3月だからか、あるいは私に限ってのことかわかりませんが、まあとにかく色々あった1週間でした。
本日は院の卒業式(修了式)に出席、無事修士の学位記をいただきました。
とはいえ、指導教授の助太刀あっての修了証書、私一人では到底書けない壮大なテーマに挑んでしまったことに、書き始めてから気づくおバカぶりです。
1月中旬の論文の締切当日、それももう10分ほどでその時間が来るという頃、まだ必死でワープロを叩いていた私はきっと心臓に毛が生えているのでしょう、我ながら。
当日初対面の人やら数回会っただけの学生さんにも思いっきりコピーやらを手伝ってもらい、3,4人の手をわずらわせてのギリギリ提出だったのでした。
何と、今日経済学研究科修士課程の総代として証書を受け取った優秀な男性もその一人。
顔を見て慌ててお礼を言ったら、「あの日はドラマチックでしたねぇーーーーー」としみじみ言われ、「そうか、用意周到な彼には信じられない光景だっただろうな…」と改めて思ったことでした。
私の人生には大抵いつもどこかで想定外の何かが起こっているので、あまり気にしていませんでしたが、良いのか悪いのか…。
画像は、これがくだんの学位記。
A4サイズで格調高い濃い紫の分厚い布地で表装され、金色の校章と校名入り。
しっかりずっしり重みがあります。
これを得るためにどれだけの時間とお金を使ったことやら。
いやいや、そういう可愛くないことは考えないことにします。
実は論文の、最大の山場である3章と4章が思ったように書けず、「特別専攻生」として4月以降も院に残ることに。
まだまだ試練?は続くのです。
本日は院の卒業式(修了式)に出席、無事修士の学位記をいただきました。
とはいえ、指導教授の助太刀あっての修了証書、私一人では到底書けない壮大なテーマに挑んでしまったことに、書き始めてから気づくおバカぶりです。
1月中旬の論文の締切当日、それももう10分ほどでその時間が来るという頃、まだ必死でワープロを叩いていた私はきっと心臓に毛が生えているのでしょう、我ながら。
当日初対面の人やら数回会っただけの学生さんにも思いっきりコピーやらを手伝ってもらい、3,4人の手をわずらわせてのギリギリ提出だったのでした。
何と、今日経済学研究科修士課程の総代として証書を受け取った優秀な男性もその一人。
顔を見て慌ててお礼を言ったら、「あの日はドラマチックでしたねぇーーーーー」としみじみ言われ、「そうか、用意周到な彼には信じられない光景だっただろうな…」と改めて思ったことでした。
私の人生には大抵いつもどこかで想定外の何かが起こっているので、あまり気にしていませんでしたが、良いのか悪いのか…。
画像は、これがくだんの学位記。
A4サイズで格調高い濃い紫の分厚い布地で表装され、金色の校章と校名入り。
しっかりずっしり重みがあります。
これを得るためにどれだけの時間とお金を使ったことやら。
いやいや、そういう可愛くないことは考えないことにします。
実は論文の、最大の山場である3章と4章が思ったように書けず、「特別専攻生」として4月以降も院に残ることに。
まだまだ試練?は続くのです。