明治の中頃から大正にかけて、西洋から入ってきた石版の技術による石版画が流行する。現代のわれわれから見ると写真とも絵画ともつかない独特の雰囲気を持った版画である。しかしこれによって皇室の方々の肖像画が普及していったのであろう。そしてそれまでの木版の浮世絵とは違った新しい美人画としても広まっていったようである。
明治天皇・皇后と皇族方



宮中の女官
左端は柳原愛子典侍 大正天皇の生母で柳原白蓮の叔母。次は「内侍弄笙之図」という題だがこれもそうだろう。




以下は華族の令嬢など上流社会の女性たち。「貴顕」「貴嬢」などとあって、高嶺の花の憧れだったようである。












◎ 柳原愛子 補足
愛子は「なるこ」と読むようである。
この人については、過去にも取り上げているが、その時は下掲の絵で、今回の石版画ではない。
今回の二枚目をこの人と推定したのは、下の国周の絵に依ったのである。
豊原国周 「音楽美人揃」 月岡芳年「美人七陽華」


