市街を少し歩いてみると,この街が社会資産としての立派な建物をあまり持っていないように思われた。簡単に言うと,昨年アムステルダムやブリュッセル,パリで見たようなヨーロッパならでは?の重厚な風景のオンパレードがあまり見つからないのだ。もちろん,また到着して間もないため,市内の中心部のごく一部しか歩いていない。1週間後にはまた違った印象を持っているだろうとは思う。
一方で,だからこそこの街や国が「人」を資産と考え,大切にしているのだろうかとも思えてくる。昨年見たヨーロッパの街並みは,過去に世界の中心になった歴史があり,その歴史のなかで世界中から多くの富が集まり,その富を用いて街をつくり,建物を造り(キリスト教の影響が強いが・・・),そしてそれが現在も残されている。
同じような歴史は,この街にはなかったのだろう。しかし,この街の歴史は確かにあったし,今もつくられている。もしかしたら,今つくられているその歴史的な資産は,人の幸福感という記憶のなかに織り込まれるものなのかもしれない。
一方で,だからこそこの街や国が「人」を資産と考え,大切にしているのだろうかとも思えてくる。昨年見たヨーロッパの街並みは,過去に世界の中心になった歴史があり,その歴史のなかで世界中から多くの富が集まり,その富を用いて街をつくり,建物を造り(キリスト教の影響が強いが・・・),そしてそれが現在も残されている。
同じような歴史は,この街にはなかったのだろう。しかし,この街の歴史は確かにあったし,今もつくられている。もしかしたら,今つくられているその歴史的な資産は,人の幸福感という記憶のなかに織り込まれるものなのかもしれない。