前回の記事「YRPができる前」その1の続きです
私の職場で、地元民のみなさんにその内容を検閲?してもらったところ、「今はどうなってるの?」「お良しちゃんは何でもすぐやってくれるから~♡」という よくわからないお達しを受けてしまったので、「ハイハイ、わかりました(*´ω`)」と、翌日すぐに現場へ飛んでみました
こちらの1983か1984年の「長沢6丁目 奥地の田んぼ」の今は・・・
( 右奥に写っている三角形の道にご注目くださいませ )
右奥にある 枯れ竹が渡してある場所が、かつての三角形の場所だと思います
田んぼは貯水池になっています
今回ふたたび行ってみて思い出してきたのですが、そういえばこのあたりに「ガマの穂」がたくさん生えていたような記憶がよみがえってきました。なので、もともとここにはこの「深井堰」というものがあったのかもしれません。
母が立っている田んぼが手前で、「深井堰」が奥のYRP側だったとは思いますが、だんだんと自信がなくなってきました・・・。
それから、田んぼの奥に写っている道ですが、今は行き止まりです。YRPに上がっていく階段になっています。開発当初とはうって変わって鬱蒼とした暗がり階段になっていますね~(;´・ω・)
母と散歩に来ると、階段に腰かけて日向ぼっこをしたものです(#^.^#)
あそこを上がったところの写真は、後でご紹介します
★ お次は・・・
田んぼの奥に写っている道を上がっていった所で 火燃しをしている この場所 と、、、、
この貯水池の現在はといいますと・・・
「YRP・横須賀リサーチパーク」南東の端、奥から「ホテル」・「NEC」、そして今でも畑という感じになっています(*^-^*)
「深井堰」からの上り階段は、あのホテルの裏辺りに上がってくるので、昔のため池や田んぼはここだっただろうと思われます。
そして、私がこの写真を撮っている場所はといいますと・・・
黄色い矢印の所から見たら こんな場所です。 あそこから見ますよ
はい、黄色い矢印の先の高台です( よけいなことを書くようですが、YRPも土地が余っているようで もったいない! )
あの高台から海が見えます~♪
三角形の山は、野比の白髭神社の裏手「富塚山( とみづかやま )」、別名「咎山( とがさん )」です。カメラを引いてみると・・・
ほーら、土地が余って?「セイダカアワダチソウ」の天下となっちゃってます!(>_<)
それで、もう一度画像を戻しますけれど・・・
元「貯水池」があっただろうここでは、あの黄色い矢印の場所から山に入っていく道があります。
それが
ここが とば口です。
これは まさに私に対して言っているような看板です、アッハッハー(*´▽`*)
今や「横須賀市の公認・公式ハイキングコース」になっているらしいです! 知りませんでした。
この とば口から海の方向を見てみると・・・
どこか見覚えがある景色。
ああ! そうです、そうです! ここは前回の記事で書いた、人知れず存在していたお花畑があった場所ではなかろうか?と懐かしく嬉しく気がついたのです (T_T) う~ん
★ では、山道に入っていくことにします
愛車・マウンテンバイク (自転車)の「サンシャイン号」で遊んだ道です。以前はもっと狭くて、蜘蛛の巣があって、石や木の根っこが顔を出したままの ぬかるみ もあり、走りづらかったです。
今は良いコンディションのハイキングコースになったのですね!
開発から残ったこの山中には、大木が何本も見られました
こちらの木には、画面の中央付近に「うろ」があります。
どんどん歩いて行くと、ここへ行きつくのです( わたしは奥の方から歩いてきました )
右側の大きな木は、前回の記事で書いた「フクロウでも棲んでいそうな うろのある 背の高ーい木」です。
この、フクロウでも棲んでいそうな木 というのがあるのは、前回の記事で この写真を載せた場所ですが、この古い家が残っている場所です
左の暗がりの道を入ったすぐの所にその木があるわけです。
現在の様子
古びた家屋は無くなりましたが、左のこんもりした木の下を入っていくと、大木がまだあります。健在でした、うれしい~♡
ここでさらに嬉しいことに、畑で作業中のダンナさんに このあたりのお話を伺うことができました!
画面中央の「軽トラック」が停めてある所に家屋があったのです。裏に水が湧いているというので見せていただきました。
私の指先と比べても、井戸ぐらいの小ささであることがわかりますでしょう。
かつてこの上に貯水池があったように「長沢」という所はあちこちで水が湧いている場所です。さきほどの自転車で遊んだ山道の脇には、立派な「モウソウチク」の竹やぶが広範囲で広がっています。地下水脈が豊富な証拠です。
ダンナさんが耕す畑からの風景は、ご自身が「一日ここにいても飽きない」とおっしゃる通りの素晴らしい眺めです!
南の方向、三浦富士が中腹の高ささに見えます~。
わたしの背中の方から、さわやかな北東の風が吹き渡っていきます~。
三浦富士183m
右の脇腹が、以前からあんなに落ち込んでいたかしら???
★ ここまで長々と、ご存じない方にはサッパリ理解できなそうな地理関係を書き連ねてきました・・・。文章が上手でなくて申し訳ござしません。もう少しお付き合いいただきたいと思います。
ここの畑のダンナさんに教えられた初めての道を通って、かつての「お稲荷様」が祀られてあった場所へ行ってみることにしました。そうしましたら、行った先で またまた嬉しいことに、私より10歳ぐらい年下の地元育ちの女性にお話を伺うことができたのです!
女性 → むかしはため池のまわりで遊びました!フェンスなんて無かったです。お稲荷さんは この上に確かにありました。「四ッ田稲荷」っていいます。今はYRPの道路の向こう側に行っちゃいましたけど。子ども心になんとなく薄気味わるかったことを憶えています。あなたの持っている写真に写っている農家の女性は○○○○さんかな? お野菜を売ってくれていましたね。お写真なつかしいです~!
( ○○○○さんとは、「屋号」で呼んでいます )
わたし → そうです、そうです。軽トラで野菜を売りに来てくれていました! それから、お稲荷様は、やっぱりこの坂の上にあったのですよね? どうもありがとうございました、散策してきます!
女性 → このあたりの人で、まだまだ詳しい方々がいっぱいいますので、お話してくれると思いますよ!
あーん、感動 感動です~。感激の涙を流しつつ、お稲荷様があったところの急坂を上っていきます
あの上の右側に背の高い1本の木があり、その足元に祠があったのです。
このあたりだと思われます。私は右からの坂を上ってきまして、振り向いて撮影しています。
左にできている道を行くと、すぐにYRPの大規模道路に出ます。そして対面に目に入るのが・・・
移設された「四ツ田稲荷」( よつだいなり )です。四ツ田とは、このあたりの古くからの地名(字・あざ)です。先ほどの地元女性のお話によると、後ろにある常緑樹も移植されたようです。やっぱり地域に大切にされているのですね(*´▽`*) ( 私が記憶している 背の高い まっすぐに伸びた木は伐採されました )
さきほどの急坂の途中に、以前は鎮座していました。
カメラを引いてみてみますと・・・
現在は赤い字で示した所です。
昔の場所は、畑の向こうに見えている白い建物の下あたりになります。
いちおう、以前と同じ方角を向いています(*^-^*)
お狐様は新しく感じられますが、私がむかし見ていたのは きっと、この下に置かれている ↓
こちらのお狐様かな? まぁるいお身体が かわいいですよね。
内部のご神体?どこにあるのかしら?木札がそうでしょうか? すべてが だいぶ古そうです!
以前の場所にあった時代から、あれら陶器の白いキツネ様たちはいらっしゃいましたよ。
★ やれやれ・・・、と歩いて歩いて、最初にお会いした畑のダンナさんの所へ戻ってきた私。心からのお礼を述べて、長ーい階段の下に止めておいた「サンシャイン号」の元に帰りまして家路につきました。
ナラ枯れとはひとまず縁のない「コナラ」の木が、まるっこい実を付けていました。
山里では「セイタカアワダチソウ」が満開で、ありとあらゆる草が種を結んでいました。
なので!
帰宅したお良しの帽子から靴下まで こんな状態で、種子の運び屋となってしまいました!
繊維の間に、グッサリと三本足でしがみついた種子
これも今日の収穫の一つですかね?(笑)
長々とお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
取材日・2020年10月14日