御髪梳く
黒曜石を
求む夏
みぐしすく mi gu shi su ku
こくようせきを ko ku yo u se ki o
もとむなつ mo to mu na tsu
御髪(みぐし)とは、貴方の美しい髪という丁寧な古い言い方である。
黒曜石は、このブログで前にも書いた。
時間のある方は、下記リンクの記事を是非お読みいただくと、これから言おうとしていることをより深くご理解いただける思う。
和のすすめ(48)黒曜石 縄文の夏 海越えて【美味の鍵、黒曜石に命をかけた縄文人】
黒曜石は、今から10,000年前以上も昔にさかのぼる縄文時代に、鋭利な割れ目を利用して、鏃(やじり)にして動物や魚を獲る画期的な素材となった石である。
おそらく、縄文時代を築いた革命的な石器であったと思う。
なぜなら、黒曜石の鋭利な刃先を利用して、動物や魚などをそれまでより比較にならないくらいたくさんとることができたと考えられるからである。
しかし、この句は、前にこのブログで書いた黒曜石の用途が、鏃(やじり)やナイフとは別に、他にもあるのではないかと最近思いついて、縄文時代の男性を想像して、俳句にしたものである。
どうしてそのようなことを思いついたかと言うことは、徒然書いていくつもりである。
その前にまず、この句の意味は、貴方の美しい黒髪を梳くために、黒曜石を求める夏の旅をしているという意味である。
具体的には、伊豆七島の神津島へ丸木舟で渡っている縄文時代の男たちを想像して句にした。
時代が変わっても、女性の求めることは美しい髪を初めとする「美」である。
男性の求めることは、いかにそうした女性の要望に応えるかである。
そして、そうした女性の希望に応えることができるかどうかが、女性の側からする男性選びの条件の一つであったことは、多分今も昔も変わらないであろう。
そうなのです。
あなたの想像するとおり、黒曜石は単なる漁労や狩猟をするために利用したのではなく、女性の髪をカットするためにもおそらく利用されたのではないかという想像をしたのです。
その想像をもとに出来たのが、この句です。
では、なんでそんな想像をしたのかというと、7月25日放送のNHKの”歴史ヒストリア「縄文1万年の美の鼓動」”を見たからである。
特にその番組の中で、縄文時代の女性の髪型を、普段は舞妓さんの髪を結う「結髪師」の力を借りて再現した映像を見たからである。
長い髪をうまくまとめて、現代の女性にも勝るとも劣らない、スポーティーで動きやすく、美しい髪型である。
再現できたのは、もちろん縄文時代の土偶があったからである。
その土偶をモデルに結髪師がこんな髪型であったろうと想像でまとめたのである。
さらに、そのまとめた髪には、赤漆塗りの櫛が3つ飾り付けられていた。
現代の結婚式の髪型にしてもいいくらい美しい。
おそらく、そうした儀式用の髪型であったであろう。
実際、国立博物館の「縄文展」で展示されていた櫛に、私と友人は釘付けになった。
現代の櫛以上にすき間が狭く精密な作りなのである。
もちろん、漆で加工されている。
友人は、「縄文時代の方が進んでいるじゃないか!」
あまりにも、技術力がすごいので、二人で驚嘆した。
今我々が使っている櫛の方が、縄文時代より遅れていると思った。
遙かに。
私の言いたいことは、縄文人は、黒曜石を単に獲物を得るために使っただけではなく、女性の髪を梳くためにもおそらく使ったのではないかということだ。
単にまとめるだけでは、なかなか番組のような美しい髪型にはならないと思う。
どうしても、髪を梳く必要があったと思う。
しかし、現代のように切れ味のいい鉄製のハサミはない。
とすると、黒曜石を髪を切るためにも使ったのではないかと想像したのだ。
実際できるかどうか、試したわけではない。
しかし、発掘遺跡の出土品から見ると、ハマグリなどの貝でも十分切ることが出来たのではないか?
そうした、貝に比較すれば黒曜石の方が遙かに鋭利であったろうし、十分髪を梳くのに使えたのではないかと想像している。
和のすすめ(48)黒曜石 縄文の夏 海越えて【美味の鍵、黒曜石に命をかけた縄文人】
上記の記事を書くときには、丸木舟で神津島まで向かっていただろうと書いた。
勇気がある縄文時代の男たちであると書いた。
確かに、それに間違いない。
だが、今は丸木舟こそが、縄文文明を生んだ革命製品だと今は考えている。
なぜか?
天候さえよければ、陸上より早く、この和の国のどこまでもアクセス可能にしたからである。
幸運にも、和の国は海で囲まれていた。
陸上を徒歩で行くより、遙かに簡単に海上を通して行き来していたに違いない。
その証拠に、縄文海進(今より遙かに海が陸上側に入り込む。当時、今の東京の江戸川や江東はほぼ海の中)の時に、縄文時代の遺跡のあったところは、その当時のほぼ海沿いである。
今でこそ、道路が出来て陸上輸送が発達して、不自由なく我々は車で内陸まで入り込むことが出来ている。
しかし、道路のない当時はほぼ雑木林とブッシュと考えられる。
そんな中を蛇やクマに襲われるリスクを冒して、入り込むだろうか?
川沿いを除いて。
川沿いでさえ、さかのぼるにはリスクが多かっただろう。
縄文文明が10,000年以上も続いたのは、石斧が発明されて、丸木舟が出来るようになった。
その結果、おもに海岸沿いのアクセスが革命的に便利になり、黒曜石を初めとする物資や人、それにともなう「情報」が行き交い、和の国の縄文文明を生み出すことになったと、今は考えている。
10,000年以上もたった現代の和の国も、基本的にはあまり変わりない。
大量の物流と海底ケーブルによる情報が行き交う利便性は、この国が海に囲まれているからである。
どうも、その「利便性」を和の国の人たちは忘れているようである。
我々は縄文時代人のマイカー「丸木舟」を参考にして、和の国のまれにみる幸運な条件をもっと活用した方がいいのではないだろうか?
身の回りは、ほとんど物流と探査の基本となる水路であるという好条件を。
和の国日本を起点とすれば、それこそ日本のどこからでも世界中へ、現代の自動航行舟であるマイカー「MARUKIBUNE」でアクセス可能になるだろう。
自動航行のマイカー「MARUKIBUNE」に乗っていけば、世界中へ行くことができる!!
眠っていても。
時代はもうそこまで来ている!!
5年もたてば、和の国へいらしたら、ほぼ国内の移動はレンタルマイカー舟「MARUKIBUNE」を利用して、ゆっくりと日本を自動航行で周遊することになるかも知れない。
もちろん、それだけでなく国際間の移動も和の国発の自動航行のレンタルマイカー舟「MARUKIBUNE」で出来るようになっているかも知れない。
でも、それでやっと10,000年前の縄文人と同じになると個人的には考えている。
縄文人は、我々の考えている以上に自由で創造的だったと、今、私は考えている。