クレーター
宙に突き出る
月離陸
くれいたあ
そらにつきでる
つきりりく
ke re i ta a
so ra ni tsu ki de ru
tsu ki ri ri ku
*ここでいう宙(そら)とは、もちろん宇宙のことを指している。
11月15日放送のTBSテレビNスタで、キャスターのホラン千秋さん(注1)を見ていて、さすがと思ったことがある。
7日月くらいの半月が大写しになったモニターをご覧になって、月の左側の上弦部分つまり月の日の出部分に、
「クレーターがありますね」
とおっしゃっていた。
クレーターは月の左端のほうに写っていたが、ふだん肉眼で見る月ではよくわからない。
テレビカメラでアップして大写しになっていたので、私も注目していたら、さすがホラン千秋さん、指摘しておられた。(注2)
月のクレーターの巨大さには、満月に近いスーパームーンの下の端、月の日の出部分に、クレーターが宇宙に突き出している様子にびっくりしたことがある。
その時出来た俳句が、以前本ブログにアップした
であった。
しかし、長い間この句は自分が見たものとは何か違うと感じていた。
自分が表現したかったのは、月のクレーターが宇宙に突き出している巨大さだということに、ある時気づいた。
月には大気がない。
だから、クレーターの麓(ふもと)からまるまる宙、文字通り宇宙に突き出ている。
見慣れたISSからの地球の写真や動画とは全く異なる。
宇宙に突き出したクレーターの巨大さに驚愕したのだ。
そして、自分はそのことを句にしていないと気付いた。
ホラン千秋さんの一言を聴き、添削した自身の句を、さらに修正して出来たのが、
クレーター
宙に突き出る
月離陸
である。
デンマークの天文学者ティコ・ブラーエも月のクレーターの巨大さに驚愕していたと思う。
そして、どうして月は大きく見えたり、小さく見えたりするのだろうと疑問を持ったと思う。
天動説の通り、月は地球の周りを回転していることは間違いなにせよと。
さらに、天動説が真実なら、地球以外の天体は地球の周りを円運動をしている。
そうならば、月が大きくなったり、小さくなったりするのはなぜなのだろう?
惑星はどうなのだろう?
と、ティコ・ブラーエは考えたのではないか。
ティコ・ブラーエの凄いところは、多分それを確かめるためにほぼ肉眼だけで、自身で、観測し、記録し続けたことである。
ティコ・ブラーエは、完全には地動説に考えをまとめ切ることは出来なかった。
だが、そのティコ・ブラーエの記録をもとに、惑星は太陽を1つの焦点として楕円運動をしていることを数式にまとめ上げたのが、ティコ・ブラーエについていた数学者・天文学者ケプラーだった。
こうして、惑星の逆行(見かけ上東から西に逆に動いて見えること)などを十分説明できない天動説は、説得力を失った。
誰でも月が大きく見えたり(スーパームーン)、小さく見えたりすることには気づく。
また、幸運に恵まれて、肉眼で月のクレーターが巨大であることを見て、驚愕する。
実際、肉眼でなくとも双眼鏡をカメラの三脚に取り付けて、揺れないようにして両眼で月の日の出の付近を観測すると、月のクレーターが宇宙に突き出す巨大さにびっくりする。
しかし、ティコ・ブラーエは、多分その驚愕をそのままにしないで、望遠鏡や双眼鏡もない条件で、自らの肉眼だけで、驚愕から生まれた疑問に対する答えを出そうとしたのだと思う。
そしてその思いは、カシオペア座の超新星SN 1572 (1572年)の発見につながったのではないか。
しかも、ティコ・ブラーエはこの超新星を14カ月間も肉眼で観測した。
ティコ・ブラーエがケプラーとともに偉大な業績を生み出したのは、巨大な月のクレーターが宇宙に突き出して屹立してそびえている様子を自身の肉眼で目の当たりにしたからではないかと勝手に想像している。
ティコ・ブラーエには深い尊崇の念を抱く。
自分の考えを確かめるために、自分の目を信じて、助力(ケプラーなど)を得ながらも、まっすぐ突き進むその一途な生き様に。
先入観、既成概念、教科書、他人の意見などから自由になって、ありのままに見ることができるティコ・ブラーエには感嘆する。
あなたも和の国で、ホラン千秋さんのように、あなたの目で、ありのまま、月の巨大なクレーターを見て、ティコ・ブラーエの思いに触れてみませんか?
(^J^)
(注1)ホラン千秋さんについては、ウィキペディアの解説をお読みいただくことをお勧めします。人物の最後まで読まれると笑ってしまいます。私はこれで、一気にホラン千秋さんに親近感を覚えました。
(注2) 12月から実用化放送に入る4K・8Kモニターで月を大写しすれば、月のクレーターの巨大さをこの目で立体的に感じ取ることができるはずだ。
映画「はやぶさ」の映画館のスクリーンに映された、オープニング画面の小惑星の表面がまるで宇宙から見ているように立体的であったのと同じように。