電動糸鋸に挑戦した作品で、型は勿論借り物。
糸鋸には大きな厄介事があります。
洋裁のミシンのように上下動する軸に鋸の上下を固定するわけで、外側輪郭の際は問題ないが、透かし挽きという内側の紋様や文字などを切り抜く場合、
一つ一つに糸鋸の通る穴を空け、一端を外して穴に通して再び固定し、切り終わったら一端を外して鋸を抜き取り別の穴に通して・・・・の
繰り返しを模様の数だけやる訳でかなりうんざりします。
下左は何とかやり通しましたが右は途中でギブアップしたものです。
それに比べると、最初のイルカ作品などは至極簡単に感じられます。
ルネッサンスの美人と言えばボッテチェリ[一段目四点]とピエトロ ディコジモ[二段目左端] 描くシモネッタ ベスプッチが有名である。ただし四点目の作品は通常「若い婦人の肖像」となっている。
何故か左向き真横の姿が多い。
最近の手鞠は子供の遊具ではなく観るだけの飾りものだから、重かろうが中が空洞で軽かろうが関係ないのだが、籾殻手作りに馴れた手には空洞ボールの土台まりはなんか頼りない。
下左端は自作の最大最小の手鞠で、手前の郵便切手と比べてごらんあれ。
大きい鞠は約18cm程。
なお、壱段目のまりは 手鞠の代表典型的なかがり方の「上掛け千鳥」という技法だが、この技法一つだけでもかなりの変化に富んだまりが作れる。
下の作品は手前パースケの作品ではなく、手前の姉の作品です。
姉は私の三番弟子ですでに他界いたしましたが、晩年は長い間手鞠を作り続けておりました。
三十六歌仙の和歌を明治女性の姿にアレンジしたもののようである。
全作揃いを三回に掲載。
謹告
今週以後は毎週「火・木・土・日」の営業とし、
「月・水・金」は定休といたします。
ご了承くださいますよう。
最近は、土台になる発砲スチロールの鞠が市販されており、更に糸まで巻かれたもの、等分に地割した柱糸まで付けられた物まであるので、すぐに色糸で模様かがりにはいれるが、私の始めたころは土台まりから手づくりで、袋に入れた籾殻を古毛糸などで荒巻きし、更に躾糸などでぐるぐる巻きにして球形にする。お分かりのように問題は完全な球に近づけることさえ難しいので、あとは地割りやかがりの際にすこしずつずらしたりして誤魔化すのだが、全面を覆うような模様の際はどうしても隙間が出来て地が見えたりしてしまう。ただサイズが自由に出来ること、手に持った重量感の違いが昔人間には満足感を与えるのである。
ローレライについては「なじかはしらねど」と歌いながらご覧ください。
以下五枚は画面上部にハイネの詩が書かれていますが、六枚目になる四節が欠けております。掲載の最後にあるのは別組の途中の一枚です。
アンドロメダについては2012年6月16日に掲載。
彼女はエチオピアの王女であるが母のカシオペアの娘自慢が海神ネブチューンの怒りに触れ怪獣の生贄としてされそうになる。そこにたまたま通りかかったのが前回のメドゥサを退治したゼウスの息子ペルセウスで、彼に依ってアンドロメダは救われ後に二人は結婚することになる。
この話には二通りあってメドゥサの首を使って退治するのと、普通の奮闘で退治するのとがある。この場面を描いた絵画は多くの著名画家を含め沢山あってメドゥサの首の登場するものと描かれてないものとがある。なおペルセウスの乗っている天馬ペガソスはメドゥサの血に依って生まれたものである。
※ 少し前から編集機能が改変され、これまでのようにならなくなって、画像の上にタイトルや作者名などを置くのが出来にくいようで困惑しております。しばらくは見苦しい有様はご容赦。
下はアンドロメダ一家の星座とアンドロメダ星雲
暑い日が続くので、いささか寒気を誘うメドゥーサの姿を。
とは申すもののもとはと言えば、絶世の美女ながらその美髪がアテナの怒りに触れかくも恐ろしき姿に変えられてしまい、その姿を見たものは石に変えられてしまうという。
ご覧のあなたもそろそろ手先足先が冷たくなって石化症状の始まり始まり。
長野の山歩きをした帰り松本の最終始発夜行を待つ間市内をぶらついていて、土産物の「松本手鞠」に気が引かれたのだがその時は買わずじまい。その後古本屋で「手鞠の作り方」という本を手に入れたのが病みつき。私の物好き病は大抵急性ではあるが、慢性の生涯の宿痾となったものは豆本ぐらい。
要は飽きっぽい凝り症(性)なんでしょうな。
※もとか小さい画像のうえピンボケ気味で糸目がはっきりしないものがほとんどですがご容赦。
右端は紋切り型でも述べた我が家の家紋を鞠の四面に仕立てたもの。
以下の三個とその下の二個は単に糸の配色を変えただけで全く同じ技法で作ったものなのだが、異なった作り方によったもののように見える。