Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

グルダは真実のみを語るのか?(No.1834)

2011-04-17 18:59:43 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)

1969年2月の「MPS初録音」が「ドビュッシー前奏曲全集2枚」と「ジャズ自作2枚」


を指摘した文章は私高本は全く見たことがない。クラシックファンはジャズを聴かない。ジャズファンはクラシックを聴かない。さらに

「グルダファン」は、グルダの言葉を真に受ける


も原因の1つ。「ゴロウィン」と言う歌手のデビュー盤がこの内の1枚で「遙かな惑星の歌」である。1978年にコンサート会場でグルダ自身が歌うまで、聴衆を欺き続けたのだ!


 グルダは「クラシックの聴衆」に対して、「ジャズでとても売れっ子のグルダ」を演出したかった。1969年2月以前に収録されている「グルダのジャズ」は以下が現在私高本が確認している全て。

1969.01以前の グルダのジャズ録音一覧



  1. FRIEDLICH GULDA at Birdland 1956.06.28 New York(Rec) RCA 74321125872


  2. Little Suite 1965.03.20 Klagenfurt(Live Rec)PREISER MPS06024 9828945


  3. Music for Four Soloiss and Band 1965.09 Wien SABA MPS06024 9828945


  4. GULDA LIVE(only 2 pieces) 1966.12 Wien PRESER


  5. Sieben Galgenlieder nach Texten von Christian Morgenstern 1967.01 Wien PREISER MPS06024 9828945



 これで全てである。LP3枚分にさえ不足している量だ。しかもどの1枚として注目を浴びていなかったようだ。ここで「ピアニスト人生」の全てをクラシック音楽に向けていたならば、私高本が「作曲家:グルダ」なんてカテゴリーを作ることは無かった(爆
 ここまでの「グルダ作曲作品」で面白いのは無い、と断言する。


 1967年2月に、グルダは初来日する。同年1967年7月には離婚問題で緊急のカネが必要になり、amadeo に「ベートーヴェンピアノソナタ全集」を録音開始しているので、わずか半年の間に離婚のゴタゴタが急速進行したようだ。そこから1969年2月までの間に「作曲家グルダは開眼した」のだ。

MPS初録音 = 「自分の思った通り」に録音し、リリースする自由 をグルダは生まれて初めて得た瞬間


である。
 MPS以前のグルダは、ヴォーカルは他人に任せていた。本当は「歌いたかった」のに、である(爆

 「遙かな惑星の歌」は、「MIDLIFE HARVEST」には収録されていないことになっている。但し、これも疑問が相当に残るのだ。1971年に「プレリュードとフーガ」「遙かな惑星の歌」「変奏曲」の3曲が再録音されて、「The Long Road To Freedom」の2枚組に収録されたことになっている。内、2曲は「MIDLIFE HARVEST」にも収録されているが、本当に再録音したのかどうかは全く不明である。グルダの録音履歴にはこの手のことが山ほど出てくる。それだけ大物なのだ(爆


 さて、この「MPS初録音4枚」を通して聴くと何がわかるか? 核心である。

全4枚が同じピアノを用いて、同じ技術者が調律して、同じマイクセッティングで録音したこと!


である。
 そう、「ドビュッシーとグルダ自作」を全く同じに録音したのだ。これは3年前に PREISER "GULDA LIVE" で実験済みであったが、セッション録音で行ったのは初めてであった。使用ピアノ = スタインウェイ D。
 MPSスタジオには1969年2月の開店(?)から、1983年の閉店までこの1台のピアノしか置いて無かった。カネの問題ではないだろう。スペースが足りないのである > 2台のコンサートグランドを置くには。


 「クラシックとジャズの融合」を説き伏せるグルダに賛同して、MPS は フィリンゲン に大がかりなスタジオを持った。グルダは(ほぼ)自由に使用できるようになった。たった1つの点を除いて。それは

MPSで録音する時は全てスタインウェイになった、以外は全て自由を獲得した


ことを意味した。

ドビュッシー前奏曲全集を DECCA で録音した時は、わざわざ「ウィーンでベーゼンドルファーを使用」したのが1955年のグルダ


だった。
 これが後々に大きな禍根を残すのであった。
コメント
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