詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

宇宙とは、人間とは・・

2011年09月27日 | その他
世界的な物理・宇宙学者の村山斉氏がついさっきTBS系ラジオで、「宇宙は5パーセントの原子と、23パーセントの暗黒物質とそれ以外の暗黒エネルギーで成り立っている」と言っていたが・・

我々の細胞の基礎という「原子」と素粒子との関係がいま一歩よくわからなかった。
村上氏の『宇宙について』はー「ここ」

手塚治虫の一番弟子坂口尚の『石の花』

2011年09月27日 | 物語
↓の数百万人がガス室等で虐殺されたというナチスドイツの強制収容所について書いてたら(ここで虐殺されなかった民族は日本人くらいとか)、手塚治虫の一番弟子坂口尚連想を。

彼の傑作漫画『石の花』は今でもユーゴ史を研究する際の最重要資料だとか。
◆坂口尚の漫画とはー「ここ」
◆坂口尚『石の花』についてとても詳しい!のはー「ここ」
◆坂口尚『石の花』の背景はー「ここ」

第一次世界大戦後に作られて・・第二次世界大戦後までずっと、ナチスドイツ・日本帝国・イタリアからアメリカ等の連合国の銀行家が集まってスイスで戦費決済をやっていた「国際決済銀行」の後継のIMF(欧米のユダヤ国際金融資本支配)によって、ユーゴスラビアは民族浄化の実験材料場所へとだったが・・

同様に、このアメリカ支配のIMFによって韓国は外資支配の世界で最も人々が絶望する国にされ、日本は戦後ずっとらの金庫番だった。

ユーゴスラビア以外の、ポーランド等の東欧諸国はなんとか持ちこたえて、ロシアはなんとかそれに反抗して再び蘇り・・
IMFとアメリカに散々食い物にされたアフリカとは対照的に、南米もなんとか蘇りつつあるが・・

フランクル『夜と霧』

2011年09月27日 | 物語
フランクル『夜と霧』は子供時代に、ナチスの強制収容所写真集と一緒にかなり年上の従兄弟に借りて読んで以来、いつも頭の片隅にあった本だった。

特に以下の言葉はー
《 わたしたちがまだもっていた幻想は、ひとつまたひとつと潰えていった。そうなると、思いもよらない感情がこみあげた。やけくそのユーモアだ!
やけくそのユーモアのほかにもうひとつ、わたしたちの心を占めた感情があった。好奇心だ。

人は、この世にはもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。

およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。

被収容者の内面が深まると、たまに芸術や自然に接することが強烈な経験となった。この経験は、世界やしんそこ恐怖すべき状況を忘れさせてあまりあるほど圧倒的だった。

ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ。

「強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる、と信じていた」
 けれども現実には、人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。おびただしい被収容者のように無気力にその日その日をやり過ごしたか、ごく少数の人びとのように内面的な勝利をかちえたか、ということに。

強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり、人生が自分を待っている、だれかが自分が待っていると、つねに思い出させることが重要だった。》

いよいよ属国ファシズムと核のゴミ捨て場列島ー日本低国の完成

2011年09月27日 | 物語

属国売国奴官僚と民主党内クーデター派(前原、野田、管一派)と、自公の売国奴政治屋と翼賛マスゴミの次の狙いは、民主党公約遵守派を、小沢派から順番に血祭りにあげてゆく事と、長い間待ち望んでいた平成「関東大震災」後に、自衛隊のクーデター部隊を使って、一挙に強権的な独裁国家を樹立する事だろう。

もちろん彼らの裏にいるのは、アメリカの戦争屋とユダヤ系国際金融資本とCIAであり、彼らの究極の目的は「日中戦争」とTPPによる属国属領日本からの徹底的な富の収奪によるアメリカの再度の建て直しだ。
日本などはもはや、原発や核兵器のゴミ捨て場として人体実験列島ぐらいの位置づけだろう。

次期首相最有力候補の小沢氏さえも冤罪で抹殺可能(証拠はまるでなく、原発反対の前福島県佐藤知事を冤罪で嵌めた実績を持つ水谷建設社長の証言だけ)というなら、その他のどんな政治家や国民も検察の魔の手を逃れることが不可能だろう。

ナチスドイツやスターリンのソ連でそうだったように、反体制派や権力者が目障りと思う人々が順番に血祭りにされてゆくのが、確実にこれからの日本史となることだろう。