練馬区は人口71万2000人、世田谷区に次ぎ23区で2番目に大きい区だ。71万というと政令指定都市の静岡や県庁所在地の鹿児島、松山、宇都宮などより大きい。島根県や鳥取県の人口を上回る。前区長が急死したため突然区長選挙が始まった。
練馬区長志村豊志郎氏が2月23日の夜、自宅で急死した。3期目だったがすでに81歳とはわたしは気づかなかった。突然、4月13日告示、20日投票のスケジュールで区長選が始まった。
立候補を表明したのは4人。元東京都知事本局長の前川あきお氏、退職後は東京瓦斯の執行役員を務めた(自・公推薦)。区議3期目の池尻成二氏(完全無所属)、弁護士で、自由法曹団の幹事長や団長を歴任した菊池ひろし氏(共産・新社会推薦)。最後に立候補を発表し、初の女性区長をめざす白石けい子氏(区議2期。民主・生活の党・維新推薦)。
4月9日夜、東京青年会議所主催で練馬区長選挙公開討論会が開催された。ところが討論が始まってわずか15分ほどで前川候補は予定があるからと退席した。
他候補から認証保育所や外環の2という道路建設やコミュニティについて質問を受けて、「わたくしとはまったく見解が違う」と反論し「議論は大好きだ。必要ならいつでも受けてたつ」と言い残して帰ってしまった。じつはこの前日にも市民が公開討論会を開こうとしていたが、前川氏は「公明党との打ち合わせを優先する」という理由で辞退したため中止になってしまった。
前川候補は道路建設を積極的に進めると発言した。退席後、これに対し池尻候補からコメントがあった。
「前川候補は都市計画道路を計画どおりつくることが正しく、作らないのは欠陥ととらえている。しかし、道路づくりがまちづくりというような練馬区政のあり方は転機に来ている。まちづくりの原点は人づくりだ。人のつながりや暮らしや合意をもとに、人の顔を思い浮かべながら町をつくる、こういう考え方がこれからは大事だ」。
まさにその通りだと思った。前川氏が区長になったら大変なことになる。こう考えて少し選挙運動を支援することにした。
といっても1週間しかない短い選挙戦、告示前に一度池尻氏の小集会に出たこと、チラシのポスティングをしたこと、告示後に街頭演説を2回聞き、最終日に練り歩きに参加したことくらいである。公開討論会のときに、「この選挙の投票率は20%台といわれ、それを前提に票の積算をしている陣営もいる」という話すらあった。20%はひどすぎるので、少しでも投票率アップの力になりたいというのが大きな理由だった。
最終日の19日夕方、石神井公園南口の商店街で練り歩きをした。わたくしはかつて板橋の区議選で歩いたのと、保坂氏の選挙で阿佐ヶ谷駅周辺を歩いたことがある。その当時に比べると、どうも熱気が乏しい。世の中が変わってしまったのか。
フィナーレは北口ロータリー。「対話と公開」「学校に人を」「みどりの危機宣言」「ストップ 大型道路計画」など、池尻候補のキャッチフレーズを書いた短い横断幕がはためく。最後は「We shall overcome」の合唱で締めた。この曲は増田都子さんのテーマソングでもある。
投票日の夜10時ごろ、開票所に行ってみた。別に熱烈な支援者というわけではなくたまたま時間があり、場所が近かったからだ。広い体育館の片隅にムサシの投票用紙読取分類機が設置されていた。毎分660票読み取り分類するすごい性能で、10台以上あった。それなら30-40分で終了することになるがそうはいかない。人間の手と目で、名前も票数も複数回再チェックするからだ。「疑問票等一時集積場所」(氏名、白紙、リジェクト)、計数係、確認係と書かれた机が40くらい並び、それぞれ7-10人の係員が付いていた。一段高いひな壇のような席には、各候補の開票立会人が座っていた。
3階の傍聴席にはたぶん30人くらいの人がいた。わたくしが到着したときには開票率90%だった。すでに前川候補は2位の候補の2倍近くで圧勝だった。
開票結果は下記のとおり。
前川 あきお 無所属 77,651票
白石 けい子 無所属 41,047票
池尻 成二 無所属 28,372票
菊池 ひろし 無所属 27,452票
投票率は31.68%でかろうじて20%台は免れたが、過去最低だった。
自公候補に対する対立候補が3人もいては勝てるはずがない。都知事選の二の舞だった。統一候補をという動きもあったが、共産は、池尻候補とは政策が違う、都知事選で細川候補を支援したという2点で共闘できないとのことだった。
前川区長は、都政時代に石原都知事の腹心の部下として、築地市場の豊洲移転を推進した。また都立病院の統廃合を担当した人で、練馬の福祉はきっと悪くなるといわれる。
眉間のシワがトレードマークという前川区長は「区民とともに築くオープンな区政」を公約にしている。どんな区政になるのか見守りたい。
練馬区長志村豊志郎氏が2月23日の夜、自宅で急死した。3期目だったがすでに81歳とはわたしは気づかなかった。突然、4月13日告示、20日投票のスケジュールで区長選が始まった。
立候補を表明したのは4人。元東京都知事本局長の前川あきお氏、退職後は東京瓦斯の執行役員を務めた(自・公推薦)。区議3期目の池尻成二氏(完全無所属)、弁護士で、自由法曹団の幹事長や団長を歴任した菊池ひろし氏(共産・新社会推薦)。最後に立候補を発表し、初の女性区長をめざす白石けい子氏(区議2期。民主・生活の党・維新推薦)。
4月9日夜、東京青年会議所主催で練馬区長選挙公開討論会が開催された。ところが討論が始まってわずか15分ほどで前川候補は予定があるからと退席した。
他候補から認証保育所や外環の2という道路建設やコミュニティについて質問を受けて、「わたくしとはまったく見解が違う」と反論し「議論は大好きだ。必要ならいつでも受けてたつ」と言い残して帰ってしまった。じつはこの前日にも市民が公開討論会を開こうとしていたが、前川氏は「公明党との打ち合わせを優先する」という理由で辞退したため中止になってしまった。
前川候補は道路建設を積極的に進めると発言した。退席後、これに対し池尻候補からコメントがあった。
「前川候補は都市計画道路を計画どおりつくることが正しく、作らないのは欠陥ととらえている。しかし、道路づくりがまちづくりというような練馬区政のあり方は転機に来ている。まちづくりの原点は人づくりだ。人のつながりや暮らしや合意をもとに、人の顔を思い浮かべながら町をつくる、こういう考え方がこれからは大事だ」。
まさにその通りだと思った。前川氏が区長になったら大変なことになる。こう考えて少し選挙運動を支援することにした。
といっても1週間しかない短い選挙戦、告示前に一度池尻氏の小集会に出たこと、チラシのポスティングをしたこと、告示後に街頭演説を2回聞き、最終日に練り歩きに参加したことくらいである。公開討論会のときに、「この選挙の投票率は20%台といわれ、それを前提に票の積算をしている陣営もいる」という話すらあった。20%はひどすぎるので、少しでも投票率アップの力になりたいというのが大きな理由だった。
最終日の19日夕方、石神井公園南口の商店街で練り歩きをした。わたくしはかつて板橋の区議選で歩いたのと、保坂氏の選挙で阿佐ヶ谷駅周辺を歩いたことがある。その当時に比べると、どうも熱気が乏しい。世の中が変わってしまったのか。
フィナーレは北口ロータリー。「対話と公開」「学校に人を」「みどりの危機宣言」「ストップ 大型道路計画」など、池尻候補のキャッチフレーズを書いた短い横断幕がはためく。最後は「We shall overcome」の合唱で締めた。この曲は増田都子さんのテーマソングでもある。
投票日の夜10時ごろ、開票所に行ってみた。別に熱烈な支援者というわけではなくたまたま時間があり、場所が近かったからだ。広い体育館の片隅にムサシの投票用紙読取分類機が設置されていた。毎分660票読み取り分類するすごい性能で、10台以上あった。それなら30-40分で終了することになるがそうはいかない。人間の手と目で、名前も票数も複数回再チェックするからだ。「疑問票等一時集積場所」(氏名、白紙、リジェクト)、計数係、確認係と書かれた机が40くらい並び、それぞれ7-10人の係員が付いていた。一段高いひな壇のような席には、各候補の開票立会人が座っていた。
3階の傍聴席にはたぶん30人くらいの人がいた。わたくしが到着したときには開票率90%だった。すでに前川候補は2位の候補の2倍近くで圧勝だった。
開票結果は下記のとおり。
前川 あきお 無所属 77,651票
白石 けい子 無所属 41,047票
池尻 成二 無所属 28,372票
菊池 ひろし 無所属 27,452票
投票率は31.68%でかろうじて20%台は免れたが、過去最低だった。
自公候補に対する対立候補が3人もいては勝てるはずがない。都知事選の二の舞だった。統一候補をという動きもあったが、共産は、池尻候補とは政策が違う、都知事選で細川候補を支援したという2点で共闘できないとのことだった。
前川区長は、都政時代に石原都知事の腹心の部下として、築地市場の豊洲移転を推進した。また都立病院の統廃合を担当した人で、練馬の福祉はきっと悪くなるといわれる。
眉間のシワがトレードマークという前川区長は「区民とともに築くオープンな区政」を公約にしている。どんな区政になるのか見守りたい。