詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

秋刀魚と佐藤春夫と日本最初の女性革命家の絞首刑台前の手紙

2009年09月17日 | 歴史
伊勢へ行くと、お土産は秋刀魚寿司と決めてる。でも自分で作るとなんとまずい味。
塩と酢の割合が違ってるのか・・秋刀魚自体が違うのかもしれない。
三重県熊野沖のは、故郷北海道から南下してきてすっかり脂の抜け落ちた秋刀魚。
そんな訳で、僕が作れる中で一番好きなのは秋刀魚のフライ。
北海道での中学時代、学校近くの店で、揚げたての秋刀魚のフライを頬張るのが一番の贅沢だった。

紀伊半島南端は、反骨の文学者佐藤春夫や中上健次や、粘菌を研究してた昭和天皇が教えを乞いにきた時も素っ裸だったという・・日本一のスケールの大きい民俗学者南方熊楠のふるさと。彼らに共通するのは、いつも直球勝負で、一切の虚飾がない点ではと思う。まるで秋刀魚寿司みたいに・・明治末の国策冤罪事件の「大逆事件」の時19歳の慶大生だった佐藤春夫の詩はー


   大石誠之助は殺されたり    佐藤春夫  

げに厳粛なる多数者の規約を
裏切る者は殺されるべきかな

死を賭して遊戯を思い
民族の歴史を知らず
日本人ならざる者
愚なる者は殺されたり

「偽より出でし真実なり」と
絞首台上の一語その愚を極む

われの郷里は紀州新宮
かれの郷里もわれの町

聞く、かれの郷里にして、われが郷里なる
紀州新宮の町は驚愕せりと
うべさかしかる商人の町は歎(なげ)かん

町民は慎めよ
教師等は国の歴史を更にまた説けよ


    秋刀魚の歌    佐藤春夫

あはれ ・
秋風よ ・
情(こころ)あらば伝へてよ ・
――男ありて ・
今日の夕餉に ひとり ・
さんまを食(くら)ひて ・
思ひにふける と。 ・

さんま、さんま ・
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて ・
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。 ・
そのならひをあやしみなつかしみて女は ・
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。 ・
あはれ、人に捨てられんとする人妻と ・
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、 ・
愛うすき父を持ちし女の児は ・
小さき箸をあやつりなやみつつ ・
父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。 ・

あはれ ・
秋風よ ・
汝(なれ)こそは見つらめ ・
世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。 ・
いかに ・
秋風よ ・
いとせめて ・
証しせよ かの一ときの団欒(まどゐ)ゆめに非ずと。 ・

あはれ ・
秋風よ ・
情あらば伝へてよ、 ・
夫を失はざりし妻と ・
父を失はざりし幼児とに伝へてよ ・
――男ありて ・
今日の夕餉に ひとり ・
さんまを食ひて ・
涙をながす と。 ・

さんま、さんま、 ・
さんま苦いか塩(しよ)つぱいか。 ・
そが上に熱き涙をしたたらせて ・
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。 ・
あはれ ・
げにそは問はまほしくをかし。


◆以下の手紙を書いた翌日、菅野すがは紫の三紋付きの羽織を着、縊られた時に髪が解けないように紐を結んでただ一人絞首台に上った(他の男たちは前日同じ絞首台で約30分毎に絞首刑)。「われ主義のために死す、万歳」と叫んだ。午前八時二十八分絶命、二十九歳だった。

   「明治44年1月18日の菅野すがの手記」
  ーああ、気の毒な友よ。同志よ。
  彼等の大半は私共五、六人の為に、この不幸な巻き添えにせられたのである。
  私どもと交際して居ったが為に、この驚くべき犠牲に供せられたのである。
  無政府主義者であった為に死の淵に投げこまれたのである。
  ああ、気の毒な友よ。同志よ。
  ああ、神聖な裁判よ。公平な裁判よ。日本政府よ。東洋の文明国よ。
  行え、従ままの暴虐を。
  為せ、無法なる残虐を。

民主党茶坊主と老害官僚が自公政治へと舵をとり選挙公約を破棄へと

2009年09月17日 | 政治
民主党の自民党化が急速に進みつつある。民主党の最大の敵は、大マスコミと官僚組織であったはずだし(それを裏で操ってる財界・アメリカ)、そのために必要なのは「情報公開」であったはずなのに。
民主党は従来から約束してきた「政府会見を記者クラブ以外のメディアにも開放する」という方針を鳩山政権発足と同時に撤回してしまったようだ。鳩山首相が選挙前に約束していたにもかかわらず。

どうやらマスコミと裏取引したのは、異常にマスコミが持ち上げてる・・やることなすことが茶坊主の平野博文官房長官(松下電器労組)と、老害としか言いようのない財務省族議員の77歳藤井裕久財務大臣(消費税増税論や失業対策的公共事業反対には唖然)であるらしい。
この狡猾な二人のために、従来の自公財務省主導政治へと戻りつつあり、それは鳩山首相の指示を受けてのものに違いない。

詳しくは(『世に倦む日々』参照を。
《 ー前略ー その中でも、やはり最も問題と思われるのが平野博文の官房長官人事だろう。平野博文の官房長官と藤井裕久の財務相の人事に、鳩山首相の反動性と旧弊性が濃厚に滲み出ていて、鳩山首相の政治手法が旧来の自民党政権のものと同質同根であり、自民党的な古い体質を払拭する意思がないことを露呈している -中略-

山口一臣の断定によると、その民主党の「情報公開」の既定方針を覆したのは、官房長官の平野博文と財務相の藤井裕久の二人だと言う。この二人は、鳩山首相が総選挙が終わる前から任用を示唆していた重要閣僚で、鳩山政権の中枢の人物である・・

政治番組の視聴者としては、77歳の藤井裕久はコンテンツとして楽しくない。蓮舫や長妻昭を見ている方が面白いし、政策全般については菅直人からラディカルな議論を聞いた方が夢と興奮がある。だが、テレビ局は(特にテレビ朝日は)、夢と熱のある話をする菅直人は出演させず、藤井裕久を政策責任者として押し出して、毎度のように「消費税増税」の説教をさせるのである。バーターなのだ。藤井裕久がマスコミによる情報独占を守ってくれる権力者だから、マスコミは藤井裕久を持ち上げて絶賛するのである。マスコミが小沢一郎を叩くのは、小沢一郎が自分たちの商売の邪魔をするからである。小沢一郎によって記者クラブ制度が崩壊すると、自分たちの「政治情報商売」の特権を失うからだ。普通に考えれば、民主党の「政権交代」は清新なイメージであり、高齢で政界を引退した元大蔵族首領の藤井裕久は不似合いな旧時代の遺物でしかなく、マスコミの扱いも「老害」の表象で扱われて不思議ではない。それが「政権交代」のスーパースターのように美化され、民主党が国民に政策を説明する主役になっている。本当は単なる老害でしかないものを、星浩などは「民主党の塩爺」などと呼んで褒めそやかしている。星浩と朝日新聞が藤井裕久の権力と癒着している実態が瞭然だ。大蔵官僚の藤井裕久にとっても、情報操作のためにマスコミを抱き込むのは当然の手法なのである。

平野博文がテレビに情報を売り、テレビが平野博文を持ち上げる癒着の関係が、すでに8月下旬には出来上がっていたのだ。三田園訓は権力者と癒着する専門の政治情報の商売人で、小泉政権時代は官房副長官の安倍晋三と結託して商売を繁盛させていた。平野博文の手口を見ていると、安倍晋三からよく学んでいて、テレビ評論家と新聞記者に自分の方から積極的に声をかけて抱き込んでいる。山口一臣も書いているが、選挙後のマスコミによる常軌を逸した小沢叩きは、平野博文の意を受けたマスコミが、「情報公開」の撤回、すなわち記者クラブ制特権の保全とバーター取引でやった陰謀だったことは間違いない。平野博文は、民主党政権がマスコミに流す情報を一元管理して、菅直人の顔や話はマスコミから一切閉め出す作戦なのだろう。自分が鳩山政権の顔になり、自分に都合のいい情報だけをマスコミに流し、自分に都合のいい記事だけを親密になった記者に書かせるのである。平野博文の個性を特異に感じられたのは、記者会見する鳩山由紀夫の真後ろに直立して、鳩山由紀夫に大袈裟に耳打ちする姿を見た瞬間である。カメラに顔が映る位置で仰々しくやっている。茶坊主である自己の過剰な演出と露出衝動。こういう不愉快で非常識な行動様式を大胆に見せる政治家というのは、これまで、小泉純一郎の真後ろや真横で姿を映させていた(官房副長官時代の)安倍晋三以外にいなかった。だが、平野博文の場合は、特に茶坊主の行動様式が顕著なのである。 -後略-》

ホラーの帝王S・キング&「日米模擬戦争」「犯罪者狩り」

2009年09月17日 | Weblog
キング作品を読んだのは、約十年前の「呪われた町」が初めてだった。ホラーの入門作品として過不足のない怖さだと思う。ぼくは、この作家!と思うと全作品を読まないと気がすまなくなる性分で・・その結果、初期のキング作品、特にSF的作品が好きだという結論に。

しかしキングのSF的作品は驚くほど少ないし、純然たるホラーもそれほど多くない。キングはSFとホラーを厳密には分けて考えていなかったようだ。

純然たるホラーと言えるのはー「呪われた町」「シャイニング」(ニコルソン主演映画は原作よりも迫力が)「クリスティーン」(これも車が主人公のせいか映画の方が面白かった)「ペット・セマタリー」(原作を先に読まなければ映画も楽しめるかも)「イット」(この怖さと楽しさは原作を読まないとわからない)くらいだと思う。

一方キングのSF作品は、誰もがSFと認めるのは初期の「バトルランナー」「死のロングウォーク」と「神々のワードフロフェッサー」等の僅かな短編ぐらいで・・最近映画化された「ミスト」や、最近のダークタワーシリーズはちと疑問だし、「キャリー」「デッドゾーン」「ファイアスターター」は超能力分野と言うべきではと思う。

「バトルランナー」再読はまだ半分くらいなので、最後に「死のロングウォーク」についてー
こっちの作品の方が、「バトルトワイヤル」「クリムゾンの迷宮」(題名違うかも)等の日本作家作品に影響が見られる。
「死のロングウォーク」は、近未来の米国で、毎年テレビ中継される14歳から16歳の少年たちの最後のただ一人になるまで行われる生き残り競争。休んだり、歩行スピードが遅くなると射殺され、生き残ったただ一人が、膨大や賞金とどんな願いでも一つだけかなえてもれえる権利が与えられる。

これを読んで即座に、僕もいくつかの物語を書いた記憶がある。パソコンが壊れてなくなってしまったけど・・
一つは、僕の故郷北海道を舞台にした「犯罪者狩り」。
死刑囚や無期懲役囚や先日も懲役30年というような教え子数十人を強姦した教師のような悪質犯罪者を、北海道のその山奥で一年間生き延びたら無罪放免にするという物語。そのエリアから脱出ようとする犯罪者たちは銃殺可能に。
遺族・被害者家族たちに限って武器を持ってそのエリアで殺すことも可能にする。(人間よりも熊さんが多いし、半年は数メートルの雪なのでほとんどが死んでしまうのではと思うけど・・)

もう一つの物語は「日米模擬戦争」。
これは在日米軍基地をかけての自衛隊と米軍の模擬武器での模擬戦争で、自衛隊が勝ったら米軍基地を一つ減らせるようにする。(米軍が勝ったら思いやり予算を五割アップ・・それでも千数五百億円以上アップ!)軽い怪我ならいいけども、殺したり重症の怪我を与えたらそく敗者に。
ほんとうは実際の武器で殺しあった方が実戦に役立んだろうけど・・

◆この国を腐った国にした最大の勢力はカルト宗教創価学会ではと思ったのはー
http://asyura2.com/08/senkyo52/msg/581.html
◆このカルト宗教妻の尻の下に敷かれてる政治家を誰か何とかして欲しいと思うのはー
http://www.asyura2.com/09/senkyo70/msg/985.html