終戦の日に、小学校4年生だったかぁちゃんは、
村のはずれを流れる大きな川で水遊びをしていたらしい。
友達と一緒にはしゃいでいると、橋の上から近所のおばちゃんに
「のんびりと何してるの、日本が戦争に負けたんよ。」と泣きながら怒られたそうだ。
その川は私も幼い頃、夏休みで田舎に行くと従兄弟達と泳ぎに行った場所でもあり、
湾処に群れる蛍を捕まえに行った、思い出のたくさん詰まった川でもある。
同じ頃、六つ年上のかぁちゃんの姉さん(伯母)は
赤十字の船に乗って戦地を回り、負傷兵の手当てに青春をかけていたそうだ。
原爆投下の一週間後に任務で広島へ入ったそうだから、当日は日本にいたのかな。
伯母から戦争の事は全く聞かされた事はないけれど、
夏休みにテレビで、原爆の事を伝える番組を一緒に見ていたら、
「あんなもんじゃない・・・あんなもんじゃない。」と席を立ったのが忘れられない。
伯母を一言で表現するなら「凛としている。」という言葉が一番合っている。
で、身贔屓だけど、その・・・べっぴんさんだったのだ
だって、私の結婚式に出席してもらう為、前日に最寄の大きな駅まで迎えに行った時、
地下鉄の駅でナンパされたのだもん。品の良いおじさんに
明日嫁ぐ、まだうら若き私ではなく、田舎から出て来たばかりの伯母がですよ~っ
まぁ、そのくらい人目を惹く存在感があった人で、私の憧れの女性でもあった。
かぁちゃんは子供の頃から伯母と比べられて「月とすっぽん」とよく言われたらしく、
おそらく、あの僻みっぽい性格はそこに所以してるのだろうなぁ。
でも、はっきり言って、仕方ないような気もする・・・許せ、かぁちゃん。
以前「かぁちゃん」という呼び名は「母ちゃん」ではなく、
かぁちゃんの名前をもじったあだ名と書いた事があるけれど、
小さい頃のかぁちゃんのあだ名は、その名前から「かぼちゃん」だったらしい。
かぁちゃんは拗ねていたけど、セピア色になった伯母のアルバムには
くったくのない笑顔を振りまく、若かりし頃のかぁちゃんの写真が何枚かあり、
その横には伯母のかっちりとした綺麗な文字で、
「~している、かぼちゃん」と書き添えてある
伯母にとっては、かぁちゃんは幾つになっても、
心配ばかりかけるけど、可愛い妹の「かぼちゃん」だったのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぺこちゃんがデイサービスに行くようになり、再びかぁちゃんに目が行くようになった頃、
さすがの私もようやく「これはおかしい。」と気付き始めた。
晩御飯のお惣菜も毎日同じ物しか買わなくなり、注意すると怒るので、
私がお弁当を作って届けるようにしていたのだが、
家に入ると食べかけの弁当の残りやスーパーの袋が氾濫していた。
そして、それを片付けようとすると烈火の如く怒り始めてどうしようもなくなり、
やがて、私を家に入れる事も拒むようになっていった。
「これは全部必要だから置いてあるの。私が自分で片付けるから放っておいて。」
私が行く事が罪悪のように言うので、全く手が出せなかった。
春休みに妹達がこちらで用があったとかで、突然かぁちゃんの家に泊まりに来た時、
翌朝、私がかぁちゃんの家に行くとこっそり耳打ちして来た。
「ねぇちゃん、これは普通じゃないよ。」・・・「やっぱりかぁ、そうだよなぁ。」
妹は自分で運転するので、度々自分の家に連れて行ってくれていたし、
かぁちゃんも、甥っ子と遊ぶのを楽しみにしていたので、
それから程なく、かぁちゃんを一週間程連れて帰ってもらい、私が部屋を片付けたのだが、
引き出しの中には、汚れた物とそうでない物がぐちゃぐちゃに詰め込んであるし
考えられない物が考えられない所に置いてあるし
洗濯物が干さないまま、籠に入れた状態で押入れにしまってあるし
食器棚には洗えていない食器がそのまま仕舞ってあり、カビだらけになっているし
ぺこちゃんの対応に慣れず四苦八苦していた頃で、かぁちゃんをまともに見ていなかった・・・。
近くに居ながら、私はどうしてここまで放っておいてしまったのか・・・。
それから間もなく私は、掛かり付けの医者に、かぁちゃんに内緒で相談に行った。
「精神的な物じゃない可能性があるので、一度脳のMRIを撮ってみましょう。」
と、言われたのだが、日程の連絡を受ける前に予定が大幅に狂う事になった。
四月の初め、桜の花が満開の頃だった。夜、伯父からの突然の電話。
伯父は自分では絶対に電話をしない人なので、声を聞いた途端胸騒ぎがした。
「○○が、昨日から行方がわからんのや。」
伯父が私に対して、伯母の事を名前で呼ぶ事はまずない。
・・・全身から血の気が引いた。
村のはずれを流れる大きな川で水遊びをしていたらしい。
友達と一緒にはしゃいでいると、橋の上から近所のおばちゃんに
「のんびりと何してるの、日本が戦争に負けたんよ。」と泣きながら怒られたそうだ。
その川は私も幼い頃、夏休みで田舎に行くと従兄弟達と泳ぎに行った場所でもあり、
湾処に群れる蛍を捕まえに行った、思い出のたくさん詰まった川でもある。
同じ頃、六つ年上のかぁちゃんの姉さん(伯母)は
赤十字の船に乗って戦地を回り、負傷兵の手当てに青春をかけていたそうだ。
原爆投下の一週間後に任務で広島へ入ったそうだから、当日は日本にいたのかな。
伯母から戦争の事は全く聞かされた事はないけれど、
夏休みにテレビで、原爆の事を伝える番組を一緒に見ていたら、
「あんなもんじゃない・・・あんなもんじゃない。」と席を立ったのが忘れられない。
伯母を一言で表現するなら「凛としている。」という言葉が一番合っている。
で、身贔屓だけど、その・・・べっぴんさんだったのだ
だって、私の結婚式に出席してもらう為、前日に最寄の大きな駅まで迎えに行った時、
地下鉄の駅でナンパされたのだもん。品の良いおじさんに
明日嫁ぐ、まだうら若き私ではなく、田舎から出て来たばかりの伯母がですよ~っ
まぁ、そのくらい人目を惹く存在感があった人で、私の憧れの女性でもあった。
かぁちゃんは子供の頃から伯母と比べられて「月とすっぽん」とよく言われたらしく、
おそらく、あの僻みっぽい性格はそこに所以してるのだろうなぁ。
でも、はっきり言って、仕方ないような気もする・・・許せ、かぁちゃん。
以前「かぁちゃん」という呼び名は「母ちゃん」ではなく、
かぁちゃんの名前をもじったあだ名と書いた事があるけれど、
小さい頃のかぁちゃんのあだ名は、その名前から「かぼちゃん」だったらしい。
かぁちゃんは拗ねていたけど、セピア色になった伯母のアルバムには
くったくのない笑顔を振りまく、若かりし頃のかぁちゃんの写真が何枚かあり、
その横には伯母のかっちりとした綺麗な文字で、
「~している、かぼちゃん」と書き添えてある
伯母にとっては、かぁちゃんは幾つになっても、
心配ばかりかけるけど、可愛い妹の「かぼちゃん」だったのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぺこちゃんがデイサービスに行くようになり、再びかぁちゃんに目が行くようになった頃、
さすがの私もようやく「これはおかしい。」と気付き始めた。
晩御飯のお惣菜も毎日同じ物しか買わなくなり、注意すると怒るので、
私がお弁当を作って届けるようにしていたのだが、
家に入ると食べかけの弁当の残りやスーパーの袋が氾濫していた。
そして、それを片付けようとすると烈火の如く怒り始めてどうしようもなくなり、
やがて、私を家に入れる事も拒むようになっていった。
「これは全部必要だから置いてあるの。私が自分で片付けるから放っておいて。」
私が行く事が罪悪のように言うので、全く手が出せなかった。
春休みに妹達がこちらで用があったとかで、突然かぁちゃんの家に泊まりに来た時、
翌朝、私がかぁちゃんの家に行くとこっそり耳打ちして来た。
「ねぇちゃん、これは普通じゃないよ。」・・・「やっぱりかぁ、そうだよなぁ。」
妹は自分で運転するので、度々自分の家に連れて行ってくれていたし、
かぁちゃんも、甥っ子と遊ぶのを楽しみにしていたので、
それから程なく、かぁちゃんを一週間程連れて帰ってもらい、私が部屋を片付けたのだが、
引き出しの中には、汚れた物とそうでない物がぐちゃぐちゃに詰め込んであるし
考えられない物が考えられない所に置いてあるし
洗濯物が干さないまま、籠に入れた状態で押入れにしまってあるし
食器棚には洗えていない食器がそのまま仕舞ってあり、カビだらけになっているし
ぺこちゃんの対応に慣れず四苦八苦していた頃で、かぁちゃんをまともに見ていなかった・・・。
近くに居ながら、私はどうしてここまで放っておいてしまったのか・・・。
それから間もなく私は、掛かり付けの医者に、かぁちゃんに内緒で相談に行った。
「精神的な物じゃない可能性があるので、一度脳のMRIを撮ってみましょう。」
と、言われたのだが、日程の連絡を受ける前に予定が大幅に狂う事になった。
四月の初め、桜の花が満開の頃だった。夜、伯父からの突然の電話。
伯父は自分では絶対に電話をしない人なので、声を聞いた途端胸騒ぎがした。
「○○が、昨日から行方がわからんのや。」
伯父が私に対して、伯母の事を名前で呼ぶ事はまずない。
・・・全身から血の気が引いた。