『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

気付いた時・・・これも現実

2006年12月07日 03時22分09秒 | 気付かなかった罪
日記を付けるのが癖だった。
子供達が生まれてから、例え一行でもと毎日書き綴っていた。
母が嫁ぎ先から戻ると決めた頃から「私はあの人がわからない。」と記する事が多くなり、

2003年4月25日
「私はこれ程、母を嫌いになった事はない。・・・あの人が大嫌いだ。」と一行。
その後は、飛び飛びになって半年後には全く書けなくなってしまった。
伯母の葬儀の翌日の事だ。


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かぁちゃんは葬儀の後、あれほど懇願したにもかかわらず、
伯父が伯母から目を離した事を、何度もなじり、怒って泣いた。
従兄には何故もっと早く病院に連れて行かなかったと文句を言い続け、
一人独身の従弟に向かって「最後まで姉ちゃんに心配かけて。」と傷つける言葉を次々吐いた。
そして、その間には幼馴染みが本を出したのだと、嬉しそうに見せて回っていた。

もう感情を一定に保つことすら出来なくなっていたのだと、今ならわかる。

けれど、その時には、私はかぁちゃんを激しく叱りつけながら、
伯父や従兄弟達に謝るしか術がなかった。

でも、私達姉妹以外、誰もかぁちゃんを怒らなかったし、誰もかぁちゃんを責めなかった。
それどころか、かぁちゃんを責める私に向かって伯父は言ったのだ。
「そんなに、きつく言うないや。言わしておいちゃれ。」
「叔母さん、怒られるから、ちぃとぽれぽれから離れとけぇ。」って。
兄ちゃん、どれ程辛かっただろう・・・その従兄までが、かぁちゃんを庇うんだから。

かぼちゃん、貴女は、その我儘さも弱さも全部ひっくるめて、なんて愛されてる人なんだ。
おばちゃん、貴女はこれ程までに、かぼちゃんを心配し続けてくれてたの?

泣きながら、納得するしかないじゃないか。
私は、おばちゃんや、兄ちゃん達に申し訳ないだけなのに・・・。


その夜、いつものように薬をごそごそ探し始めるかぁちゃんを見て、伯父の顔色が変わった。
「ぽれぽれよぉ、かぼちゃんは、おばちゃんと同じ薬の飲み方をするで・・・。」


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翌日、甥っ子がいた方が気が紛れるだろうと、妹が自分の家にかぁちゃんを連れて帰った。
ドライブに連れていったりして、元気付けてくれたのだろう。
その時に甥っ子と並んで写っているかぁちゃんは、とびきりの笑顔だ。
そんな笑顔になれっこないじゃない、こんな時に・・・って思うほど。

ぺこちゃんも無事にショートから帰宅して、いつもの毎日が無理矢理始まった。
数日後、妹に連れられて家に帰って来たかぁちゃんは予想外に落ち着いているように見えた。
でも、一人で寝させるのは久々だったので、かぁちゃんが寝付くまで側にいた。
「いろいろとありがとう。だけど、何だか疲れちゃったわ。」と
眠りにつくまえに、可愛い事を言った。


翌朝、何度電話をしてもかぁちゃんは出なかった。
心配になって、かぁちゃんの家に行って見ると、玄関のチャイムを慣らしても出てこない。
慌てて鍵を開けると、かぁちゃんは、寝かせたままの状態でまだ布団の中だった。
顔を覗きこむと笑っている。
枕元には電話があるままなので、どうして出ないのか聞くと
「出れないの。動けないの。」と、やっぱり笑顔で言った。

起き上がらせようとして、体が堅くなっている事に気付く。
布団は、マットを通り越して畳に浸透する程、お小水でびちゃびちゃになっていた。
無理やり立ち上がらせようにも、足の裏が地面につかない。
体を拭いてしばらく足をさすっているとようやく感覚が戻ったらしく自分で足を動かし出した。
ほっと胸を撫で下ろしつつ、同時にあんまり慌ててない自分に驚いた。

初めてかぁちゃんが自分で立てなくなった日。
初めてかぁちゃんが失禁した日。

かぁちゃんは、それまでは何とか意地やプライドで自分を維持してたのかもねぇ。
姉ちゃんがいなくなった事で、かぼちゃんは現実の世の中で生きる事を諦めちゃった。
・・・そんな風に思えて、どうしようもなかった。
コメント (2)
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