7月29日に入院してから、約2カ月。
母にとっては生まれてはじめて?の入院生活。
最初の1週間は、ほとんど検査で、かなり体力的にも落ちてしまったようでした。
そのあとは、点滴の毎日。
口から食事をとることができればよいのですが、そもそも病気の症状のひとつとして嚥下障害があり、誤嚥性肺炎を起こす可能性があるため点滴だけの生活をしていました。
しばらくして口からも食べれるようにということで嚥下訓練を開始したんですが
母はそれを拒否。たぶん飲み込むのが大変で疲れてというか、怖かったのかもしれません。
このまま点滴だけでは栄養をとることは難しいということで、主治医の先生から胃ろう造設の話がありました。
私自身は、いずれかそうなるであろうと思っていたので、胃ろうにすることについてはさほど抵抗ありませんでした。
では母自身はどうだったのでしょう?
まだ元気なころ、延命治療をしないでほしいということを兄に告げていたようで、その延命治療が胃ろう造設にあたるのではないかということで、兄は胃ろうを造設することに対して戸惑っていたようです。
そして、母自身は、たぶんあまり理解できていなかった…というのが本当のところでしょう。
今回のことで、延命治療ということばに対してあらためて考えることが多かった気がしました。
“延命”ということばが、どの程度のことをいっているのか?
“延命”をしないということが、“自然死”になるのかどうか?
ひとが“生きる権利”をどこまで尊重していくのか?
あと、本人の意思。。。をどの時点のことで尊重していくのか。
何が正解などということはないと思うのですが、少なくとも自分自身のなかでその場その場でその後のことも含めて決断をしていかなくてはならないというのは辛いなぁと感じました。
さて、9月初めに胃ろうを造設し(15分程度でできてしまいます)、その当日はイタイイタイを連呼していた母ですが、最終的には先生も驚くほど何も症状がでることなくうまくいきました。
そうなると、あとは退院に向けての準備です。
再び在宅介護になるわけですが、以前と違うことは経管栄養と痰の吸引をしなくてはならないということ。
わたしにとっては初めてづくし…。
今回もケアマネさんにたくさんお世話になりました。
ということで、どんな感じで準備をしていったのかということをまた続きで簡単に記録しておきたいと思います。
母にとっては生まれてはじめて?の入院生活。
最初の1週間は、ほとんど検査で、かなり体力的にも落ちてしまったようでした。
そのあとは、点滴の毎日。
口から食事をとることができればよいのですが、そもそも病気の症状のひとつとして嚥下障害があり、誤嚥性肺炎を起こす可能性があるため点滴だけの生活をしていました。
しばらくして口からも食べれるようにということで嚥下訓練を開始したんですが
母はそれを拒否。たぶん飲み込むのが大変で疲れてというか、怖かったのかもしれません。
このまま点滴だけでは栄養をとることは難しいということで、主治医の先生から胃ろう造設の話がありました。
私自身は、いずれかそうなるであろうと思っていたので、胃ろうにすることについてはさほど抵抗ありませんでした。
では母自身はどうだったのでしょう?
まだ元気なころ、延命治療をしないでほしいということを兄に告げていたようで、その延命治療が胃ろう造設にあたるのではないかということで、兄は胃ろうを造設することに対して戸惑っていたようです。
そして、母自身は、たぶんあまり理解できていなかった…というのが本当のところでしょう。
今回のことで、延命治療ということばに対してあらためて考えることが多かった気がしました。
“延命”ということばが、どの程度のことをいっているのか?
“延命”をしないということが、“自然死”になるのかどうか?
ひとが“生きる権利”をどこまで尊重していくのか?
あと、本人の意思。。。をどの時点のことで尊重していくのか。
何が正解などということはないと思うのですが、少なくとも自分自身のなかでその場その場でその後のことも含めて決断をしていかなくてはならないというのは辛いなぁと感じました。
さて、9月初めに胃ろうを造設し(15分程度でできてしまいます)、その当日はイタイイタイを連呼していた母ですが、最終的には先生も驚くほど何も症状がでることなくうまくいきました。
そうなると、あとは退院に向けての準備です。
再び在宅介護になるわけですが、以前と違うことは経管栄養と痰の吸引をしなくてはならないということ。
わたしにとっては初めてづくし…。
今回もケアマネさんにたくさんお世話になりました。
ということで、どんな感じで準備をしていったのかということをまた続きで簡単に記録しておきたいと思います。