Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

作曲家は真実のみを語るのか?(No.1821)

2011-04-03 21:09:28 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 本日2011年4月3日(日)日本経済新聞朝刊24面に、作曲家兼音楽評論家=林光 の 「人の心に届くもの」という長文が掲載された。内容としては「2011年3月11日(金)14:46の 東日本大震災」と「1945年8月6日の原爆投下」を重ね合わせて見て、『原爆小景』作曲家としての視点の立脚位置を確認した文章であり、説得力の高いものである。日本経済新聞読者の方で未読の方は是非ご一読頂きたい。
 全4段落構成。私高本が「ん? おやっ??」と感じたのは第2段落終結部の「状況」を書いた文章である。


(以下、2011年3月11日日本経済新聞朝刊24面林光著より引用)
 三月十一日午後二時四十六分、ぼくは川崎市宿河原のこんにゃく座稽古場二階で、座の歌役者大石哲史と、(中略)稽古をしていた。
(中略)最初の大揺れがおさまり駐車場から戻って「シャコンヌ」の続きを弾いていると二度目の大揺れ。ふたたび駐車場へ避難したら、空がさっきまではなかった黒い雲に覆われて雨が降ってきた。
(以上、引用)


 私高本も同じ時間に同じ多摩区の隣町=堰 で地震に遭った。同じ中学校学区域であり、「こんにゃく座稽古場(兼 大道具等倉庫)」は買い物の行き帰りに横目に毎週通っている。我が家から数百メートルである。「人の感覚は各人各様」であるが、私高本とは随分異なる感触なことに驚いた。

  1. 1回目は巨大だったが、余震はあったが「2回目に驚くような揺れ」は無かった。川崎市の広報スピーカからも「地震は(1回で)多摩区は震度4」の放送がけたたましく轟いた。
  2. 1回目の地震の直後に既に雲行きが怪しく、空は急に暗くなっていた。雨が降り始めたのは、1回目の揺れが収まってからほぼ20分後。

だからである。
 林光 と 私高本 のところで地盤がそんなに違うとは思えない。関東ローム層の上に建っているが川崎市内では揺れが小さかった地域であり、岩盤が突出していることは極めて考えにくい。私高本が時間を細かく覚えているのは、佐伯周子に電話したのになかなか繋がらなくてこまめに時間を見ていたからである。空の異変は「東側の空」からどんどん速足で迫ってきたことも覚えている。

 林光 は作曲家なので、「感性」で状況を捉えたと思うが、随分と私高本とは認識が異なることに愕然とした次第である。


 さて、ここで

「作曲家の本業 = 作曲楽譜」に書かれていることは『全てが真実か?』


を、シューベルトについて検証してみたい。「シューベルトの書いたものは全て真実!」と言いたいところなのだが、どう考えてもおかしいことがある。(非公式である)日記上の「空想」とかではなく、「楽譜上」のことである。主に「日付」について、妙なことが少なからずある。

  1. 交響曲「グレート」D944 の日付が「1825 → 1828」に上書きされていた!


  2. ピアノソナタ ロ長調 D575 の「第1稿自筆譜」と「第2稿筆写譜」の日付が1817年8月なのに、別の「第2稿筆写譜」は1818年8月


  3. ピアノ舞曲エコセーズ D299 は、「第1稿8曲? 1815年10月3日」、「第2稿12曲 日付無し(1817年と推測)」、「第2稿12曲 1818年」



 他にもあるが、代表的な3曲を挙げておこう。

 「グレート」D944 の場合は、別の D番号(= D849)をもらうおまけまで付いたほど、後世の人々を混乱させた。ピアノ曲はあまり話題になっていないので、混乱は起こっていない(爆

「シューベルトの自筆譜署名年月」は必ずしも本当のことを書いたとは限らない


 これは残念だが事実である。筆写譜も友人はシューベルトの意図に従ったので同じである。

 作曲家は「無から有を作り出す創造力」が必要なので、シューベルトにしても林光にしても感受性が高い。「詩」を読んだ後、「曲」を作るにはどのような力が働くのかは、他人からはわからないが、巨大なエネルギーが必要だろう。短い瞬間を長く記憶したりすることができなくてはならないだろうから、時間的な感性は他人の目とは違って当たり前。

 ・・・とは言うものの、シューベルトが「年」を勘違いしたことは無いハズ。これは明らかに意図したことだ。「推理小説作家」のトリックだけに注目していては「音楽学者」は通用しないんだよね(爆
コメント
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