既に「花の章付き、マーラー交響曲第1番」のCDも出しているノリントンが、今月からN響に定期的に来る。「ベートーヴェン交響曲全曲演奏」が予告されており、今月と来年4月が発表されている。本日プログラム以外は全部ベートーヴェンが入っている(協奏曲だけの回もあり)。前回の「ベートーヴェン交響曲第1番」が悪くなかったので、本日聴きに行った。
実は「マーラー交響曲第1番 + さすらう若人の歌」の演奏会は、結構聴いた回数が多い。関連性は誰が聴いてもわかる上、時間的にもちょうど良い(もう1曲短い序曲程度の曲を入れることも可能)ので、これまで何度も聴いて来た。
・・・で、いつもいつも「さすらう若人の歌」は良い演奏に当たったことが1度も無い! 昔は「曲の出来が悪いのだろう」と思っていたが、その後「フィッシャー=ディースカウ + フルトヴェングラー の演奏」などを聴いて、この曲が名曲なことは腹に入った。では、なぜ「東京の実演では名演」に当たらないのだろうか?
考えあぐねて十数年。バカな私高本も少々、「演奏会事情」が判って来た(爆
「マーラー交響曲第1番 + さすらう若人の歌」プログラムでは、基本的に「指揮者の視線は交響曲第1番」だけに集中。さらに「さすらう若人の歌 だけのために高額なギャラを積むことはオケが嫌がる」である。時間的には「リストのピアノ協奏曲」よりも短いからなあ > 「さすらう若人の歌」
私高本が聴いた演奏会でも、フィッシャー=ディースカウ とか ハンプソン とか ヘンシェル とか ゲルネ などは全く起用されず、日本人バリトン中心であった。日本人バリトンで今書いた4名の域にこの曲で達した人は聴いた限りではいなかった。
そんな時に、「N響がヘンシェル招聘して、さすらう若人の歌!」となり、喜び勇んでいたのだが、ヘンシェル 来日中止。ヘンシェル は若いから仕方ない。東電を恨む。
N響は「最高の代役」を用意してくれた。昨年共演したばかりの「河野克典」起用! 録音もリリースされているほど好評だ。 素晴らしい演奏会になることを期待して雨の中、NHKホールに出掛けた。
書き難いことだが書く。「当初の嫌な予感が図星」になってしまった演奏会である。後半の 交響曲第1番ニ長調 にばかり力が入っていて、前半がおざなりな演奏会だった。「花の章」までもが。
ヘンシェルが来日中止になって、河野克典 に変わったが、「ノリントンの眼鏡」にかなわなかったようだ。淡々と音楽が進行してしまい、細やかな表情はオケから何も聞こえて来なかった。あぁ、その前に演奏された「花の章」も同じであるから、特に河野を軽視したのではなく、交響曲第1番 にだけ集中した結果だろう > ノリントン
前半聴いて「後半聴かずに帰ろうか!」とさえ思った私高本だが、後半も聴いて良かった。前半とは全く別人の指揮者だった > ノリントン
先週の「ベートーヴェン + エルガー」よりも、アンサンブルが良い。N響側も「慣れて来た」だろうし、ノリントン側も「慣れて来た」ようだ。この顔合わせは相性が良いようだ。先週気になった「木管の引っ込み」は完全に解消された。「ピュア・トーン」は、第3楽章などで思いっきり披露されたが、聴き手によって好みが分かれるだろう。私高本は好みである。
感触だ。ベートーヴェン(とエルガー)と違って、「繰り返し」の時に表情を思いっきり変えるのが印象深い。また、ノンビブラート奏法は全てに徹底しているのだが、ダイナミクスレンジの巾が「マーラー交響曲第1番」がはっきり彫りが深い。N響側は、パートに拠って対応水準が異なる。ティンパニとホルン1番の「ダイナミクスレンジの巾の狭さ」にはがっかり。特にホルンは第3楽章で、大き過ぎて、「コンサートマスターとの掛け合いが台無し」になってしまった。
・・・が、全体を通しては、ノリントンが特に第4楽章を入念に振ったこともあり、尻上がりの名演。ノリントンには再度マーラーを振ってほしいものだ。できることならば、ヘンシェル のソロで。
実は「マーラー交響曲第1番 + さすらう若人の歌」の演奏会は、結構聴いた回数が多い。関連性は誰が聴いてもわかる上、時間的にもちょうど良い(もう1曲短い序曲程度の曲を入れることも可能)ので、これまで何度も聴いて来た。
・・・で、いつもいつも「さすらう若人の歌」は良い演奏に当たったことが1度も無い! 昔は「曲の出来が悪いのだろう」と思っていたが、その後「フィッシャー=ディースカウ + フルトヴェングラー の演奏」などを聴いて、この曲が名曲なことは腹に入った。では、なぜ「東京の実演では名演」に当たらないのだろうか?
考えあぐねて十数年。バカな私高本も少々、「演奏会事情」が判って来た(爆
「マーラー交響曲第1番 + さすらう若人の歌」プログラムでは、基本的に「指揮者の視線は交響曲第1番」だけに集中。さらに「さすらう若人の歌 だけのために高額なギャラを積むことはオケが嫌がる」である。時間的には「リストのピアノ協奏曲」よりも短いからなあ > 「さすらう若人の歌」
私高本が聴いた演奏会でも、フィッシャー=ディースカウ とか ハンプソン とか ヘンシェル とか ゲルネ などは全く起用されず、日本人バリトン中心であった。日本人バリトンで今書いた4名の域にこの曲で達した人は聴いた限りではいなかった。
そんな時に、「N響がヘンシェル招聘して、さすらう若人の歌!」となり、喜び勇んでいたのだが、ヘンシェル 来日中止。ヘンシェル は若いから仕方ない。東電を恨む。
N響は「最高の代役」を用意してくれた。昨年共演したばかりの「河野克典」起用! 録音もリリースされているほど好評だ。 素晴らしい演奏会になることを期待して雨の中、NHKホールに出掛けた。
やはり「交響曲第1番にだけ重点が置かれた」結果に終わった マーラー交響曲第1番 + さすらう若人の歌 プログラム
書き難いことだが書く。「当初の嫌な予感が図星」になってしまった演奏会である。後半の 交響曲第1番ニ長調 にばかり力が入っていて、前半がおざなりな演奏会だった。「花の章」までもが。
ヘンシェルが来日中止になって、河野克典 に変わったが、「ノリントンの眼鏡」にかなわなかったようだ。淡々と音楽が進行してしまい、細やかな表情はオケから何も聞こえて来なかった。あぁ、その前に演奏された「花の章」も同じであるから、特に河野を軽視したのではなく、交響曲第1番 にだけ集中した結果だろう > ノリントン
前半聴いて「後半聴かずに帰ろうか!」とさえ思った私高本だが、後半も聴いて良かった。前半とは全く別人の指揮者だった > ノリントン
先週の「ベートーヴェン + エルガー」よりも、アンサンブルが良い。N響側も「慣れて来た」だろうし、ノリントン側も「慣れて来た」ようだ。この顔合わせは相性が良いようだ。先週気になった「木管の引っ込み」は完全に解消された。「ピュア・トーン」は、第3楽章などで思いっきり披露されたが、聴き手によって好みが分かれるだろう。私高本は好みである。
ピアノの平均律を「当てる」ような指揮は全く同じ。オケ(=N響)が慣れて来た
感触だ。ベートーヴェン(とエルガー)と違って、「繰り返し」の時に表情を思いっきり変えるのが印象深い。また、ノンビブラート奏法は全てに徹底しているのだが、ダイナミクスレンジの巾が「マーラー交響曲第1番」がはっきり彫りが深い。N響側は、パートに拠って対応水準が異なる。ティンパニとホルン1番の「ダイナミクスレンジの巾の狭さ」にはがっかり。特にホルンは第3楽章で、大き過ぎて、「コンサートマスターとの掛け合いが台無し」になってしまった。
・・・が、全体を通しては、ノリントンが特に第4楽章を入念に振ったこともあり、尻上がりの名演。ノリントンには再度マーラーを振ってほしいものだ。できることならば、ヘンシェル のソロで。