営業担当県である 滋賀県で 着任当初より気になっていたものが
滋賀県の方にはお馴染みの 「飛び出し君」です
飛び出し注意を呼びかける看板ですが 滋賀県を走っていると気にならない事が不思議なくらいです
でも この「飛び出し君」もいろいろなバージョンが
この子は 飛び出した後か 路地へ逃げています
次の子は
時間が経つと 色が剥げてきます
人も 時間が経つと この子の頭のようにハゲてきます←私を含む一部の方ですが
痛んでくると 地元の方が 補修をしているようですが 補修後は こんな子も
顔が 怒ってる
この子は 補修途中でしょうか 顔が白く塗られて 目だけが残っています
白い「飛び出し君」はこんな所にも
冬に吹雪くと「飛び出し君」も真っ白に
この滋賀県基本形飛び出し君の他にも あります
手作りのかわいい女の子版ですね
女の子版は 他にも
男の子もあります
これも手作りと思われるサッカー少年や 一般販売されている既製品の子も
でも 逆立ちしています
この他 おばあちゃん版や 豊郷付近では「けいおん」の飛び出し君もありますが 「いつでも撮れる」と仕事に追われていると 結局 撮れないで 突然の辞令が
来月より 広島県・鳥取県の担当に移動になりました
着任2年での移動は異例なのですが 会社の思いと私の思いが重なる部分があるので承諾・・・ ←雇われの身ですので逆らえませんが
でも 折角 苦労して これから成果が出るかと思った矢先ですので残念です
社内より 社外に人の絆ができたので 非常に心残りですが また 新天地でも楽しい出会いがあることを期待します
まだ お客様には報告していませんが 来週から悲しいお知らせを告げなければと思います
社内的には 11月からですが 展示会など忙しいので 年内中の引継ぎになっていますので 残った日数を楽しまなければ
今日は 三重県鈴鹿市に出張で これから 一ヶ月余り週末休みなしの生活が始まります
最後に 滋賀県らしい 飛び出し君を
ひこにゃんも 飛び出します
注:今回の撮影は運転中の車内からですので ガラスの反射が多いですので ごめんなさいです
今日は 滋賀県より お客様を招いて小豆島へ
小豆島の玄関口 土庄港に 親友tのMyボートを泊めて 上陸です 近くには 高松港からのフェリーが停泊中でした
当初の予定では ここでレンタカーを借りて 二十四の瞳映画村に行こうと思っていましたが 今日は三連休中日 どこも予約でいっぱいで
仕方が無いので 以前に行った そうめんの美味しい食堂へ
玄関先には 「改装のため休み」の札が
たまには こんな日もあります
せっかくなので土庄港にある 定番スポットを
周りにはオリーブの木が いっぱいです
木には たくさんの実が実っています
近くには 「オリーブの歌」が
定番は このぐらいにして 今回 気になったものを
カメラを向けてと言っているようなので
他にも
バケツの上にブイを置いて人形にしているようですが 調査不足で 詳細は解りません どなたか教えてくださいね
土庄港より出港するフェリーの後を追い 我々も出港して イイダコのメッカ 団子瀬へ行きますが 不発
気分を取り直して 私のお気に入りの桟橋に行きますが 団体さんの予約があるとかで 追い出され 今日は 散々でした
今日は 何をしてもダメな一日でしたが お天気だけは最高でした
「お天気よければ すべて良し」 海は自然相手ですので 天気が一番です
営業担当県である 滋賀県と三重県を行き来するたびに 通る場所 東海道五十三次の 47番目の宿場「関宿」をご紹介です
道の駅に車を停めて 街道を散策です
街道沿いの お店をいくつか ご紹介します
まずは こちら
桶屋さんみたいです
店内には 桶作りの道具が見えました
軒先の瓦には
「器」の細工瓦です
電気屋さんも
電気屋さんの看板ですが 入口上のガラスには と・う・ふ とうっすら残っていますので 以前は豆腐屋さんだったのでしょうね
旅館も
ここも 看板は旅館ですが 店先には魚や野菜が並んでいます
今日の特価品は「きゃべつ20円」だそうです
薬屋さんも
看板も右から読みますが 大手製薬会社「シオノギ製薬」も 昔は「塩野義商店」だったのですね
ショーウィンドウの中には
左下にあるガラスの容器に見覚えが
金具でゴシゴシして 上の細いガラスを ポキッと折って細いストローで 吸っていましたね
ここの 薬屋さんは 今ではカフェらしいですが この日は定休日だったみたいです
二階の軒先にも古い広告看板が
誰もが知っている「味の素」ですが キャッチフレーズがすごい 「世界的調味料」 社名も 鈴木商店だったみたいですが 今では 社会的企業 味の素ですね
この宿場町には 銀行も
建物は新しいのですが 街道に溶け込んでいます
郵便局も
〒マークと看板が無ければ分かりませんね
展望台から街道を
いつもは国道を走るので こんな良い街道があったなんて もっと早く寄って見ればよかったです
最後に オマケを
久しぶりに マンホールです
私の母校である 玉野市立日比中学校を 再び親友tと訪問
正門前の桜並木からですが 春の入学式には この桜が新入生の門出を祝って満開になっていました
校内に入り 北側に行ってみます
在学中には ここに給食室と購買がありました 校内で文房具や土曜日にはパンが買え 中庭の「いこいの広場」では自動販売機があり 昼休みにはジュースが買え 小学校から進学した時には 「大人になった」と 感じたものです
グランドも
懐かしい光景ですが やはり木造校舎が無いのと ナイター設備があるので 今ひとつですね
グランド上の テニスコートは
立派なドームが出来ています このドームは 高山さんと言う方の寄付で建設されたそうです
この 山手には
ここから 裏山に上る山道があって 私の世代の卒業生は 皆さん登ったことがあると思います 特に 体育会系の方は 毎日ここを何往復もしていましたよね
では 体育館も
正面は少し改修されていますが 横は 当時のままです
玄関のガラスにカメラをつけて 盗撮です
でぇれ~の~ 昔のままじゃぁ~(岡山弁です) 床もピカピカです
当時は 運動中に水を飲むことは許されなかったので 顔を洗う振りをして 水をすすっていたものです 「昔の常識 今の非常識」の代表的な例ですね
ステージ側も
懐かしいですね 良く撮れていますが これでも 外からガラス越しでの撮影で 中には進入していませんので・・・
体育館の裏庭にも
当時は在校生が 700~800人いたので ここの自転車小屋も満車でしたね
ここの 自転車小屋には 記憶に残る木が
ここの卒業生の方は 見覚えがあると思います
そういえば この木から 自転車小屋の屋根に登り 走って遊んだ記憶も
久しぶりの訪問でしたので 和田地区を一望できる 懐かしい場所へ
花火大会のときには ここから見えていましたし 中央には造船所も少し見えます
少しアップで
建造中の船が見えます 子供の頃 ここから見る風景が 好きでした
中学校側も
昔のまま
小学校側も
少し 新しい家が増えています
この方向の先には 当時の和田地区の中心部がありました
移転するまえの生協があった付近ですが 今は残っている店舗の建物も
この近くには
この場所にどんな建物があったか記憶にありませんが 山肌に残った 浴室であっただろうタイルが 目を引きます
この付近には生協はありましたが 野菜は八百屋 魚は魚屋 肉は肉屋 文具は文房具屋 パンはパン屋 花は花屋・・・・・こんな生活が懐かしいですね 今は 薬屋で食品も買えたり インターネットや通販で何でも買える時代ですものね 便利ですが 人とのふれあいなど 人に大切なものが無くなっているような気もします
昔は 良かったなぁと 思う歳になってしまいました
そこで おまけを
日比中学校のグランド横にあったトラクターですが 何に使用していたのか シートもボロボロです
2駆のトラクターなので年代物でしょうが このトラクターが活躍していた時代は 農機具業界も全盛時代だったのでしょうね
現代では ホームセンターで 耕運機を売っている時代ですから
文具は文房具屋 花は花屋 専門店でと思いますが 便利なので一ヶ所で済ます自分がここに居ます