リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

トイレの水1回分が8432円!?

2007-09-17 07:28:28 | Weblog
イタリアでは、ホテルの水が飲めない。
ナポリのホテルに泊まったとき、歯を磨こうとして水を流すと白い陶器の流しが、うっすらと茶色になる。
気をつけなければ、分からないほどだ。

だが、歯を磨いて口をすすぐとはっきりと分かる。
異物を含んでいる。
もちろん異臭もする。

そのためか、ナポリのホテルでは、ペットボトル(1000ml)の水がサービスされていた。
これは、嬉しかった。
ドイツのミュンヘンからずっとペットボトルの水を毎日、買ってきたし。

ミュンヘンの空港ではガス(炭酸ガス)入り(500ml)が、3.1ユーロであった。
日本円にすると当時のレートで、527円。
(当時、日本円が対ユーロで最も安いレートだった)

コーラ(500ml)でさえ、2.5ユーロしていた。
同じく日本円で、425円。

旅行中、水はバスの運転手さんが提供してくれたのが一番安く、500mlが1ユーロで170円。
食事の時に水を頼むと3ユーロくらいはした。

イタリアでは、日本のような蒸し暑さはなかったが、直射日光の中を歩くことが多かったので、水は欠かせなかった。
日本で有名な、エビアンなども多かった。

だが、私にとっては、銘柄などどうでもよかった。
とにかく、水が飲めれば。



この体験を通して生活が、がらりと変わった。

それまで、一日1本は500ml入り緑茶を好んで飲んでいたのが、まったく飲みたくなくなった。
そのかわり、何を飲んでいるか。
水道の水である。

イタリアの水に比べれば、日本の水道の水は何の問題もなく「飲める」。
塩素の臭いは多少するが、長時間放置しても塩素が入っているため、雑菌が繁殖する危険性は「天然水」に比較すればほとんどないと思われる。
(特にペットボトルで飲むときは、口のみするため)

冷蔵庫で冷やせば、塩素臭もなくおいしく飲める。
氷でも入れれば、まさにカクテル。



そんな思いをしているとき、土曜日の朝日新聞の朝刊の記事。
「トイレの進化どこまでも」
のタイトルで、最近のトイレは、1回で使う水の量が5.5リットルから6リットルになったとのこと。
1980年頃は、1回13リットルだったので、使用量はなんと54%削減されたのだ。

そのときは、気にも留めなかったのだが、「読書の秋」
トイレで用を足しながら誰にも邪魔されず「読書」。
最後にふと思った。
我が家のトイレは、1回何リットル使うのだろうと

我が家のトイレは、一昨年の正月、突然配管が折れて水浸し。
それも夕方近く。
30年近く使った結果、配管が腐食して水圧で破断してしまったのだ。
だが、前にも来てもらった「クラシアン」で便器ごと交換してもらった。

さすが、プロと思ったのは、最初の質問が
「ほかにトイレはありますか?」
との質問だった。
我が家には2階にもトイレがあるので、その心配はなかった。
幸いその日のうちにINAXの最新式のトイレに交換してもらって直った。
タンクは、コンパクトになるし、水量は格段に少なくなって喜んでいた。

だが、土曜日の朝日の記事。
「INAXが、1回6リットルで流せる方式「ECO6」を開発し、昨年春に住宅向け機種の8割に搭載した」
との記事。

気になって、説明書を見てもどこにも水の使用量の記載がない。
しかたなく、フリーダイヤルに電話して、教えてもらった。

「小」が6リットル。
「大」が8リットルとのこと。

だが、使っているのはただ流すだけに使う何の問題もない「飲める水」。

そんなおいしい「飲める水」を、トイレ1回で6リットルも流すなんて信じられない!
「大」なら、8リットル。
ミュンヘンの空港で買った水の16本分。
527円×16本分=8432円
である。

ヨーロッパ基準なら、トイレで用を足して、1回8432円。

ただただ
飲める水をただ汚物を流すために使っている
ほんとに、こんな水の使い方をしていていいのだろうか



別にINAXを責めているわけではない。
ただ、世界は広い。

別の視点から見てみると、全く違った見方もできる。
イタリアへ行ってほんとによかった。




イタリアの超一流ホテルのバスタブと肩を並べることが出来た瞬間

2007-09-16 00:46:34 | Weblog
昨年の12月25日の本ブログで、「公開!我が家のバスタブ フォトギャラリー」というタイトルで、バスタブの「サプライズ! 入浴しながら美術館に行けるシステムバス」を紹介した。
(くわしくは、昨年の12月25日の本ブログをご覧いただきたい)

このフォトギャラリーは、時々写真が変わるので気分転換になる。

今まで、いろいろ写真を入れ替えてきたが、どうしてもここへ入れたかった1枚の写真がある。
それは、この1枚の写真だ。
(9月8日にご覧いただいたあの写真である)



フォトフレームに入れて飾り、バスタブに入ってみてびっくりした。
たった一枚の写真でこれほどバスルームの雰囲気が変わるとは思いもよらなかった。

バスタブに入りながらそこは、イタリアだった。

高速船の白く長く伸びる軌跡。
青い海。
蒼い空。

我が家のバスルームが、あのイタリアの超一流のホテルと肩を並べることができた。
もちろん、本物の大理石の壁面には遠く及ばないが。

バスタブに入りながら眺める景色はまさに、居ながらにしての絶景。
しばらく、この写真が飾られることになりそうだ。

和の贅は「音」にあり

2007-09-09 23:54:02 | Weblog
イタリアから帰国して、最初に迎えてくれたのは蝉の鳴き声だった。
まだ、8月の前半。

その時は、アブラゼミの鳴き声が降ってくるようだった。

イタリアでは、移動中はもちろんのこと観光地でもほとんど美術館など屋内にいる時間が長かった。
ポンペイ、コロッセオ、カプリなど限られたところでしか自然にふれなかった。
(ホテルは窓が全開しない。防犯上当然だ)

だが、そうしたところでも蝉の鳴き声には気づかなかった。

帰国して気づいた驚き。
それは、日頃はまったく意識していなかったこうした自然の中で暮らしていると言うことだった。
特に、自然の「音」。

今、ブログを書きながら、庭ではコオロギが鳴いている。
昨日は、風呂場を掃除していたらバッタの「赤ちゃん」が、風呂場に迷い込んできた。
そっと、扉を開けたらどこかへ行ってしまった。





今日は、朝から蒸し暑かった。
天気予報では曇り。
しかし、実際は晴れで温度が午前中からどんどん上がった。

暑くなったら、プールで過ごすのが一番。

ふとプールの窓から外を見ると雲はまだ夏。
積乱雲がどんどんわき上がっている。

じっと見ていると、ほんの一瞬で次から次へと形を変えていく。
鳥の「オウム」
聖火ランナー
イルカ(これは、雲間の青い部分に一瞬)
そして、巨大なかわいい「こどもの鬼」
・・・

きっと古代ローマ人は、この雲の芸術を永遠に残そうと考えたに違いない。
知人は、
「イタリアへ行ったら雲がみな彫刻に見える」
と言った。
でも、たぶん現実は逆。

美しい自然の芸術「わき雲」を見ていたら、次から次へと「彫刻」が見えてきた。
その姿を「彫刻」という永遠の形で残そうと考えたに違いない。



久しぶりのプール。
暑い夏の日の過ごし方としては、最高。

帰宅して、遅い昼食をとった。
しかし、厳しい暑さはまだ続いている。

昔、田舎ですごした夏の一日を思い出し、2階の和室で昼寝をすることにした。

外からは、
「オーシンツクツク、オーシンツクツク、・・・」
とつくつくとほうしの鳴き声が秋の訪れを告げている。
窓につるした、風鈴が網戸の外からの風に、
「チリーン、チリーン」
と涼しげな音を立てている。
風は、私のところまではこないので、扇風機が首を振っている。
そのうち、いつの間にか寝入ってしまった。
身体は自然と一体となっていた。



昨年、屋根をリフォームしなかったら、たぶん2階で「昼寝」しようなんて発想は思いも浮かばなかっただろう。
屋根を重いセメント瓦から、軽い陶器瓦にした。
そうしたら、驚いたことにあれほど西日を受けて暑かった2階が昼寝したくなるほど涼しくなったのだ。
たぶん、ピカピカの陶器瓦が赤外線をよく反射するようになったためと思われる。

ちなみに、風鈴は100円ショップで買った最後の1つ。
それも、展示品で少し「短冊」のところが折れ曲がっていたがノープロブレム。

私たちの祖先はほんとうに素晴らしい。
「音」に対する芸術的とさえ言える鋭い感覚。
涼しげな「音」で、最高の快適さを私たちにもたらしてくれる。

カプリが一番

2007-09-08 23:15:22 | Weblog


イタリアは、とても面白かった。
しかし、もっとも印象に残ったのは、上の写真のカプリ島である。

最初の予定では、北イタリアのみ(ローマを含む)の予定であった。
しかし、妻がぜひカプリ(青の洞窟)にも行きたいとのことで予約済みの予定を変更して、南イタリアも行程に含めた。

前回のナポリの鐘の音、そして、この明るいカプリ。
カプリで飲んだレモネード。
どれも忘れられない思い出となった。



もし、カプリを含む南イタリアへ行かなかったとすると、イタリアの印象はずいぶん違ったものになっただろう。



次の2枚の写真は、バチカン美術館である。
おそらく、この2枚の写真などが典型的なイタリアの印象を決めていたに違いない。




確かに、間違いなくイタリアは美の殿堂である。
この2枚の写真もイタリアを象徴している。

だが、カプリの自然の素晴らしさは言葉で言い表すことができないほどである。
とうてい、写真で表現できるものではない。
現地に立たなければ分からないと思う。

それほどカプリはよかった。

写真のカプリからの眺めは、A4の大きさにプリントして居間に飾ってある。
今度行くときは、D80を必ず持っていき思い出の一こまに収めたい。
そして、できればカプリで1週間はゆっくりと過ごしたい。

ナポリの教会の鐘 ^^^♪♪♪・・・・

2007-09-02 14:15:02 | Weblog
イタリアの旅で忘れられない経験をした。

それは、ナポリのホテルに宿泊した夜のことであった。
この日は、翌日のカプリに備えて、ホテルには午後6時頃には着いた。
夜といっても、イタリアはサマータイムで外はまだ明るい。

確か、夕食前の午後6時半頃であった。
突然、教会の鐘が鳴り始めたのである。
それも、一つの鐘ではなく、複数の鐘が鳴り始めた。

1~2分続いただろうか。

フィレンツェのドゥオモでもちょうどお昼頃鐘が鳴っていた。
しかし、その時はちょうど12時なので、
「時報のかわりだな」
くらいにしか思っていなかった。

しかし、ナポリの教会の鐘は明らかに鳴り方が違う。
すぐ近くの教会の鐘が、
「ガラーン、ガラーン、ガラーン、ガラーン、・・・・・」
と鳴り続ける。
思わず、「最後の審判」を思い起こした。

(その時には、まだミケランジェロの「最後の審判」は見ていなかったし、あまり興味もなかった。実際、システィナ礼拝堂にある「最後の審判」もよく見なかった。)

キリスト教徒でないもないのに、敬虔な気持ちになった。
まるで、教会の鐘の音は、
「あなた方(もちろんナポリ市民を含み)は、今日一日、正しい行いをしましたか、罪深きことをしませんでしたか?」
問うているようであった。

しかし、この1~2分(いやもっと長かったかも知れない)の鐘が鳴る間、思考が止まったように思われた。

心の中は、無心になり、ただ鐘が「ガラーン、ガラーン、・・・」と鳴る音の空間の一部になっていた。
そして、鐘の音以外の時間は、すべて止まっているように思えた。

ナポリは、治安が悪いと聞いていた。
だから私も愛機D80は持ってこなかった。
確かに、治安は悪そうで、ホテルの前には不審な男たちがたむろしていた。
また、ナポリの駅前は、それまでのイタリアと違って緊張感を持たなければならない雰囲気が漂っていた。

だからこそ、教会の鐘の音も必要になるのだろうか?

だが、根本は貧困であろう。

イタリアは南部ほど失業率が高いとのこと。
ナポリに着く前、ずっとユーロスターの車窓からイタリアの風景を見ていた。
気になったのは、農家の廃屋が目につくことだ。

帰国してから見たNHK?の番組でもフランスのワイン農家が、ワインの国際競争に敗れて農地の縮小や転作を迫られているとのこと。

また、ヴェネツィアでは、母と子であろうか、夕方家路に向かうのか線路をとぼとぼと歩くジプシーを見た。
また、サンマルコ寺院の前では、数人のジプシーが物乞いをしていた。
ローマでは、足に傷害をもった年老いた男性とその子どもが物乞いをしていた。

昭和34~5年頃?までは、我が国でも戦争で傷ついた兵士が駅頭で物乞いをしていたことを記憶している。
なくなった私の祖母は、わずかだがそうした人たちがもつ小箱に、小銭を入れていたのを思い出した。

教会の鐘の音は、いろいろなことを思い起こさせてくれた。