熊本を代表する老舗ラーメン店「桂花」が東京に進出して半世紀を迎えた。ご当地ラーメンの先駆けとして注目を集めながら、経営破綻も経験。平たんな道のりではなかったが、今も都内で8店舗を展開し、伝統の味に磨きをかける。
創業14年目の1968年、創業者の久富サツキさん(91)=熊本市=が自ら上京し、新宿区に東京1号店(新宿末広店)を開店。東京進出の看板ラーメンとして、豚の角煮を載せた「太肉麺[たーろーめん]」をメニューに加えた。
その頃、東京でラーメンといえばしょうゆ味の「中華そば」が主流。白濁して臭みの強い豚骨スープは抵抗が強かった。久富さんの孫で、桂花東京事務所の責任者小林史子さん(40)は「スープをながめて、一口も食べずに帰る客もいたそうです」と打ち明ける。東京で確固たる地位を築いたかに見えたが、2000年頃に風向きが変わる。博多ラーメンや、つけ麺のブーム到来だ。特に同じ豚骨の博多ラーメンに客を奪われ、売り上げが急減。東京の店が足を引っ張る形で経営が傾いた。
ラーメン評論家の山路力也さん(50)=千葉県=は「豚骨ラーメンを持ち込んだ功績で桂花は東京のラーメンシーンに欠かせない」と評価するが、「一風堂や一蘭など博多ラーメンの勢力拡大に押された」と解説する。
10年に民事再生法の適用を申請し、「味千ラーメン」の重光産業(菊陽町)から経営支援を受けて再出発。人気店がしのぎを削る激戦地・東京で、生き残りに力を注ぐ。
安定した味を提供するため、料理人の感覚頼みだったスープは機械で濃度をチェック。焦がしにんにく油「マー油」も、よりスープになじむよう改良した。浦上さんも「これまで以上に丁寧にあく抜きし、臭みを軽減した」と自信を見せる。
「破綻前は、乱立した店舗ごとに味がばらつき、失望することもあった」と山路さん。「今は出店ペースも緩やかで、品質向上に意識が向いている」と評価する。今年3月にはサンヨー食品(東京都)から誘いが掛かり、カップ麺「名店の味」シリーズとして全国発売された。