初夢は「一富士二鷹三茄子」が縁起がいいとされるがなぜかよくわからない。
一昨年同様「初夢」の浮世絵を並べた。ただし豊信は一昨年の画像が不明瞭だったので別なものを再掲載。
初夢でないものもあるかもしれないがそこはお見逃しを。
石川豊信
磯田湖龍斎 磯田湖龍斎 ?
歌川豊国 身請けされてお国入りの夢か
磯田湖龍斎 喜多川歌麿 二点 色気と食い気
◎ 周延の「源頼光」は弁天様登場の吉夢なので特別掲載
窪俊満 鈴木春信 楊州周延
菊川英山 邯鄲の夢
よる
※ 「初夢」の定義は「元旦の夜にみる夢」と簡単にいうが、もう少し詳しく調べると以下の三説ある事が分る。
一 大晦日から元旦に掛けた夜にみる夢
二 元旦から二日にかけての夜にみる夢
三 二日から三日にかけての夜に見る夢
以上のうち、『二説』が有力なのは当たり前のように思うかもしれないが、そうは簡単に決められない。
まず「夜」「夜間」とはいつかはっきりさせなくてはならない。普通には「日没から日の出まで」と説明されてその通りに間違いないと考える。
一日の始まりはいつかと言えば現代人は夜中の「零時」と考える。つまり「夜」は「午前夜」と「午後夜」に分断され一日に二回存在するのだが誰もそういうふうには考えず、通して一日一回と考えて矛盾に気がつかない。だから「元旦の夜」といっても午前の方は無視して午後の方だけで二日の夜も含めている不自然な表現になっている。むしろ一日の始まりは夜明けからとしている昔の人の方がその点自然である。
この一日の境目を日の出とすることは、徒然草の有名な十九段に見えている。大晦日の夜に人々が夜中過ぎまで騒ぎまわっているが「
暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心細けれ」というのがそれで、夜がまだ明けない暁ごろは大晦日の続きの最後のころだからこそ「一年の名残り」を惜しむわけで、その後「かくて明けゆく空の気色」は特に昨日と変わっているわけではないが「珍しきここちぞする」と新年が始まるのである。
なお三の説は、元旦は商店などはすべて休業で、多くの人々の実生活の何事も二日から実の新年が出発するということで二日とされたらしい。
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