マーチャンの写真日記(今を感じながら)

ついに退職の日が来ました。
この先どんな生活が展開していくのやら。
趣味の写真を中心に、つづってみたいと思います。

  3月11日(月)  3.11メモリアルデー

2019年03月11日 | Weblog

3.11メモリアルデー

東日本大震災から8年が経ちました。

あの震災は、私たちに色々なことを考えさせました。

今日は、これまでのブログの写真を再編集してみました。

↓ 2011年3月11日。

地震が起きて、慌てて帰宅した時の日没です。

この時は、この大震災がどれほどのものであるのか予想もできませんでした。↓

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
↓ 地震の翌朝のテレビニュース。
 
そしてこの日の夕方、福島第一原発の水蒸気爆発。
 
この災害をより深刻なものにしました。
 
世界中で原発の見方が変わりました。↓ 
 
 
 
 
 

↑ ”2011年3月13日撮影の朝日新聞の写真”

どんな文章をもってしても、この女性の悲しみをこの写真以上には伝えられないと思った。

262日目の陸前高田

新年の印刷物に、あの津波で生き残った一本松の写真が欲しいと依頼されて、

11月の末、震災から262日目の陸前高田へ、初めて足を踏み入れました。

これは私にとって、非常に大きな体験となりました。 

 
 
 
 「蚊とりまっと」、「こたつ消す」。
 目覚まし時計に貼ったラベル。

 ついさっきまであった日常の跡。

 バックにあの一本松が見えます。
 
「気仙沼の大工は、地震で壊れるような家は作らね」。
 
地元で聞いたこの言葉が頭をよぎりました。
 
壊れてない。でも津波には。
 
 
 
(息子さんをなくされた方に会って)

 スパーの出口近くにいた写真の二人の女性に話しかけてみました。
「この人の息子さんは、皆を助けようとして自分も犠牲になったの」。
 左手の女性がこう話しだすと、右手の女性はぽろぽろと涙を流しました。

市の職員で消防団員であった息子さん(若杉さん49歳)は、
市の体育館付近で避難誘導を行っていて犠牲になりました。 
 
 
ホームだけが残った、陸前高田駅前付近。
 
 
↓ 皆が避難したという、小高い場所から海方向を見る。あの一本松が見える。
 
 
 

↓ ”埼玉県の我が家で、初めての計画停電の日。ロウソクで食事(3月14日)” 

コメント (2)
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