大体政府というものの意味、法律の意味、三権分立の意味を分かっているのだろうか?
大体毎度思うのは学校の教育が一番いけない。何故かと言うと、学校を卒業して一番思わなければいけない事は何も分かっていないと言う事を実感する事である。
となると「何故学ぶのか?」と頭の悪い馬鹿女特に馬鹿文科系大学出がコキ捲るのだが、基本。高校の一授業で1年ぐらいやった程度で分かるものか!と言う事が当たり前で、「高校で習ったから」と馬鹿が吹聴しているが、そんな奴は大体覚えていない。
私はよく「物知り」と言われるのだが、大体「学校で習っただろう?」と言うと嫌な顔をされる。だが事実だから仕方ない。そして、長々そんな思いをしてきて分かるのは、偉そうに適当な極論に到達する連中は往々にして、反論が無い。1つの意見、アイデアは、逆の失点がある。その失点を全く分からないで、解決したつもりになるというのが1990年代以降の馬鹿文科系大学出の基本で、その最たるものが竹中平蔵である。そして池上彰だ。このクソ馬鹿は、毎度、一方的な論で、これがまた、それで食っているにもかかわらず知らない。かくて馬鹿文科系大学出は、馬鹿の劣化コピーの集まりである。
政府というものを見るときに、警察と言うものが実にわかりやすい指標となる。そして「踊る大捜査線」が一番のテキストである。
室井と言うキャリアは何の為に居るのか?である。そこで警察の組織である。
警察は行政の中で一番強力な権力を行使できる。だが警察は「県単位」の組織で、決して「国家組織」ではない。国家組織は「警察庁」である。この警察庁は法務省の一省庁であり、並列したものとして「検察庁」がある。
この警察庁や検察庁は何をしているのか?と言う事は「がっこう」で「ならった」よね?
さぁ復習だ!と言われてスラスラと出てくるだろうか?
私は色々見て言うのだが、それを言うと、大学出からも驚かれる。
「理系だよね?」
「うん」
「何で知っているの?勉強したの?」
「ニュース見ただろう?分からない?」
「…」
である。
政府の省庁を見てみると、その全てが、地方自治体に対応している。厚生労働省は、保健所や生活保護の関連、労働基準監督署などや、警察庁は、県警など、検察庁は地方検察、法務省は、法律全般を扱い市や県の立法や法の施行などの関連で、経済産業省は、特許や、その他企業関係の登録など、と基本的に地方自治体と関連して行われている。
往々にしてそうだが、役所は法律の運用などを行う。そして、法律というものとなる。法は、立法機関が立法を行う。その法律を実行する。だが、その実行は誰がやるのか?どうやるのか?それを決めるのは、役所である。
立法は、法律の草案を作る時点で、ほぼ日本の95%は分かっていない。法律の立案は、様々な問題を解決する上で作られる。問題の発生は、例えば社会上の不都合、法律の概念の無いもの。法律の想定が古いもの。今後の社会情勢の変化で足りなくなるもの。等などの所以で作られる。
この法律は「がっこう」で「ならった」とは思われるが、大体「行政」が取りまとめて作る。その結果、一つ大きな流れで欠けているものがある。それは「立法思想の擦り合わせ」である。
これは図面を書いているから分かるのだが、機械は出来上がったものの必要性の思想、設計構想、図面の表現方法、図面にあるものの製作方法、出来上がったものの組み上げ、出来上がったものの制御構想、制御設計、制御系の取り付け、運用、現場の運用思想、運用設計、運用方法となる。そして、運用構想の一つとしてのメインテナンスがある。
事程左様に、様々な手続きがある。
法律は、特に下の人の声で出来る場合、どう思って、どうしてほしいというものがある。その意見と出来た法律の考え方の違いを分かる必要性がある。だが言葉で、法律で出きることと出来ないことの差と言うものと人に伝える場合の齟齬がどの程度あるとかの、組織を運用する上での考え方の違いを埋めたりする作業がある。
行政立法となると、最初からこう言うものという合意があって法律が出来る。
だから地方で独立の法律が出来ないのだ。この地方では法律を立案する能力が無い。また法務省をはじめとする中央政府の部局が、地方の意見を聞いて、その立法をサポートする。
だが、大体条例の立案は、あまり広い範囲ではない。なぜか?それは、あまり法律の例外を作りたくないからである。県組織が条例を提示するのは最低のものでしかない。
それは中央官庁の大きな役割の一つに地方に国会が作った法律を同じく平均的に遵守して動くというものがある。この違いを47と道府県でやるのが大体無理なのだ。また、この法律の運用の違いが一番効くのが、警察である。
よく越境をすると犯罪者が逃げ易いと言うが、この逃げやすい所以が法律の違いや、運用の違いである。また法律の運用範囲の問題となる。よく言うのだが、管轄外で引き合うというが、一方で重なっているとなればどうだろうか?報告書が複数提出されるのである。そうなると二重決定が行われる。
戸籍で言えば2つの戸籍が認められるのである。これは犯罪の逃げ道としてよく使われる。この戸籍問題は日本だけは絶対にない。何故か?宗門改めなどで、戸籍は、日本の場合ダ大分前から記録が残っており厳格に運用された。
また、戸籍の問題は租税、徴兵などで極めて実直に運用された。また明治政府は中央集権が先にできたので、戸籍法は完備されていた。一方で欧米は、特に有名なのはアメリカで年金手帳の様な福祉カードだったっけ?の番号だけが、一応個人を特定するのだが、実はそんなものは無くても生活できており、また複数の戸籍を犯罪者が州に跨がって取っている例が多く、この結果、州を越えての犯罪者の捜査が絶望的に難しいのである。
何より、この人は誰?と言う照合が、この二重認定と言う極めて下らない事で出来なくなるのである。その問題は日本では神作何某の未成年残虐犯罪者を見境無く隠している以外では詐欺師が養子縁組をする以外では殆ど不可能である。
事程左様に、地方自治の有効性便犠牲を吹聴はするのだが、そのマイナス点は色々ある。だが、それら問題は「朝まで生テレビ」などでは「瑣末」に扱われる。だから「絶対に間違いない」とマスゴミが吹聴して法律が施行して、今更の様に「問題が頻発する」のである。
確かに地方の特色を生かす為に独自の法律は意味があるかもしれない。だが基本的な事を知っているから、そういう事の論議が出きるのだ。だが、その事を分かりもしない奴等が「えりぃと」とほざくのである。そして何も知らない裸の馬鹿なのである。
果たして行政を知らない橋下が分かっているのだろうか?
例えば民主党の吹聴する「埋蔵金」と言う言葉は民主もほざいたが、マスゴミもほざいた。だが、私は糸井重里の「徳川埋蔵金」が江戸時代の経済を見て「絶対に無い」を知っていた。財政の埋蔵金も頭の悪い上に売国の民主がほざいていたのだが、絶対に無いと分かっていた。その結果がそうだった。
分かるだろうか?行政の人は、大体色々な事が分かっている。その彼らは、表立っての立場では、その事が言えないのだ。私のブログには、地震予測技術のVAN法の事を書いたのだが、その中にもあるのだが、世間に影響のあることは分かりきっていても言えないという不文律がある。そう言う点では、分かっていても決して言えない上に、一度口にしたら絶対に間違いは許されない事を強制する政府の関係者の立場は、適当な事を好き放題吹聴しているマスゴミは本当に嫌いだろう。
私もヤフコメで馬鹿が極論を吹聴するのが大嫌いだ。そして、その一方で、一方的に叩かれている行政の人の立場を考える。困ったことに私は馬鹿文科系大学出の最低でも百町倍知能と知識があるから、分かる一方で、思いやれるのだな?いやぁ困った困った。
その結果、経済予測も外れたことが無いのでね。慶応の嘘つきと違って。
また、様々な問題を馬鹿の見方では見ないのである。
維新も色々ある様だが、今ゴタついているのは、大体思っていた通りの内容だった。私は何時も思うのだ、行政の人は、どう思うのだろう?だが彼らの回答は実ににべもない。
「わが国政府の方針は法律、省令、官報、各省庁のHPなどで表明しておりますので、細かな内容については、まず御一読いただいてからご質問ください。」
そして、法律や省令などにある事を質問すると「どこどこの、何々に、その内容が書かれております。」
まぁ何事もお勉強である。そして分かるべきなのだ。
「がっこうのおべんきょう」は終わって「何も知らない」と言うことを思い知ること。
お山の大将は「おれ、ばかやでぇ~」と言っているのに等しい。