歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

電源に悩む私(スマホの電源如きではない)

2015年04月06日 22時23分41秒 | 日記

秋月電子「5ADC-DCコンバーター制御ICセット」に目が留まった。「5V5.5A DC-DCコンバータ制御IC SI-8050HFE」とトロイダルコアコイルと「30Aのショットキーバリアダイオード」のセットである。

これは8Vから5.5V程度の電源を元電源にして、安定した5V電圧5.5A電流が得られる電源である。

入力電流も6Aぐらい無いといけないのですがね。

これはステップダウンコンバーターというタイプのDC-DCコンバーター(直流ー直流変換機)と言いまして、ちょっと前までシリーズレギュレーターを言う奴を使っていましたが最近はDC-DCコンバーター花盛りです。

元々DC-DCコンバーターは高効率で低発熱で小型(トランス不要)という電源で、元々アポロ計画で宇宙船に使われた電源なのですが、この電源を一般販売したのはパナソニックで「ブックシェルフコンポ」と言う単行本サイズのコンポーネントの電源として使われました。

それが、この10年。妙に流行るようになりました。しかしパナソニックが当時スイッチング電源と呼ぶ奴を作ったのは35年前です。

実は電子工作の世界も10年前まではシリーズ電源を使うのが普通でしたが、それが最近はとみに高効率を求めるようになりました。

我々の頃はA(オフセットバイアス型)級アンプとかAB(プッシュプル増幅器)級アンプとかがオーディオアンプでしたが、最近はD級高効率アンプという奴が出てきて、D級って音悪いだろう?と思われるのですが、これも効率性が高く、2W増幅する奴が米程度の大きさで、また放熱器も不要というものです。

デジタル信号音性も1ビットDAコンバーターと言うPWM制御を使ったものでして、それとD級アンプを合わせると小型高効率でそりゃぁ凄いものです。

さて私が電源に悩むようになったのは、既存のスマホ用の電源では足らないので、つまりPCを駆動できる出力の電源が欲しいのです。

電源というとリチウムイオンバッテリーと思っているだろうし、まぁ売っている形状を思い出すでしょうが、私の場合、PCの電池で懲りて、自分で作る方がいいと思うようになりました。

実際電源は壊れやすいもので、実は細かいセル(電池)を集積して、それの中で駄目になった奴を捨てていくのが一番正しいと思います。

だから一つの形となった電源は結構寿命が短いのではないかと思います。

電池は直列接続している電池の1つが駄目になると、その1つに放電が集中すると言う特性があり、その結果、駄目なセルは、早々に駄目になるのです。

また各々の電池の充電性能、放電性能は違います。

馬鹿な事を言いますが、電源は単一電池を電池ボックスに4本×2で接続して、大体瞬時出力が4A程度出ます。(ホントはもっと出ますが、それやると寿命が短くなります)。

そんで、ここからが重要なのですが、充電は並列にやる。放電は直列でやる。もっと言えば、充電は1つの充電器に1つのセル。充電する前にリフレッシュをする。また、今検討しているのは、リフレッシュや充電の時間を各セル毎に、記録して、状況を確認する。

こんな事を考えてもいます。

こんな考え方をするようになったのは、PCの充電電池が糞だったからです。

本来セルを3セルや6セルにしているなら、インターン(IN-TURN:順番)充放電が出来る筈なのにやっていないのです。

それは「充電電池を壊したい」のです。

インターン(IN-TURN:順番)充放電とは、必要電力を全ての電池を使わず、半分とかで動かすのですが、通常バッテリーをつけて電灯線から電源を取る時、バッテリーで駆動する一方で、残りのカラッケツの電池は充電するのです。

電池は充電しっ放しだと直ぐに劣化します。だから使いながら充電するのが一番なのです。それは皆十分分かっているけど、それをしないのは売るためです。

また、お手軽でファッショナブルな電源ですが、それが妙に駄目になるのは、極めて壊れやすい構造によります。

言う程、電源技術は進歩しておらず、また、それは心がけ一つと使い方一つで充電電池は長持ちするのであって、今の形式の充電電源は短命であり、究極的には乾電池も使える電池式のシステムを売った方が資源の無駄にはならないと思います。

実際、電池は単三なら半年に1個ぐらいのペースで駄目になります。そういうものだと思って注意して使うのが一番だと思いますが、それを自動化するのを考えたいのですが、そこまで気力がありません。

って事でスマホやタブレットが身近になっていますが、基本的な電池の問題は未だに残っています。

理系じゃないからスマホは持ちませんか?


江戸という不思議

2015年04月06日 21時56分34秒 | 日記

江戸時代を色々見ている私は、ふと疑問に思う。

江戸と言うのは、徳川家康が幕府を置いて、参勤交代させたからでかくなったのであって、それがなければ「タダ消費するだけのところ」なのである。

よく守貞謾稿では「三都」と言う、この三都とは京都・大阪(これを合わせて京阪と言います)と江戸なのでありまして。二都と残りの一都はえらく離れている。

江戸時代は、この「江戸」を首都とした為に、巨大消費が発生したと言うもので、それ以前の「自閉症気味な生活」とは根底から違う。

もっとも徳川家康だけが活躍したわけではなく、商人や戦国大名の作った経済システム・流通システム・新規製品などが開発されたのだが、最初に出てきたのが日野富子の通行税が富の偏在を起こし、それが元手となって、流通が発生した。

同じ事は、この当時始めて出来上がった「株式会社」である。

宮大工などの会社は1500年前からあるが、それは自己資本の会社で資本を人から(坊主から)得て、会社ができたのが室町時代だった。

何故こんな事ができたのか?

理由は通常、どの世界をとっても国家が独占するものである。だが、当時の日本は、足利氏が能無しだったので、貿易をする能力を持っていなかった。

そこで民間が出てきたのである。

今虫獄・チョングソが世界の迷惑だったが、当時の日本は虫獄・チョングソが恐れおののく倭寇全盛で、この倭寇と貿易関係者が山のように出てきた。

この貿易関係者は「平和的な貿易」をしていたのかと言うと、隙を見れば、切り殺して、貿易品ばかり手にしたりしたのである。

勘合貿易とか、色々あるが、そうではないハイリスクハイリターンの貿易が多かったのである。

この倭寇は平安時代末期には既に存在し、源平合戦にも有力な働きをし、元寇にも対応したし、戦国時代にも活躍した。

妙な存在で、この妙な存在は江戸時代に消滅した。大名になったのである。

江戸時代は、ことほど左様に様々なものがなくなる一方、新たな流通社会が発生し、そこで文化が高揚し、一方で特産品を作る為に、工芸が発達したのである。

そこで、先のブログの「非既存技術路線」となってくる。

この工芸や文化の類は「明治維新」から「非既存技術路線」となり、漸減したのである。

その際たるものが、チョングソの「漉き糞」(悪名「韓紙」)である。

この「漉き糞」がイタリアで使われだした。チョンは例の如く嘘をほざき8000年持つという「糞丸出し」である。

実は、この「漉き糞」を誰が好き好んで使うか!だが日本製の「羽紙」が良いのだが生産できないのである。

今、イタリアのみならず、スペインでも世界中の遺跡修復に「羽紙」が引っ張りだこなのだが「ない」のである。

この既存技術路線は馬鹿文科系大学出や馬鹿土建屋が好きなのである。考えないから馬鹿だから。

結局、こんな風な感じで、反映を謳歌する江戸が極めて奇妙な形で、それまではノッパラで、何の特徴も無い所であり。

また、その東京を繁栄させた文物をある日突然否定して、世界の需要があるのに生産できないと言う奇妙さを奇妙と思わないのが馬鹿なのであろう。。。。。。


非既存技術路線的技術のススメ

2015年04月06日 21時26分02秒 | 日記

非既存技術路線とは、今の妙な技術の流れに乗らないものだ。

例えば「雑草が生えている」→「人を雇って草刈機で刈る」或いは「人を雇って除草剤で枯らす」

これが既存技術路線である。

だが「羊や山羊を飼って食わせる」と何故ならない?

色々面倒だが、羊は羊毛+羊の乳、山羊は山羊の乳、或いは両方の肉が手に入るのである。

糞や尿は肥料になる。

糞や尿は拾い集めるのか?

馬鹿文科系大学出は、そう寝言をホザクだろう。だが、移動型オマルを山羊や羊用に作れば、それで済む。

ふと秋からの荒地の光景を見てみれば一目瞭然だろう。

私はつくづく思うのである。

「この雑草は、どの程度の乳となるのか?」

そう思えない、考えられないのが馬鹿文科系大学出なのである。

よくTPPとか馬鹿が良く知りもしないでホザク。

先ず、雑草を金出して、機械買って、借りて、エンジン回して燃料使って、そんで草の始末もある。それも金!

或いは、除草剤を使って、環境悪化!ホラホラ!金ばっかりかかる!

一方、山羊、羊はどうか?

先ずエコ、次に、乳(稀少性のある食品)が手に入る。

山羊・羊は幾らするのか?

単体7万円である。

面倒なのは、買う為の設備とか(車の車庫証明に当たる)獣医の担保が必要である。

田舎なら、逆に面倒が少ない。

買うのは勝手だろう?と馬鹿がホザク。

だが感染症にかかる恐れがあり、口蹄疫なんかもかかります。

要注意ですね。

この山羊と羊に関しては世界的に何処でもやっているのに、何故か日本では殆ど居ない(八丈島では山羊が溢れているそうですが)のです。

これは歴史的に無いのです。

でも何度も導入しようという動きはあったのです。

よく「雑草を使ってバイオエタノール」と言う話がありますが。「虚報」です。

って言うか10年前に、やろうという機運があったのですが、やりませんでした。

理由?石油元売が邪魔したからです。

お猿のジョーォジィーが邪魔するのです。

実際、この「ススキ」の類の草が枯れた奴は今でも簡単な反応釜に入れてバイオ最近を入れるとエタノールが出来るそうですが、ちょっと前後処理が面倒です。

要は不純物を取り出す過程です。

これが馬鹿にならないけど、本気になれば何時でもやれそうなものを「コスト」とほざいてやりません。

なら?現実性があるのは?そう山羊・羊です。

他にも色々あります。

「何故熱くなる建物を作るのか?」です。

これは本当に「馬鹿丸出し」です。

夏場の暑いのは「温暖化」をする建物を作らせる社会の問題です。

馬鹿でかい建物をただ建てている。

昔は、直射日光の当たる部分は、日除けを置いたものです。

それをせずに、暑いから冷房を入れて、尚の事、世間が暑くなる。

こんな馬鹿は土建屋の馬鹿、土建屋と話が合う馬鹿文科系大学出の銀行屋とか、営業の馬鹿だぁ~!

それで今霞ヶ関は大変な事となっている。

それがブラタモリでも紹介された、天然ガスを使った集中冷却システムである。

これは天然ガスの蒸発熱を使った冷却システムで、かつてはガスエアコンとしてゼネラルが一般売りしましたが、これが売れませんでした。

ですが、集まって使う場合、この方が効率的です。

だけど、膨大なエネルギーを使うから、こんなものが必要となるのです。

元から「熱くない家」を作れば良い筈だったのだ。

だが「エネルギーを出して冷やす」方向が既存技術路線である。

それが「オーバーヘッド」(限界)になってきた。

この「オーバーヘッド」最近の言葉ですので、良い感じで使うとトップランナー感を出しますよ。

とりあえず、この技術の当たり前を穿った見方をしたい人、江戸時代の話がお勧めです。

岩波文庫!さっさと守貞謾稿の再版しろ!

それと筑摩書房は「泉光院旅日記」を出しているようで、長崎の人は、長崎編が妙に長い旅日記なので、買っても損はしないと思います。

佐土原(宮崎)の泉光院は「人としての長崎市民」が好きでした。40日は滞在したのですよ。

余計な情報でした。。。。。。。。。