理解出来ないから、ただただびっくりしてしまったのだろう。

 

何故、鉄が空中に浮くのか。

何故、鉄が水に浮くのか。

現代では、直感的には理解できないことでも、論理的にかつ科学的に考えれば理解できる。

 

しかし、江戸時代の日本人の多くは、あまりにも突然、黒船つまり鋼鉄船が現れたので、思考停止に陥ってしまった。

 

悪く言えば、これよりずっと思考停止に陥ってしまったのではないかと思うほどだ。

 

論理的かつ科学的に考える「情報」も「訓練」も「素養」もなかったのだから、仕方がない。

 

しかし、明治維新以後、真剣にこうした論理的かつ科学的に考える「訓練」を行った形跡がない。

 

大学を見れば分かる。

 

こうしたことがちっとも訓練されていない。

 

やってきたことは、ただ単に「情報」を仕入れることだけだ。

 

そんな大学を出ているから、社会で自分の考えを冷静かつ論理的かつ科学的に説明できない。

 

国会が全てを物語っている。

 

嘘だと思ったら、映画「マーガレット・サッチャー鉄の女の涙」をごらんになることをお勧めする。

 

自分の考えていることを、冷静かつ論理的かつ科学的に議員に説明できない人が、どうして諸外国と交渉できるのか?

自分のポリシー(政策)を、冷静かつ論理的かつ科学的に、相手が納得するまで説明できない人が、どうして国民を説得できるのか?

 

よく分かると思う。

 

 

 

しかし、そんな中で曙光が見えてきた。

 

2012年12月27日の朝日新聞の記事である。

 

「東通に活断層」維持

東北電の反論を否定

原子力規制委員会

 

と題する、5段の記事である。

 

リードに、「東北電は問題の断層が活断層である可能性を否定したが、(原子力規制委員会の)評価会合は根拠が薄いと判断、従来通り活断層の可能性が高いとの見解をまとめることに決めた。」

 

とある。

 

問題は、その過程なのだが、本文を読んでいくと、

 

前回の評価会合で、専門家らは活断層の可能性が高いと判断したが、東北電力の反論を聞いた。

それによると、地表近くでは地層がずれて活断層のように見えるが、地下深部では岩石のように固まっていると主張した。

 

それに対して、専門家らは、

(1) 活断層の末端では地下深部が固結している場合もある

(2) 活動度が低い横ずれ断層は地形に明瞭には表れない

(3) これほどの規模のずれが膨潤で起きた例は国際的にもほとんどない

と指摘したが、東北電力は明確な再反論ができなかった

とのことである。

 

規制委員会の島崎委員長代理は「敷地内に活断層があると我々は考えている」と明確に述べる一方、

東通原発に限らず、敷地内の断層が活断層である可能性が指摘されている原発について、電力会社は今後、その可能性がないことを科学的に示すべきだとの考えを示した。

 

としている。

 

この記事は、原子力規制委員会の会合での討論が、きわめて科学的かつ論理的かつ冷静に行われていることが我々に分かる。

 

科学的かつ論理的かつ妥当な「反論」ができるならば、電力会社側の主張が通るし、そうでなければ、通らないというきわめて明確な「結果」が示されている。

 

科学的だから、誰が何回同じことを繰り返しても同じ結論になる。

でなければ、それは科学的ではない。

また論理的でもない。

 

私たちが知りたいのは、こういう情報なのだ。

 

映画「マーガレット・サッチャー鉄の女の涙」をご覧になると、英国議会はこうしたプロセスを不断に繰り返して努力していることが見て取れる。

論理的かつ、科学的かつ、冷静な議論から導き出された結論には、誰もが納得できる。

 

「太平の眠りをさます上喜撰(蒸気船)たつた四はいで夜も眠れず」

 

は、もう二度と繰り返してほしくないと願うのは私だけだろうか?

 


 

 

今年もご愛読いただきありがとうございました。

来年は、健康や旅のことなども取り上げていきたいと思っています。

皆さん、よいお年をお迎えください。

 

 

 

 

 


鎖国の代償を144年支払い続けている国  - 徳川「軍事政権」が制限した「情報」の集積と拡散 -

2012-12-10 13:29:13 | Weblog

 

鎖国の代償とは、何か?

 

そもそも徳川幕府が鎖国したのは、他の勢力を圧倒的な軍事力で制圧して、政権の安定を図りたかったからである。

 

ここで言う軍事力とは、火薬の原料となるチリ硝石の独占である。

火薬は、当時の軍事力の中心、鉄砲の必須品である。

 

火薬を独占することが出来れば、容易に他の勢力を圧倒することができたのは、理解できる。

 

だが、私はチリ硝石とともに独占したものがあると思っている。

それは、世界情勢という「情報」である。

 

その結果、何が起こったかというと、世界情勢という「情報」がほとんど「政権中枢」に限られ、ほとんど庶民には重要な「情報」が伝わらなくなったのである。

 

だから、幕末にペリーの黒船が来航して、びっくり仰天することになったのだ。

 

この国は、鎖国(1639年)からペリー来航(1853年)までの200年以上の鎖国の代償を、明治維新以来、今日になるまで144年間支払い続けていると言っていいと思っている。

 

その間、何の責任もない我が国民と近隣諸国民を巻き込み、多くの犠牲を強いながら。

 

そして、今、東日本大震災による原発事故を起こしたのもの、もとをただせば、徳川幕府が鎖国をして、チリ硝石と「情報の独占」を図ったからだと考えている。

 

幕府が「情報の独占」を図った結果、庶民には他国の「情報」が入らなくなり、「革新」が生まれなくなり、欧米に比較して、大きな遅れをとることになったからである。

 

徳川幕府が政権の維持を図ったばかりに。

 

 

 

我が国が鎖国をしている間、イギリスでは何が起こったか?

 

産業革命が起こったのである。

しかし、私は、産業革命よりもそれ以前の農業革命の革新の影響が大きかったと考えている。

 

何故か?

農業革命によって、生産力を増した農村では、労働力があまり、余った労働力は都市へ向かった。

彼らが、産業革命の屋台骨を支えたのは言うまでもない。

しかし、それよりも大きいのは、余った労働力が手に入れた「時間」が大きかったと考えている。

 

彼らは、その時間を何に使ったか?

 

それこそが、蒸気機関や水力紡績機などさらに余った「時間」を増大させる革新的な技術を生んだと考えている。

 

実際には、農業革命がこれらの革新を生み、それがさらに農業革命を推し進めるという相乗作用を起こしながら、飛躍的な革新を生む増幅作用があったと考えている。

 

このとき、こういった情報の拡散ないしは、広がりをもっとも制限してしまうのは何か?

 

我が国では、江戸幕府という「軍事政権」である。

我が国は、鎖国により、「軍事政権」の力が維持されてきた。

それにより、情報の集積と拡散が制限されたのである。

 

ところが、イギリスでは、すでに、1641年頃からの清教徒革命の反省があった。

それは、陸軍が清教徒革命において決定的な役割を果たし、利益集団として「権勢」をふるい、多数の勢力が「粛正」された。

その反省として、「軍は政治権力」を持つべきでないとの思想が共有されたのである。

「軍事政権」ではないため、情報が拡散されやすかった。

言い換えれば、情報が共有されやすかった。

 

農業革命や産業革命が起こりやすいのは当然である。

それらの革新の根本は、情報の集積と混沌のなかから生まれる「革新」だからである。

我が国が「鎖国」の代償を未だに支払い続けているのは、この決定的な情報の集積と拡散を「軍事政権」が阻んだからである。

 

自らの政権維持のために。

 

そのために、我が国は明治維新の内乱で多くの尊い命を失った。

日清・日露戦争とそれに続く太平洋戦争へと続く周辺諸国を巻き込みながらの「暴走」。

そして、広島・長崎の原爆投下による敗戦。

 

それら、全ての根本は、「鎖国」にあったと考えている。

 

もし、鎖国がなく世界情勢についての「情報」がより多くの庶民や国民に「共有」されていれば、吉田松陰のような人物があと100人はこの国に生まれたであろうと思う。

 

そして、我が国の歴史も大きく変わっていったと考えられる。

 

いやな言い方であるが、我が国民は、「鎖国」のためにずっとあがき続けて来たと言える。

そして、今も。

明治以来、144年間も。

 

何で、間違えたのか?

 

ものの考え方が、イギリスと日本では400年も違ったからである。

イギリスでは、「情報」こそが、世界を変えていく根本であると言うことが、「清教徒革命」の時代から共有されている。

そういう国とそうでない国の差を、たかが100年や200年で埋められるはずがない。

民意のレベルで違いが歴然としている。

(具体的には、この国では未だに国に「してもらう」という人が多い。そういう人たちのよく使うフレーズは、「してくれない」である。ニュース番組の街頭インタビューを聴いているとよく聴く。よらしむべししらしむべからず(誤った意味での)の考え方に未だに甘んじている人がたくさんいる。サッチャーのように国のために何が出来るかという考え方でなくて。よらしむべししらしむべからずについては、項を改めて書きたいと思っている)

 

もちろん、イギリスを含めヨーロッパからはアメリカ大陸へその流れが引き継がれている。

 

もうお分かりでしょう?

 

ネットつまり「情報」に対する考え方が、全然違う。

つまり、「情報」こそが、世界を変えていく根本であるということが400年も前から共有されているイギリスを始めヨーロッパ。

アイホンやiPod touchがアメリカで誕生したのも歴史的必然性を感じることができる。

 

未だ、ネットを制限する多くの国。

それは、この項で述べたように、我が徳川幕府と変わりない「軍事政権」なのである。

 

「軍事政権」が続くことの代償は、長々と述べた通りである。

 

あなたは、情報の収集と拡散が制限される「軍事政権」あるいは、軍事政権もどきの下で生きていきたいですか?

 

革新がまったくないか、革新が制限された国。

つまり、アイホンやiPod touchを使えなかったり、プリウスに乗れなかったりする国で。

エネルギー利用の「革新」もなく、原発がいつまでも使い続けられる続ける国で。

 

 


 

 

 

ちなみに、5年先にどうなっているかの状態が決まっていないと言うことは、今何をするかも決まっていないと同じことだ。

 

前に、このブログで書いたが、私は5年先にどうなっていたいかを書いている。

今それは、ザウルスからiPod touchに変わったが、いくつかの目標を定めている。

 

そうしないと、今何をすればいいか分からないからだ。

 

目標を定めれば、今何をすればいいかが分かる。

 

成功している人たちは、みなそれをしている。

 

5年先にどうなっているかをイメージしてそれを書いていないということは、今から5年間何もしないこととイコールである。


暴走系と非暴走系、あなたはどちらを選びますか?

2012-12-03 21:23:41 | Weblog

バックミラーなし自転車は「暴走系」

 

前回、ベンツをママチャリにする方法を書いた。

ママチャリにバックミラーをつけると、走行が安定することを書いた。

バックミラーのないママチャリは特に車道を走るときは、非常に危険である。

なぜなら、「車両」なのに「安全」に後方確認できないからだ。

ママチャリだけでなく、全てのバックミラーのない自転車について言える。

 

安全に後方確認できない「理由」については、前回書いたが、再度確認する。

人間の処理能力は一度に2ないし3つである。

ところが、バックミラーなし自転車で後方確認するときは、4つに増える。

(1)  前方の安全確認

(2)  ふらつかないようハンドルを小刻みに切る

(3)  車体が転倒しないように、ペダルを一定速度以上になるようこぐ

(4)  (1)~(3)のことを同時にこなしながら、さらに首を後ろに向けて後方を確認する

 

バックミラーのない自転車は同時に4つをこなさなければならない。

こうした自転車が、走行中の車の前に急に歩道から出てきたり、もしくは駐停車中の車両をよけようとして、車道中央よりに急に出てきたりして、接触事故や死亡事故を引き起こす。

 

バックミラーなし自転車は、明らかに「暴走」している。

その原因は、一度に3つや4つの処理を同時にすることは、普通の人間には出来ないからだ。

つまり、バックミラーをつけないため、車道ないしは歩道を走行して後方確認するとき、新たな処理が(4)1つでですむところを、(1)~(4)の処理までを新たに同時にしなければならなくなる状態にしてしまっているからだ。

言い換えれば、後方確認が加わることにより、「情報を安全に処理できないような無理な状態」をわざわざ作り出して、「車両」として走行しているからだ。

 

こうした自転車を私は「暴走系」と呼んでいる。

 

ハイブリッドでない単なるエンジン車も「暴走系」

 

ハイブリッドでない単なるエンジン車がなぜ「暴走系」なのか。

それはスピードをコントロールしにくいからである。

特に、発進時や減速時において。

 

排気量の少ないエンジン車においては、止まった状態から重い車を一定の速度まで引き上げるのに、エンジンを強くふかさねばならない。

それは、エンジンの排気量が小さいと、大きな力を発揮することが難しいので、その分をエンジンの回転数を上げてカバーするからである。

 

ところが、エンジンは、もともと回転数を上げるのも下げるのも難しい。

 

そのため、発進時のように大きな力を要するときは、どうしても非力のエンジンの力を補うために、どうしてもアクセルを深く踏み込みがちである。

コンビニなどに駐車しようとした車が、アクセルを強く踏み込みすぎて、店内に突っ込むというのは、そうしたときであると考えられる。

また、強くアクセルを踏み込む「癖」がついているため、あわててブレーキを強く踏む際にも強い力で、そのまま間違ってアクセルを踏み込んで「暴走」してしまう。

 

こうした場面でなくても、発進時ついついエンジンの回転数が上がらないため(プリウスならアクセルを強く踏み込まなくてもモーターの力も借りて、すーっと一定速度になれるのだが)アクセルを踏み込む。

こうした、場面で前車が急減速すると急ブレーキを踏まねばならない。

ところが、エンジン車はこうした場面でなかなかエンジンの回転数が下がらない。

エンジンが回転しようとする惰性が働くからだ。

つまり、急減速に弱い。

 

逆にこうした特性を利用したのが、急な坂を下るときに利用する「エンジンブレーキ」である。

エンジンの駆動力が車輪の回転と同期しているため、車を押し下げようとする重力の力に「エンジン」が一定速度で回転しようとする力が対抗して、車を制動する。

 

つまり、エンジン車はどちらにせよ人間が「制御」するのが難しい。

 

前々回の記事と前回の記事を書いて、よく考えてみると、いままでよくもこんなに「制御しにくい乗り物」に乗っていたなと、我ながら感心した。

 

走るに走れず、止まるに止まれず。

明らかに単なるエンジン車は、バックミラーのなし自転車と同じ「暴走系」である。

 

ママチャリなどバックミラーなし自転車も、車の単なるエンジン車も、同じ仲間の「暴走系」である。

 

世の中には、暴走系と非暴走系がある

 

こうして考えると、世の中には「暴走系」と「非暴走系」があることになる。

中間のものもあるけれど、単純化して考えることにする。

例を挙げると下の表のようになる。

 

暴走系

非暴走系

    バックミラーなし自転車

   単なるエンジン車

   原子力発電所

   初期のパソコン

   自転車通行帯のない道路

  ホームドアのない駅

   ・・・

   バックミラーあり自転車

   プリウスなどバイブリッド車やEV

   太陽光発電所

   iPod touchやアイホン

  自転車通行帯のある道路

   ホームドアのある駅

  ・・・

 

暴走系と非暴走系の最大の違いは、「制御」できるかどうかである。

そして、暴走系は制御できないか、しにくいので、制御に「弱い」ことである。

バックミラーなし自転車が、後方からの接近車両に対応できないのが「制御」に弱い一つの例である。

逆に非暴走系は、「制御」がたやすい。

アイホンやiPod touchがその例である。

 

「暴走系」か「非暴走系」見分けるこつは、

(1)スマート(賢い)かどうか?

(2)美しいかどうか?

(3)かっこいいかどうか?

(4)強いかどうか?

(5)パフォーマンスが高いかどうか?

  (パフォーマンス:本来の語義どおり「完全に遂行すること」という意味で)

(6)費用対効果が高いか?

   一言で言えば、割安か?

   払った金額の2倍も3倍・・・・も効果を発揮しているか?

もちろん、これらにあてはまるものが「非暴走系」である。

 

 

多分、いろいろなもの、組織、国家などどちらかの範疇に入るのではないかと思う。

 

「暴走系」を間違って選んでしまったら、結果はどうなるか、多くのニュース映像やヤフーヘッドラインのニュースなどで明らかである。

 

「非暴走系」は「制御」がたやすい、つまり変化に強いから人に優しい。

 

 

究極の「非暴走系」は、アメリカの誇るバイク「ハーレーダビッドソン」だと思っている。

 

あのおなかに響いてくるような「ブォロブォロブォロブォロ」という低いエンジン音。

あの音を聞いて、逃げたくなる人はいない。

むしろ、どんな音楽より身体の芯まで快感を味わうことができる。

そのために、ハーレーダビッドソンに乗っていると言っても過言ではないのではないか?

 

そして、低く抑えられたスピードで「安全」に走行する。

(ハーレーダビッドソンが「暴走」しているのは見たことがない)

 

非暴走系すなわち、「制御」された究極の美の体現である。

 

ハレーダビッドソンこそ強さのシンボルである。

 

あなたはどちらを選びますか?

 

「暴走系」それとも「非暴走系」?

「非制御系」それとも「制御系」?

「コントロール出来ない系」それとも「コントロールできる系」?

 


 

 

次回は、この記事をさらに推し進め、我が国が戦前の軍部の「暴走」をなぜ止められなかったを書く予定である。

 

答えは、軍部と財閥ないしは企業が「利権」で結びついていたからである。

〇〇を占領したら、ここは〇〇が独占して工場ないしは、市場を独占するというような密約があったからである。

 

しかし、私はもっと深刻で重大な問題があったと考えている。

 

国民も、リーダーも、「歴史」をもっと深く読み解かなかったからであると考えている。

 

このあたりを次回は書く予定である。