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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

「意味」を超越した少年王者舘の「1001」

2019年06月07日 | 観劇など
はじめて少年王者舘の芝居を新国立劇場でみた。出しものは「1001」。
少年王者舘は、1982年に旗上げし37年の歴史をもつ名古屋の劇団で、84年から東京、85年から大阪でも上演している。当初より主宰者の天野天街が作・演出を務めている。
82年というとわたくしは名古屋在住で、彼らが旗上げした七ツ寺共同スタジオには北村想の「彗星 '86」(その後プロジェクト・ナビ)を観に行っていたが、この劇団を観るのは今回が初めてだ。

明確なストーリーはない芝居なのだが、どうやら「物語」が中心テーマのようだった。
「紙(神)でできた本」「夢を食べる」「通じない言葉」「思い出を話してる」「記憶のランプ」といったセリフが出てきた。
タイトルの「1001」は二進法の「ある 1、ない 0」であり、消滅や無限の増殖をイメージさせる二進法に置き換えられた世界のことだ。「千夜一夜物語」や稲垣足穂の「一千一秒物語」に触発された「魔法のような量子論的千夜一夜物語」とパンフに解説があった。
テントのなかのテント、魔人が出てくるランプ、黄金バット、長嶋・国松などノスタルジーやイメージが膨らむ単語、さらに、「ランプ」と「アンプ」、ここは「無か死」(昔)、といった言葉遊びも多く登場する。
こうした点で、夢の遊眠社時代(1976-1992)の野田秀樹の戯曲、なかでも初期の戯曲を思い出させる。

たとえば「二万七千光年の旅」(1980)には、少年益荒男(ますらお)、みゆき、世紀末の少年達、お茶の水博士などが登場し、オリュンポスの頂にゼウスという駄菓子屋夫婦がいる。
「くれない色した青い空」(p162 引用は白水社「新劇 1980年4月号」以下同じ)、赤木圭一郎、ジェームス・ディーン、善太と三平、航空機事故で人肉を食べた「アンデスの聖餐」などイメージを膨らませるキャラクターが頻出する。
「ニューヨークはマンハッタンのって言っただろう」「入浴済ませはったん。とは言ったけれど」(p165)、「旭化成という落花生」(p189)というような言葉遊びが出てくる。
終幕は「君が血にまみれて転がっているというすずかけの木の下へ向かって電車にのりました。(略)よく見れば両手の指はもげ、血はべっとりと、初めて見たその光景に僕らはうっとりとしてしまいました。」
「お前の指を、夕陽の竈にくべに行こう。西果て(さいはて)へ溶けていく」(p212)というセリフで幕を閉じる。
野田の芝居も、やはりイメージや言葉遊びが多かった。
しかし決定的に違うのは野田の芝居のバックには骨格があり、「意味」があることだ。そういうシナリオとして成立している。「1001」は40年遅れの遊眠社
、しかも遊眠社にはイメージだけでなく意味もあったが「意味の世界」をもたない遊眠社、というのが第一印象だった。
「1001」には「きれいだなあ、ピカドン。また見たいなあ」「またいつか大中亜戦争、大令和戦争」などギョッとさせるセリフもあり、政治的メッセージが含まれているのかとも思ったが、どうやらそうでもなく、一種のファッションとして言葉を散りばめているだけのようだ。
購入したパンフに「ジクウカン設計図」という一目でみると地図のようなページが掲載されている。天野の構想を書きつけたメモだという。ルーペで拡大して見ると「時計が動かず、部屋が1分に1回転する」「はじまりもおわりもなく、トチュウのレンゾク」「遊星王子 200年の時を超える ハリマオ 拳銃少年太郎」「貴様ダレだ!「ダレでもない」」といった文字が読み取れる。もともと言葉のイメージの連続しかないのかもしれない。

過去の上演作品のポスター
内容を理解できないのは、シナリオを読んでいないから、あるいはわたくしの読みの浅さかとも思ったが、パンフで天野の芝居の美術デザインを30年以上担当する田岡一遠も、打合せの段階では「天野の頭のなかに構想があるわけではありません。まったくないと言っていい」「終わりのない台本を書き続けていて、それを今回どこでっ切るかということ」と語っている。また新国立の演劇芸術監督・小川絵梨子との対談の最後の部分で「僕はわけのわからないことをやろうとしていて(笑)。わけがわかってしまったら何も面白くない」と述べているので、きっとそういうタイプの作家であり、そういう作家が書いた作品なのだと思う。それが好きな人もいれば、苦手な人もいる。
なお、天野天街は1960年生まれ、ということは野田秀樹より5歳年下だ。宇野亞喜良との対談で「父は貸本屋で、貸本のカラーページが絵の原点で、漫画は鈴木翁二が好き」とある。
また「僕の本は、物語を作ると言うよりも、言葉で構成されるコラージュで(略)言葉をいじくっていると、絵を描くのと同じように言葉遊び(コラージュのよう)になっていきます」と語っている。(2005年10月の宇野との対談 「Aquirax Contact――ぼくが誘惑された表現者たち」ワイズ出版p103)

劇の特色の一つとして、とにかく反復・繰り返しが多かった。はじめのアナウンス「観客の方に予めお願いいたします。携帯電話、アラームなど音の出るもの、光るもののスイッチは切っておいてください。録音・録画はお断りしております」が何度もでてくる。注意のひとつに「匂いのでるものお断り」というアナウンスがあり、何か変だなとは思った。天野の作劇テクニックのひとつなのだろう。最後の「本日の公演はすべて終了いたしました。お忘れ物のないようお帰りください」も3回くらい言っていたように思う。
ちょっと面白かったのは、ときおり「○○しとらん」など名古屋弁の台詞や名古屋アクセントが出てくるところだった。いかにも、という感じがした。

会場ロビーに置かれたプロジェクタで、過去の演技をみることができた
役者はプログラムで数えると40人近く登場する。登場人物のなかで、3人組やラクダ、アーノネおっさんは識別でき、印象に残ったが、ほかの人は、わたくしには役者としての個性がよくわからなかった。そういう演じ方の劇団なのだろう。
アーノネおっさんというのは高勢実乗(1897―1947)という実在の俳優のことだ。大河内傳次郎との立ち回りで有名な「血煙荒神山」や片岡千恵蔵主演の「國士無双」に出演し、40歳以降コメディアンとして「あーのね、おっさん。わしゃかなわんよ」のギャグで有名になった。名古屋で一座を組み座長を務めていた時期もあった。
遊眠社との比較で感心したのはダンスだった。日ごろの厳しいトレーニングの成果なのだろうが、たしかにうまいし、統率がとれ、見た目がとてもきれいだった。

新宿駅西口の夜景 新国立劇場はここから2キロあまりのところにある
☆少年王者舘とはなんの関係もないが、芝居つながりということでいまの100作目の朝ドラ「なつぞら」について。いま、主人公なつ(広瀬すず)は大泉の東映動画(現・東映アニメーション ドラマのなかでの社名は東洋動画)でアニメーターへの道を歩んでいる。わたくしはかつて練馬に住んでいて、毎朝、大きなセットが庭に点在する東映東京撮影所の脇を自転車で通学していた。ドラマに出てくるあのビルも見ていたように思う。
もう10年近く前になるが、東映アニメーションギャラリーを見学したことがあり、たしかにあんな中庭や噴水付きの池があったように思う。
ただビルの中で人々がどんな仕事をしていたのかは知らない。NHKのことなのでおそらく時代考証もしっかりやり、机やアニメの道具、当時の服装を再現していると推測される。


東映アニメーションの建物(2010年当時)
白蛇伝の完成は1958年なので、わたくしが近所を歩いていたころと時期が違うが、それでもなつかしい気がする。東映動画については必ず日本初の長編アニメ「白蛇伝」が出てくるが、ウィキペディアの該当ページによれば、日本動画のスタッフごとの買収や動画スタジオ建設、スタッフの新規採用も実話だったそうだ。
なお、隣駅の石神井公園ふるさと文化館には、古いアニメーション撮影台がある。

原作・ちばてつや、制作・東映動画のアニメ「あかねちゃん」。(フジテレビ系列で1968年に放映された)
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