古代の武人の姿を再現したものか、ドラマの中の架空の兵士なのか不明。
第一に中国なのか朝鮮なのかも不明。
当ブログはそんなことはお構いなしで、若い女の子たちが並んでいれば、それでいいんでして。
◎ 吉原八景
上部の四角枠内に近江八景の各地と情景の名称の説明があるが花魁との関連はないようで、八人を選ぶために八景の名を使っているだけのようである。
粟津 晴嵐 ・ 堅田 落雁 ・ 瀬田 夕照
三井 晩鐘 ・ 唐崎 夜雨 ・ 石山 秋月
比良 暮雪 ・ 矢橋 帰帆
◎ 新吉原八景 「新」吉原八景 か 「新吉原」八景 か
吉原という遊郭は当初日本橋人形町に在ったのだが、17世紀半ばの明暦の大火で焼失、その後浅草田圃の僻地に移されて、「新吉原」と言われた。
しかし英泉の活躍時期は約150年後の19世紀前半なので、いつまでも新吉原とは言ってないだろうから、「続」吉原八景 と同義とみるべきか。
こちらは八景の情景名称は使っているが、場所は四か所で、あとの四か所は妓楼での用語になっている。
仲の町の夕照 ・ 日本堤の落雁 ・ 浅草寺の晩鐘
山谷堀の帰帆 ・ 後朝の晴嵐 ・ 楼上の秋月
居続けの暮雪 ・ 狎客の夜雨
※ 「狎客」は馴染みの遊び客の意か、それとこの絵だけ花魁の個有名がない。
「近江八景」のもじりで、扇の小間絵に江戸の名所八ヵ所を描いているが、「夕照」の替わりに「時雨」となっている。
それら名所の光景と女達の様子とは直接の関係は無いようである。
待乳山の落雁 ・ 富ヶ岡の時雨 ・ 両国橋の夜雨
仲町の晴嵐 ・ 高輪の秋月 ・ 本所一つ目の暮雪
汐留の帰帆 ・ 金龍山の晩鐘
十点だが揃いかどうかは不明。
小間絵に、~よう、~ていとサブタイトルで、当世流の様子、恰好、姿を表しているようである。
ただ小間絵に描かれている様子と女性の様子との関連が分らない。「船の乗りよう」が何となく似ているが、しかしそれで何が面白いのだろうか。
羽織畳みよう ・ 客人への挨拶のしよう ・ 迎えに行くよう
肴はさむてい ・ 小袖着替えよう ・ 障子出入りしよう
船乗りよう ・ 通り挨拶のしよう ・ 盃を頂くてい
物の見よう
七十九歳と画中にある。
十二支の各動物と関係する行事や習慣等の女性の姿のようなのだが、いつもながらサブタイトルの意味が理解出来ないものが多い。
子の日の小松引き ・ 牛御前のちらし ・ 寅の日の参詣
※ 牛御前はよく判りませんが左に牛の置物が飾ってあり、ちらし寿司でも供えるのでしょうか。
※ 寅の日は金運が強い日だとか。その日にお参りして富籤でも買うんでしょうねぇ。
初卯のおごり ・ しかけもようの辰 ・ 巳 江の島弁天
※ 「初卯詣で」と商売繁盛祈願をしたようですがおごりが不明。参詣後に料理屋などで御馳走を食べたりするのでしょうか。
※ 仕掛け模様という言葉は、津軽漆塗りの言葉のようですが絵との関係は全く不明。
※ 弁天様と蛇は縁が深いのですが、絵との関連は江ノ島で潮干狩りしているということでしょうか。
初午まつり ・ ひつじのおやかた ・ 猿若の評判
※ 「ひつじのおやかた」にはまったくお手上げ。
酉の市 ・ 犬の利益 ・ 亥の日の信仰
※ 「犬の利益」は 若内儀が姑に妊娠の腹帯を告げているところかと思いますが、どうでしょうか。
多分現在でも、五ヶ月目の戌の日に水天宮で安産祈願をし腹帯をするというおまじないをする人はあるのでは・・・。
※ 「亥の日」は、摩利支天が「猪」に乗った掛け軸があり、お供えをするような風習があったようです。
摩利支天は戦の神として武士などの信仰を集め、庶民も護身の神としたようです。
歌舞伎の「忠臣蔵」十一段に見立対応させた女性の姿のようだが、パースケ自身が歌舞伎にしろ忠臣蔵にしろ全く知らないので何が何だかさっぱりわからない作品という無責任。かすかに六段目が勘平という男の腹切りの場ということで、腹を出した女性なのかなぁーという程度。もちろんこの女の人は切腹するはずではなく、おを灸えようとしているらしい。いやちがうかな。