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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

コレクションの質が高い国立国際美術館

2019年06月14日 | 美術展・コンサート
大阪・中之島にある国立国際美術館にはじめて行った。大阪市科学館と一体化した敷地に建ち、地上が科学館、地下が美術館になっているようだった。開館は40年以上前の1977年、もとは千里の万博美術館を使っていたが、2004年この地に建物を新築移転した。主として1945年以降の作品を収集し、収蔵点数は2013年時点で7136点、年間入館者数49万7000人の規模だ。

企画展は「抽象世界」と「ジャコメッティと Ⅰ」の二つが開催中だった。
1階の受付で地下3階から上がってくるようにいわれたので、まず「抽象世界」の会場に入場。
欧米の13人の作家の作品がそれぞれ1-6点程度展示されていた。平面とは限らず、立体作品が何点かあった。予想に反し、なかなか面白い展覧会だった。

とくにわたくしが気に入った作家を5人紹介する。
まず入口に1点だけ展示されていたエルズワース・ケリー(1923-2015)、白黒で力強い作品だった。近くでみると、微妙な曲線が温かさを感じさせた。
次にオランダのロッテルダム生まれのダーン・ファン・ゴールデン(1936-2017)は、1963年から64年にかけて日本に滞在し、ハンカチやデパートの包装紙にヒントを得て、パターン模様の作品を制作した。なかなか粋で、日本人好みの作だった。
ラウル・デ・カイザー(1930-2012)の作品は、大沢昌介の抽象画のように、日本人がほっとするような色を使っていた。
ミハエル・クレバー(1954-)は緑の長方形の作品を6点セットでMK/Mというタイトルで出展していた。解説には「未完成の絵画」とあったが、わたくしは好きなタイプの作品だった。
スターリング・ルビー(1972-)はロサンジェルスで、非行グループがスプレーで壁に落書きをするのをヒントに、スプレーによる彩色をした作品をつくるようになった。黒、赤、緑を基調にした作品は幻想的な作品で、好きになった。ステンレスの直方体を2つ組み合わせた立体の作品も並んでいた。
その他、アルファベット文字を中心テーマとするクリストファー・ウール(1955-)やかなり長く高い赤煉瓦塀を麻布に描いたウーゴ・ロンディノーネ(1964-)の作品にも興味を抱いた。ロンディノーネはスイス人だそうだ。またリチャード・オードリッチ(1975-)の作品は「無題」(Untitled)のはずなのに「Katana」「Wakizashi」と画中に解説文字があり、しかも形もそのままの具象なので、肩すかしを食らった気がした。
文字だけでは伝わらないと思う。たとえば博物館のこのサイトの「展示作品」で検索していただきたい。

それより驚いたのは「ジャコメッティと Ⅰ」展だった。この展示は8月初めまでの1期とその後の2期に分かれている。「ジャコメッティと」の「と」はモデルになった矢内原伊作(1918―1989)を示す。矢内原をモデルとしたブロンズ彫刻は2作品7鋳造しか存在しない。2018年にそのひとつが、国立国際美術館のコレクションに加わったため開催された企画展だ。
矢内原の名は、矢内原忠雄の息子で哲学者ということのみ知っていた。しかし89年まで生きていた人で、ジャコメッティのモデルになったのが1955年37歳のときで、気に入られ57年から61年まで4回パリを訪れたということまでは知らなかった。会場で、矢内原が1982年64歳のときジャコメッティについて、東京芸大で2時間の特別講義をしていた音声テープが講義ノートの映像とともに流れていた。亡くなったのも89年と比較的最近のことだったことに驚いた。

なお、「イサク」というカタカナ表記をたくさん見かけ、「そうか、アイザックあるいはイサーク」と読めるので欧米人になじみのある名だったのだ、と気づいたら本当に親が「聖書のイサク」から名付けたと説明にあった。イサクは旧約聖書の「創世記」に登場するイスラエルの族長だ。
企画展のタイトルの頭に「コレクション特集展示」とあったが全部で8室あるうち、3室はコレクションだった。そのレベルがすごかった。さすがは全国で6館しかない国立美術館である。
セザンヌ「宴の準備」(1890ころ)、ピカソ「ポスターのある風景」(1912)、カンディンスキー「絵の中の絵(1929)など秀作が、さりげなく壁にかかっていた。
また、ここは関西なので具体美術協会の作家のなかでも高いレベルの作品が並んでいた。1954年の創立メンバーである吉原治良、上前智祐、正延正俊、山崎つる子、1955年に参加した白髪一雄、元永定正など。
菅井汲の作品が4点、靉嘔の作品が3点並んでいた。1点だけなら竹橋の近代美術館でみたが、複数並んでいると、より迫力があった。菅井の作品では「S14&S15」、靉嘔の作品では「Gymnastics」がとくに好きだった。
その他、ザッキンのブロンズ鍍金「デメテール(1958)、佐藤忠良の「帽子・立像(1974)今井俊満の大作「混沌」(1957)、フォートリエの「人質の頭部(1944)、迫力ある尾藤豊の「馬の死について(1961)などがあり、それぞれ質が高く見とれた。
2期は、ジャコメッティ死後の21世紀の今日までを扱うようなので、コレクションのなかからいったいどの作品がセレクトされるのか、注目される。
なお、上記の作品のなかで、リンク(下線)を貼っていない作品もいくつかのものは、このサイトで画像をみることができる。
ジャコメッティ企画展の会場内には「完本 ジャコメッティ手帳1,2」(みすず書房)、「ジャコメッティ|エクリ(みすず書房)、「芸術入門」(河出書房新社)など矢内原の著書のほか、田村隆一、宮川淳、阿部展也、岡本太郎などのジャコメッティ論が並び、来館者が座ってページを繰れるようになっていた。そして「抽象世界」展のほうも奥の方の部屋のベンチにカタログが数冊置かれてあった。カタログ見本をミュージアムショップの店頭に置いてあるのは普通だが、見学者のために座ったまま閲覧できるようにしているのは、まさに美術館の姿勢だと思えた。
さらにA4サイズ4―8pの国際美術館ニュース(2004年9月まで月報)で、バックナンバーがあるものはすべてマガジンラックに入っていて、自由に持ち帰れた。わたくしは98年の75号と今年2月の230号をもらってきた。1pは館蔵品紹介で、レベルの高い紹介文なのだが、その他のニュースも価値が高いように思えた。こういうことも館の姿勢の反映だと思うが、立派なものだ。

そういえばエントランスの壁面にジョアン・ミロの5×12mの大作陶画「無垢の笑い(1969)が設置されていた。

☆大阪の環状線沿線の駅周辺には、飲屋街が近接して立ち並んでいることが多い。
福島駅はどうかわからないが、やはり猥雑な町の匂いがした。
改札口と道路を隔てたところにワイン立ち飲み処「アニバーサリー2001」という店があった。改札口の向かい側は「記念日のケーキ屋さん」「オリジナルデコレーションケーキ承り」というキャッチコピーがあるケーキ屋さんだが、角を曲がった側面は店名どおり、ワインの立ち飲み屋になっている。ピザやチーズなどつまみもある。これが東京ならなんとなく怪しい雰囲気なのだが、大阪では違和感を感じない。
もう少し南に歩くと、浄正新道という飲食街の路地があり「美人女将おばんざい屋おかだ」「燃えよ麺助」などの看板が見える。夜はさぞにぎわっているのだろう。
300mほど歩くと朝日放送本社があり玉江橋で堂島川を渡ると中之島だ。パリのシテ島のようなところかと思うと、意外に空地が目立った。再開発中なのだろうか。
高架ホームから福島駅北口をみると、血液透析、皮膚科、心療内科などクリニックが目立った。1993年まで阪大病院があったからかもしれない。一方、信用金庫、クリーニング店、洋服店、ラーメン屋、立飲み居酒屋も並ぶ。都会だから駅前はこんなものといえばその通りだが、やはり猥雑でカネの匂いがする街である。

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。
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