「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20070207

2007-02-07 | 矮小布団圧縮袋

○ちきしょう。人を馬鹿にしやがって。この侮辱はただじゃおかねーぞ的なスタッフ一同の憤怒のあまり、目が潤んでくるような話が続出する会議の後で、深い淵の岸辺のどす黒い水と泥のような疲労感と倦怠感が残る。もう帰る。
 
 家に着いてメシにするしかない。
大根としいたけと貝柱と厚揚げ等の煮物(常備菜なので楽)と、おろし天つゆ作ってごぼうといかの天ぷら(デパ地下の惣菜屋の)と、白菜とキャベツの即席お浸しと、納豆と、蕪と昆布の浅漬け(日曜にまとめて漬けるので楽)など。だいたい夕食は毎回こんな感じ。自炊はほとんど和食しか作らん。ハンバーグもカレーもスバゲッティも無縁だ(自宅ではバタ臭いものへの食欲がどうも起こらない)。洋物があるとすりゃ食後のチーズか牛乳程度。あと、お茶。

 CDを聴きながら食べる。昼休みに街中に出てダッシュで買ってきた。黄色だからタワレコだ。テレビが踏切事故や国会答弁や裁判制度改訂なんかのニュースの画像を流してたりするけど音を消して試聴。べらんめい。

 危機的状況ってのは2000年頃だったのだろうか、つよしの「音楽で救われた」という話から逆算的に推測するとだが。音楽でも無ければいつどっかに飛び込むかわからんわ、殺されるくらいならその前に全部週刊誌か何かに怒涛のようにお前らの非道を全部バラして公共に撒き散らしてから刺し違えてやりたい、そのくらいしないと死にきれねえぜ、みたいなそういう「季節」ってのは規模の大小はあれど人には誰しもそれぞれの経緯と人生の流れで訪れるのかもしれぬ。自分なんかは去年あたりから今夜だってそんな心地だったりするんだが。お互い様である。そしてそんな時は剣呑な音楽を聴くのが似合う。疲労は少し回復し、末代までの怒りと反抗は忘れずにすむ。

 自分的にはENDLI☆の繰り出す音世界は今のところ、決して「好きな」惑溺する旋律やコード進行のそれではない。だから簡単にキタ━━(゜∀゜)━━ !!!的に脳内快感で盛り上がるわけではない。しかし、次第にその言っていることの「痛み」ってのは(確かにいろいろな商業的意匠を含んでるかもしれんがそれを割り引いたところで言っても)本当かもしれない、という感覚は、去年よりもおぼろげに、だんだんしてきたかもしれないと思っている。痛い。
 痛い病だ(^^)。それもお互い様だが。でも自分の性格ってものは簡単には変えられなさそうだし、他の誰でもなく、自分だけは欺くことはできないから。
 この人も、いよいよマリリンマンソンスガシカオ(爆)の道を歩むのか(笑)。「困ったもんだな~(笑)も~この人は^^」みたいな。レーベルも出来たらしいし。おっちゃんインディーズやん(^^)。(最強の商業的インディレーベルか?)
 そのへんはともかくとして。 

「君が泣いても何も出来ぬ今日を生きていたい」
…それなら、わかる。
そういう歌詞を待ってたような気がする。
と、ENDLIの歌詞では初めて、今日思った。(20070207)




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