アンコールトムに来ました。
アンコールワットは12世紀前半に造営されたヒンズー教の寺院なのに対し。
アンコールトムは12世紀後半に造営された王宮や仏教寺院などの都市遺跡と言われています。
↓ バイヨン寺院
↓ 現地ガイドの日本語の巧みさに驚いていました。
日本人以上に言葉の機微をとらえていたといいます。
アンコールトムに来ました。
アンコールワットは12世紀前半に造営されたヒンズー教の寺院なのに対し。
アンコールトムは12世紀後半に造営された王宮や仏教寺院などの都市遺跡と言われています。
↓ バイヨン寺院
↓ 現地ガイドの日本語の巧みさに驚いていました。
日本人以上に言葉の機微をとらえていたといいます。
(カミさんの旅行記です)
12月1日。6時8分。朝焼けのアンコールワット。↑
↓ 蛇神ナーガの像。蛇は脱皮を繰り返すので、
生まれ変わり、生命力の象徴としてあがめられた。
建物の鬼瓦の場所に尖ってくねくね伸びているのは
蛇の尾を表しているといいます。
↓ 朝日が出ました。6時38分。
↓ ホテルに朝食に戻り、休憩後アンコールトムに向かいます。
朝、寒かったが風もなく日向はポカポカしていた。
我が家も両隣も、皆暮れの掃除にかかっている。
普段見かけないご主人たちがそれぞれ黙々とやっている。
家を開け払っているので互いの家の音も聞こえてくる。
お互いに何十年も連れ添った夫婦。
必要最小限の会話だけで事が進行していく。
なんという平穏さ。この時だけ世間のせわしさから遮断され、
穏やかで確かな時間がここにある。
「もう今日はここまでで」。「いや、荒拭きだけやっておく」。
水を含ませたワイパーを窓に当てたら、障子に凄い水の模様が映った。
これは面白い。連写したのですが意外と一瞬で変わってしまい難しい。
”シェムリアップへ出発。左端にマーライオンみたいな像が”
旅の二日目。プノンペンの市内観光を終え、
いよいよアンコールワットへのアクセス地、シェムリアップへ移動です。
工程表では、陸路6時間の移動。これは半端ではない。
↓ 「えっ、もう着いちゃったの」。ずっこける私。
「だって撮ってる人は私くらいな者」、と不満げにカミさん
あとは寝ていたという。私ならこの6時間しか撮る時ないのに。
↓ 旅の三日目。現地時間5時48分。
懐中電灯を用意してと書いてあったけど、
いざとなったらスーツケースから出せなかったとか。
足元は本当に暗く、ガイドさんのライトに頼って
夜明けのアンコールワットへ。
↓ 6時2分。日の出の時刻はまだまだですね。
(カミさん作マーク)
王宮を後にし、国立博物館に入りました。
↓ なんという細かさなんだろう。
巨大ではないのに、その細密な作り込みの中に大きな世界を感じます。
日本人は、細かな作業することが天性備わっていると思っていたが、
そのルーツは東南アジアにあったのかな。
↓ 螺鈿細工が施されています。
首都プノンペンの市内観光を終え、昼食後。
本命の地アンコールワットのアクセス地
シェムリアップまで、陸路6時間の移動です。
(私の撮った写真ではありません)すべて(カミサン作マーク)
11月30日。首都プノンペン。旅の二日目。
王宮へ。現在も王宮として使われているそうです。
↓ この中は撮影禁止だったとか。
↓ 王と王妃の衣装?
↓ 侍従のユニホーム。曜日で異なるとか。
↓ 王の墓。
↓ 最も最近に亡くなられた王の墓。
”2日目の朝、ホテルの部屋から”
(プロローグ)
「カンボジア・アンコールワットに
行かないかって誘われたんだけど」。
カミさんがこんな話を持って来たのは
8月の半ば過ぎだった。
10月はコーラスの発表会があるし。
結局11月の29日という事になった。
ずいぶん遅いと思ったが向こうは雨季から乾季に
変わる時季でちょうど良い時季だったらしい。
11月29日は我が家では鉄板の日程になっていた矢先、
私の小学校の同級会の知らせが同じ日になったのです。
かくして、同じ日に超熟女4人組は南の熱帯に。
一人旅の私は、凍傷になりそうな高ボッチに行くことに。
カミさんの旅写真をしばらくアップします。
↓ カンボジア・プノンペンのホテルから
前夜夜景を撮った川沿いの朝の風景。
↓ ホテルから。王宮。
↓ ホテル屋上から。博物館。
↓ 朝食後、市内観光。王宮へ。
↓ 王宮に入りました。 明日も王宮です。
♪「異国の街へ」(河口恭吾 沢田千可子)
異国の街へ 出かけませんか
良ければれば次の 週末あたり
内緒のままで 出かけませんか
難しいことは ひとまず置いて
・・・
以前テレビでこの歌を聴いて、
力の抜けた大人の香りの歌に魅せられてしまった。
最近YouTubeでも見られなくなってしまいました。
しばし行先も考えずぼけっとご覧ください。
日本の陸地を離れます。
↓ 着陸態勢に入りました。
着陸モードになった時あまり地上を写さないようにとのアナウンスがあったとか。
もう分かってしまいましたよね。東南アジアであることが。
↓ 初日ホテルからの眺め。
12月2日。午前6時38分。
ちょうど日の出時刻頃です。
この場所に日が差し込むのは30分以上後でしょう。
(山でのお泊り・3の3終回)
保育園でお泊り保育というのがある。
あれを体験すると子供が一段と成長したように見える。
爺さんの山のお泊り保育はどうだろうか。
そのまま泊まってろ!と突っ込まれそうですが。
いくつになっても体験が増えるというのは楽しいことですね。
↓ 南アルプス。
↓ 八ヶ岳から朝日が差してきます。
↓ ダイヤモンドダスト。霜の結晶がキラキラと漂っているのが見えます。
↓ 7時25分。霜がびっしりの三脚。スマホでピンボケでした。
帰路、出来れば温泉で体を温めて帰りたかった。
そうだ、高速の諏訪湖SAに温泉があった。
体は温まりましたが、あとから掌のカルキ臭がすごい。
あれは改善しないと観光地のイメージ落とすな。
老人のささやかな冒険の一夜を三日間もお付き合いくださりありがとうございました。
今日9日、諏訪地方は5センチ程の積雪があったそうです。
[完]
12月2日。6時14分。
時折霧が湧いてくると別の景色が。
(山でのお泊り・3の2)
一人旅だから、普段できないことをやりたいと、
頭の隅には高ボッチの撮影がありました。
だから寝袋を積んだり、長座布団を車から降ろさなかったり。
でも天気予報は出かける前から曇天で絶望的だった。
寒さは覚悟の上だ、以前は風が強く、
カメラのボタンに触っているのに接触感覚がない。
そんなことも体験していたから今回は想定内だった。
想定外は、盆地の灯りが消える頃は撮影を終了しているのに。
じわりじわりと次々に違う風景が現れてくる。
これには、ただじっと景色の移り変わりを撮り続ける
しかありませんでした。
12月2日 5時22分。
高ボッチ高原からの諏訪盆地。
肉眼では富士が確認できないが
カメラの露出をかけると富士が分かるというレベルの明るさ。
(山でのお泊り・3の1)
高ボッチ高原に着いたときは、午後6時を少し回ったあたりだった。
とりあえず場所の下見をすると、三脚が5脚程場所取りに立ててある。
車は私の車が5台目だった。私も三脚を立てて車に戻った。
月がかなり明るく、車中で明かりなしで夕食に。
することがないから寝袋に入った。7時に目が覚め、8時に目が覚め
次に目が覚めたのが10時だった。起きるたびに外にトイレに。
月明りで枯草の色もしっかり見える。寝袋の中は熱いくらいだった。
次に目が覚めたのは午前1時半、少し寝たな。少し寒さを感じた。
車の右窓から見えた月は左窓に移っていた。
寒さはどんどんきつくなってくる。もう寝るのは無理だと思ったが、
撮れる時間ではない。外を眺めていたが、人の動きが出て来たので、
私も4時近くに車から出た。まだ景色は夜景そのものだった。
↓ 5時33分。最初の写真から11分後だ。
↓ 6時6分。 寒い、車の温度計は-6度を指している。
まだ日の出時間ではありません。こんなペースで、高ボッチ黎明写真、あと2回続けます。
”ホオジロガモ ♂♀”
12月1日。信州一人旅。
諏訪盆地で何かと時間をつぶしています。
↓ オナガガモ
時間は午後二時をまわった。
景色も後は夕景を撮るくらいだ。
私は朝からずっと迷っていることがあった。
当初は見込みないと思っていた天気が意外と良い。
夜の撮影も狙えるだろうか。という事だ。
しかしこの時間から夜までは長すぎます。
午後三時頃湖畔の温泉に入り一休み、
その後どうするか考えることにしました。
温泉に入って、仮眠して目が覚めたら午後四時をまわっていた。
長い長い時間と思っていたが急にせわしくなった。
手始めにこの場所に来てみた。月齢12日の月が既に出ている。
八ヶ岳は雲に覆われているが、この先、空全体が雲に覆われることはないだろう。
カミさんが一緒だったら絶対に足を引っ張られる。
行くとしたら、今でしょ。
私は高ボッチ高原で、明日の夜明けを迎えることを決めたのです。
↓ 月光に光る湖。 トビュッシーの”月の光”をBGMにどうぞ。
↑ 今日は、プラ・ペットゴミの日だ。
昨夜雨が降ったのか。道がしっとりしている。
カーブミラーの反射が面白かった。(これは信州旅ではありません)
[信州旅 諏訪盆地で一日(2)]
一人での信州旅。そのまま帰っても良いのだがそれではもったいない。
とりあえず飽きるまで諏訪盆地をカメラ散策することにしました。
↓ 今季初の ミコアイサ♂
↓ こちら♀
↓ これ、ミコアイサ♂の成鳥前の個体でしょうか。初めて見ました。
奥はホシハジロ。
↓ まもなく、飛びます、飛びます。
今季初。飛ぶところも取れて満足満足。
鳥カメラで対岸の八ヶ岳をパチ。 ↓