30歳で転職したときは、
結婚した直後だったし、
給料が上がって
何年かしたら課長になって
また給料が上がってみたいな
典型的な右肩上がりを
夢見ていた。
24歳で入社したときは
給料とか、出世よりは
エンジニアとして
面白いものをたくさん作って
海外とかでも活躍したいとか
適当なことを夢見ていた。
30歳代は
途中辛いときもあったけど、
夢中で仕事して
お客様や上司に喜ばれるのが
嬉しかった。
給料も自然と上がった。
平均的な年齢で
課長級に昇格したあとは
意外と大変だった。
出向になるし、
給料は下がるし、
喧嘩はするし、
何か限界を感じてた。
その時にはしっかり
家のローンと家族5人を抱え、
選択肢は限られているように感じた。
とりあえず勉強を始めた。
昇進に必要だったからとりあえず
英語は習慣になってたけど
プログラミングと電気設計を
やろうと思った。
それまでは機械工学科出身だから
メカ設計がメインだったが
決め付けられるのが嫌だった。
実務経験なしで
応用情報処理と
エンベデッドシステムスペシャリスト、
電験三種を
2年計画で取った。
テレビの夜ふかしと交換に
勉強するだけだった。
自分のチームに
電気を取り込んで
エレメカソフト融合の設計を
始めてみた。
結構成果が出て表彰とか
瞬間的にボーナス上がったりしたけど
出向先では限界を感じた。
たくさん喧嘩をするようになり
今度は建築にのめり込んでいた。
出向4年で本社に戻されたときは
42歳だった。
たまたま転送されてきたメールの末尾に
自分は軋轢が多いから統括職にするなと
書いてあるのを見てしまい心が折れた。
それと同時に事業が不採算で
どんどん縮小サイクルに入っていた。
44歳で2度目の転職をした。
相手の文書、言葉を正確に読んで
よく考えて答えれば喧嘩しないで済む。
9割は雪かき仕事。
でもそれがまずは喜ばれる。
頑張りすぎない。
その分、走っていればいい(笑)。
取った資格よりは、
勉強する習慣や応用が本当に役立った。
そう言う投資の時間をくれた家族には
本当に感謝している。
不思議なことに
給料もそこそこ増えて助かった。
本当は経済の量的緩和と低金利、
国の借金と上がらない平均収入に
ついて書こうと思ったんだけど。