3.11メモリアルデー
東日本大震災から8年が経ちました。
あの震災は、私たちに色々なことを考えさせました。
今日は、これまでのブログの写真を再編集してみました。
↓ 2011年3月11日。
地震が起きて、慌てて帰宅した時の日没です。
この時は、この大震災がどれほどのものであるのか予想もできませんでした。↓
↑ ”2011年3月13日撮影の朝日新聞の写真”
どんな文章をもってしても、この女性の悲しみをこの写真以上には伝えられないと思った。
262日目の陸前高田
新年の印刷物に、あの津波で生き残った一本松の写真が欲しいと依頼されて、
11月の末、震災から262日目の陸前高田へ、初めて足を踏み入れました。
これは私にとって、非常に大きな体験となりました。
目覚まし時計に貼ったラベル。
ついさっきまであった日常の跡。
バックにあの一本松が見えます。
スパーの出口近くにいた写真の二人の女性に話しかけてみました。
「この人の息子さんは、皆を助けようとして自分も犠牲になったの」。
左手の女性がこう話しだすと、右手の女性はぽろぽろと涙を流しました。
市の職員で消防団員であった息子さん(若杉さん49歳)は、
市の体育館付近で避難誘導を行っていて犠牲になりました。
↓ ”埼玉県の我が家で、初めての計画停電の日。ロウソクで食事(3月14日)”