先ずはアフガニスタンが、平和だった頃である。
「母上様ぁ~。お元気でっすっかぁ~」の歌詞で始まる「一休さん」は土曜の18:00から田舎では始まっていた。この直前は「戸締り用心火の用心!」と始まる「日本船舶振興会」のCMが流れていた。纏を振り回していた「笹川良一」の姿があった。
この笹川良一の頃の日本船舶振興会が、大体この頃「ペシャワール会を通じてアフタニスタンへの援助をすすめています」とあったと記憶している。つまりペシャワール会はソビエトのアフガン侵攻の前に存在したのであると私は覚えている。そのペシャワール会が、福岡の、中村哲と言う医師の始めた会であると言う事を私は、それから20年後になって初めて知った。
当事は1970年代の後半だったと思う。ソビエトのアフガニスタン侵攻は1978年である。この頃からのアフガニスタンの一人の少年の目を通した話と言うか、欧米の目でしか日本では伝えられない現場の惨状を伝えられないか?あの糞馬鹿チョングソや中毒・暴動国の余計な情報しか流さないマスゴミ、そして嘘だと分かっているのに格付け会社が、何処其処をどう格付けしたと、必ず後でおかしいと言われる格付けをいまだに大声で宣伝する事実は絶対に伝えないマスゴミの権力が無いインターネットの中で伝えられないか?と思ったのである。
どうでも良いが、アフガニスタンは行った事も無いが、大体そうなのだが、酷い土地である。
平和だったから何か採れたのであり、戦争で僅かな耕作が出来なければ、生存は望むべくも無い土地であると見えた。何より、水が無い。それでは人は愚か、植物も動物も生きて行けない。不思議とヤギだけは生きていけるぐらいだろう。
最初、私の話では中村哲が出てくる。平和なアフガニスタンへ恵をもたらす、表情の少ない、背の低い日本人を不思議そうに見るアフガニスタン人の一人としてイブラヒムが居た。そしてソビエトが侵攻してきて無表情なだけと思っていた中村哲が、驚き、迷い、焦り、落胆し、そして悲しみ怒る姿をイブラヒムは見るのである。
そして日本大使館で、何とか国外脱出が出来ないかと大使館へ詰め寄る中村哲と外交官の息詰まる話がある。その時、イブラヒムは武器を持たない中村が闘っていると実感する。だが、それは権力と国境の問題となった。
「彼らの命がかかっているのです」「それは分かっています」「何とかならないのですか?」「私だって何とかしたい、だけれども、ここは大使館です。日本人の領土です。それは条約や国の承認の下に決められたもので、日本人の人権を守る事は我々は主張できます。ですが貴方はアフガニスタン人を守れという。それは無理です。それをやるのはアフガニスタン政府の話です。」「ですがソビエトが潰してしまった」「潰れたとは彼らは言いません」「それはしょうでしょうよ、ですが!」
「良いですか!それが外交であり、国際法の問題です。私は、私の義務を果たしてから、ついでの仕事としてやれるものならやりたい。だけれども、本国と連絡も取れない。そんな中、大問題である外国人の越境を手助けする事は出来ません。」
多分こんな話が応酬した事だろう。そんな中、国家間の都合と決まりと常識だけで、彼らアフガニスタン人の運命が決まったのであろう。これをして慶応の合理的・利口なのであろう。
私は、こんな中手を差し出したのは笹川良一ではなかったか?と都合の良い期待をしている。癖のあるおっさんである。それは謹厳実直なお役人より、癖のある嫌な奴の方がこんな非常時は信用できるのである。私の話の中ではイブラヒムたち一部のアフガニスタン人は、途切れ途切れの運針の様にしながら、中央アジアを抜けて、アラビア海に出て行く事となった。だが手配できたのはコンテナで、臨検で止められて餓死と言うより、水が足りず死に掛ける。コンテナしか手配されなかったのは、アフタニスタンを出た事すら不法出国だからだ。それが名簿に名前が、少なくともアフガニスタン・パキスタンで出れば、一発で親族に累が及ぶ。そういう嫌な奴の配慮だった。
イブラヒムは、最初日本の離れ島の漁村で何とか生き延びる。そして、アフガニスタンへの義勇軍「ムジャヘディン」の有力者としての「ウサマ・ビン・ラーディン」を見て「聖戦:ジハード」の参加を夢見る。だが、それは必ずしも、中村らなどの賛成する所ではなかった。
アフタニスタンは、その後、ソビエトの撤退する1989年まで、戦争の嵐となった。そんな中、部族連合の盟主・ヘクマチエルが出てくる。これが横暴極まる下輩で離反するものが続出する。そんな中、名望も何も無い一人の若者が部族連合に対する勢力として注目される。それが「マスード」である。
尊大で横暴なヘクマチエルの全く逆と言うと、その通りであるが、元々大学工学部の学生であったマスードは、合理的な判断と的確な指示、そして果敢な行動で、その勇名を広めた。これは名望や門地がモノを言うイスラムでは異色の出であり、だからこそ最初ヘクマチエルは、マスードを低く扱い、馬鹿にしていた。だがマスードの勢力は1990年末までにはヘクマチエルの主導する部族連合を超える勢力となったのである。
我々は、マスードを「銀河英雄伝説」の「ヤン・ウェンリー」の姿を重ねた。何より日本にいたイブラヒムは、その話をアニメで見て、これはマスードそのものだ!と「天才魔術師」の姿を重ねた。その証拠としてガンダム00のアザディスタンの宗教指導者は「マスード」と言う。
だが2000年9月11日を前にして、マスードはアルカイーダのゴキブリどもに暗殺される。何故ゴキブリと言うのか?それは同じイスラム教徒でありながら身分を偽り、爆弾で爆殺したのである。このイスラム同士でありながら卑怯な手段を使った事にイスラム全体が怒りを露にした。
アフガニスタンは、義勇軍の盟主であった「英雄ウサマ」が「ゴキブリのやり口」で「英雄マスード」を「暗殺した」。よりにもよって「暴虐ヘクマチエル」の手先となって。
この時アフガンの民は、二人の英雄を失ったのだ。そしてゴキブリ王、ヘクマチエルが出張ってきたが、やっぱり「卑怯と暴虐のあいの子」をアフガニスタンは、選ばなかった。
だがアメリカのテロとの戦いで、アメリカ軍が投入され、アフガニスタンとパキスタンがアメリカ軍によって蹂躙されるのである。
そんな中、ある程度の武装解除が進んで、再び中村哲が、仲間と共にやってきた。そして夢の灌漑設備の建設を自らの手で行って、そして、とうとう農業。そして自立のとき!と思った折に、日本人スタッフが、部族連合のゴキブリによって殺された。(これも事実)その結果ペシャワール会は、中村哲を残して撤退し、灌漑設備の管理は中に浮いた。
またもアフガンの人々は、希望の芽を断たれたのである。そして、今、ハッカーニグループと言う、地元民を麻薬で言う事を聞かせ、自爆テロをさせるという、イランの暗殺集団みたいな事をやるヘクマチエル色のする外道が幅を利かせる中、アメリカが撤退するのである。だがアメリカがやったとすれば爆撃や対人地雷・多弾頭弾のばら撒きで、住民を殺すか手足や目を毟り取っただけである。
だがイブラヒムも中村哲も諦めていない。まだ生きているから…。
と色々1時間の間色々思い出したら、他人事なのに薄っすら涙が出てくる。実は、ここには書けない、想像した会話の応酬が一杯あるのだ。その度ごとに、彼らは、どう思ったのか?またアメリカの一方的な決め付けを、どう思ったのか?彼らの側の発言は、何故ドキュメンタリーでも、フィクションでも出てこないのか?と毎度思う。無論マスゴミは、ロンブー田村淳面をして「利口利口」と吹聴するだろう。
こんな事を書いて、一番困るのは、「そうですそうです!」「よくぞ書いてくれました!」と言われる事で。まぁ先ず、この程度「常識」と思って毎度書いているし「小説にしろ!」と励ましなのか?脅迫なのか?と思う。だって、私は物書きが仕事ではないし、このブログもタダでやっている。
それに色々な細かい事が分からない。先のブログでも分かると思うだろうが、私はリアリズム(そうそうネオリアリズムの旗手なのだよ…)に拘るので、すぐに行き詰るのですよ。
でもねぇ~、こんなことすると「CIAのジェイソンボーン」に殺されそうだし…。まぁそれはそれで良いんだけどね。(命狙われるのは、別にと言う、この潔さ!)
と言う事で、言った何時になったら、こういうの書けるのかな?と思う昨今である。
ちなみに、文字にしてはいないが、覚限の話以外も沢山ストックがありますが、構成するのが面倒なので書いていません。
全ては私の頭の中です。
ただ、頭の悪い馬鹿文科系大学出が、糞みたいな事をほざいたら、気分も変わるかもしれません。でも、こう言うと、あれだけど神が降りないと書けないのですよ。私の場合。凡人だから。もっと何か憤りが無いと…。あっても血圧が上がって困るのだけど…。