文字は人の痕跡です。人がつくった壁に,人が文字を残す。これはある意味最も人間的な行為とも言えるでしょう。
ところが,壁と壁に囲まれた空間は奥に進むにしたがって次第にせばまり,人の進行を妨げます。もしかしたら,奥の方は文字が書けていないかもしれません。しかし,壁が開いた方から眺めると,強烈な遠近感が奥に進むことを求めているようにも思えてきます。
我々は進めばよいのでしょうか。留まればよいのでしょうか。進むとすれば,どのように進めばよいのでしょう。留まるとすれば,どのように留まればよいのでしょう。答えは,もしかしたら,この遠近感の消失点のあたり,二つの壁が接近するあの向こうにあるのかもしれません。
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なーんて,想像してみました。どうですか?
ところが,壁と壁に囲まれた空間は奥に進むにしたがって次第にせばまり,人の進行を妨げます。もしかしたら,奥の方は文字が書けていないかもしれません。しかし,壁が開いた方から眺めると,強烈な遠近感が奥に進むことを求めているようにも思えてきます。
我々は進めばよいのでしょうか。留まればよいのでしょうか。進むとすれば,どのように進めばよいのでしょう。留まるとすれば,どのように留まればよいのでしょう。答えは,もしかしたら,この遠近感の消失点のあたり,二つの壁が接近するあの向こうにあるのかもしれません。
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なーんて,想像してみました。どうですか?
正六角形の中は・・・このように小屋や草木など森の風景が。作品の中に一歩を踏み出すと,フィンランドの原風景とも言える360度のパノラマが一気に広がり,鑑賞者を包み込むのです。
そういえば,この正六角形は木材でできていました。感じる人には,もしかしたら木の香りが中に入るよう誘っていたかもしれません。
そういえば,この正六角形は木材でできていました。感じる人には,もしかしたら木の香りが中に入るよう誘っていたかもしれません。
人が目隠しされているの?と見えた方がいらっしゃるかも。実は,作品の中に入り込んでいるのです。
キアスマで最初この作品を見つけたときには,板をつないで作った正六角形を周りから眺めている人が数人。周りからしげしげと見つめていたのですが,このような作品を見慣れている眼には「何か仕掛けがあるな」と感じられ,写真と同じように中に入り込みました。
周りの人は「あれ?入ってもいいの?」という様子がありありと見受けられましたが,内側にこんなふうに入り込んでいた小生が出たあと,同じことを始められました。その時の写真がこれ。
中に入り込むことによって自分にとって可能になる「見え」がある一方,知らないうちに自分自身が作品を取り込まれた風景の一部になってしまっています。おもしろい。
キアスマで最初この作品を見つけたときには,板をつないで作った正六角形を周りから眺めている人が数人。周りからしげしげと見つめていたのですが,このような作品を見慣れている眼には「何か仕掛けがあるな」と感じられ,写真と同じように中に入り込みました。
周りの人は「あれ?入ってもいいの?」という様子がありありと見受けられましたが,内側にこんなふうに入り込んでいた小生が出たあと,同じことを始められました。その時の写真がこれ。
中に入り込むことによって自分にとって可能になる「見え」がある一方,知らないうちに自分自身が作品を取り込まれた風景の一部になってしまっています。おもしろい。