グルダの「MPS初録音」の4枚
ドビュッシー:前奏曲集第1巻全12曲
ドビュッシー:前奏曲集第2巻全12曲
「遙かな惑星の歌」(グルダのピアノソロのみ)
「我がウィーン再訪」(グルダが変名の「ゴロウィン」を用いてヴォーカルを兼ねたジャズピアノトリオ)
この4枚を 1969年2月に「MPSスタジオ」で録音した。リリースした順序は知らない。昨日号に掲載した「MPS録音一覧HP」見ても、私高本が持っているLP(現に手元にある!)が掲載されていなかったりするので、カタログとしては不完全。何ともかんともわからないのである(爆
ドビュッシーの2枚組日本プレスLP(テイチク盤)には、グルダを「左手側」から撮った録音風景写真が1枚掲載されている。暗いのではっきりしないところもあるが、録音スペースは決して広くない。この広さでは「ジャズピアノトリオ」は余裕であるが、「フルバンド」や「モーツァルト規模のオーケストラ」は極めて難しい感じである。MPS はグルダの協奏曲は1枚も収録しなかった。協奏曲は「MPS録音時代」に他レーベル、しかもメジャーレーベルからリリースしており、「シュタイン指揮ベートーヴェンピアノ協奏曲全曲(LP4枚)」と「アバド指揮モーツァルトピアノ協奏曲4曲(LP2枚)」であり、『グルダ協奏曲の最高傑作』とされている。
つまり「グルダの絶頂期=MPS録音時代」となっているのが「後世の評価」である。正確に書けば
1967.07ベートーヴェンピアノソナタ全曲(amadeo) - 1978.10.15"Message from G"(MPS)が演奏も作曲もグルダの全盛期
である。
「11年も持ったのか!」と感じるか、「11年しか持たなかったのか!」と感じるかは人それぞれ。
私高本は、マリア・カラスに比べれば、遙かに長い全盛期を保ってくれた グルダ に感謝!
である。
さて、「MPS録音最初の4枚」であるが、1969年2月の「28日全部」だったのか、2~3日だったのか? は今のところわからない。当時夫人だった「ユーコ・グルダ」に尋ねればわかるかも知れないが、わからないかも知れない。
この4枚の「意義」をここに書き記す。
1969年2月「MPS録音最初の4枚」の意義
「グルダの意図」通りの録音 → 発売 が初めて実現した
「グルダ自作」が思うように、録音できるようになった
グルダが変装した歌手 = ゴロウィン を登場させ、この後9年間も世間を欺いた(爆
MPSが「クラシック音楽界」で基盤を作った
以上である。分析は次号で。