この図書館は100年少し前の1908年11月、東京市立日比谷図書館として誕生した。1902年に開園した日本初の洋式公園日比谷公園の一角にあった。当時は入館は有料で、おとな2銭、子ども1銭だった。開館1年後の09年10月で1日平均568人、日曜は1200人だった。書籍購入費は1年で3万600円くらいだった。関東大震災で、他の市立図書館とも合わせて22万5000冊の蔵書のうち10万3000冊が焼失した。その後復興したが45年5月の空襲でふたたび焼失した。戦後の57年に地上3階地下1階で再建されたが、建物は土岐善麿館長の指示により敷地に合わせて三角形になった。
今回新装オープンの建物の外観は、従来とまったく変わらず、館内も、階段や廊下はそれほど変わっていない。しかし室内はまったく違う。図書文化館という名前からわかるよう「学ぶ場」「情報交流の場」という機能も備えている。1階には展示室とショップがある。展示は千代田区の歴史の常設展示と特別展示で、わたくしがはじめていった12月には特別展「日比谷が熱く燃えた日」を開催していた。1970年前後の日比谷公園は反体制運動のメッカで、図書館の隣の野外音楽堂では多くの集会が開催され、71年11月にはレストラン松本楼が文字通り炎上した。今年6月には特別展「報道写真とデザインの父 名取洋之助」を開催していた。名取は1900年東京・高輪生まれ、18歳でドイツに渡りカメラマンになる。ベルリンオリンピックや党大会で演説するヒトラーの写真が展示されていた。
ショップは丸善が運営しており、「椎名誠書店」「日野原重明書店」「伊坂幸太郎書店」「福岡伸一書店」など、著名人が選定した本が並ぶコーナーがあり、たとえば椎名誠書店には「エミールと探偵たち」(ケストナー 岩波少年文庫)、「ゾウの時間、ネズミの時間」(本川達雄 中公新書)、「監獄の誕生」(フーコー 新潮社)といった本が並び、雰囲気は東京駅の松丸本舗に似ていた。ショップの一角にはカフェがありあんパン(150円)、アップルパイ(150円)、ブレンドコーヒー、紅茶(ともに300円)などを売っていた。
2階、3階には、パープル(まちづくり、新聞雑誌)、オレンジ(ビジネス、キャリアデザイン)、ブルー(アート、文学、カルチャー)、グリーン(科学技術、ライフスタイル)とゾーン別・テーマ別に本が並べられており「いま」風の図書館になっていた。
それぞれのゾーンにも展示がある。たとえばブルーゾーンでは2月には「日比谷1957 社会・文化・ファッション」という展示、そのなかの「美への探究」は、下着ブーム、働く女性の美への探究、ミシンの歴史と続き、本物のミシンが展示されている。さらにトピックスとしてバービーと旧帝国ホテル本館があった。バービーの衣装をつくったデザイナーが1年間帝国ホテルを仕事場にして、バービーの日本デビューが実現したからだそうだ。
グリーンゾーンでは「中央アジアのスイス キルギスの世界 写真展」と「心とからだにおいしい香り」、オレンジゾーンでは「男の子育て――ビジネスに活きる5つのメリット」、パープルゾーンでは「東京を走る!」という展示があった。「東京を走る!」は東京マラソンと皇居周回ジョギング、区内ウォーキング6コースの紹介などをしていた。
スポーツ運動ガイドマップの展示があり、体育館やランナーズステーションの表示はあるが、稲荷湯とバン・ドゥーシェは銭湯のマークと店名があるだけだった。個人的にはもう少し扱いを大きくしてもよいのではないかと思った。
書架はメインが4段なので、部屋全体を見渡せる。ただ部屋の端のほうは高くなっているところもある。たとえばブルーゾーンでは、17ある書架のうち手前から1-7番(芸術、歴史)は4段、伝記・詩歌の8-11番が6段、日本文学・外国文学の12-15番は7段(ただし本が並ぶのは6段まで)であった。
問題は4階である。
かつてここに何があったのか思い出せない。もしかすると一般の人は入れなかったのかもしれない。ここに特別資料室という部屋がある。2時間300円の閲覧席は、窓から公園の緑がよく見えて本当に眺めがよい。
そして内田嘉吉文庫がある。内田嘉吉(1866-1933)は逓信省管船局長、逓信次官、台湾総督府民政長官、台湾総督などを務めた官僚である。逓信省はその後の郵政省、いまの総務省だが、もっと守備範囲が広く経済産業省や国土交通省の業務の一部まで管轄していた
個人の蔵書が16,000冊あり、その7割が洋書、仕事がら海事行政の本が多い。イギリスのハクルート協会が19世紀に発刊したハクルート叢書の航海記、旅行記がずらりと並んでいた。ハクルート叢書は1847年に刊行が始まり第1集は100巻で完結、第2集は延々1997年まで発刊された。内田は第1集のほぼすべて、第2集のうち存命中に発刊された80巻ほどを収集した。また1913年にロンドンで出版されたセシル・ローズ伝もあった。
和書でもいろいろ興味深いものがあった。たとえば1909年の日本帝国第二十八統計年鑑があった。人口、学校などはもちろん監獄、寺社、訴訟の統計も掲載されている。測候所で、韓国併合の1910年より前の時期なのに釜山が掲載され、大連、奉天、天津、南京の記録があった。1910年の台湾総督府第十四統計書もあった。
内田は台湾総督も歴任したので、植民地関係の書籍も多い。「満洲国成立の経緯と其国家機構に就いて」という陸軍調査班の本(1932.4.4 120p)もあった。満州国成立が1か月前の3月なので、建国直後の刊行である。「露文満州帝国法制?要覧 第1集―第8集」というものも、ロシア語なので内容は読めないがあった。伝記もたくさんあり「桂太郎伝」「明石元二郎」「元帥寺内伯爵伝」など高官のものもあったが、甲南高校1年で亡くなった野村節雄遺稿集というものもあった(野村財閥・野村徳七の子息らしい)。
そのほか駿河台にあった一橋図書館所蔵本も公開されている。
変わったものでは1917年に上野の不忍池付近で開催された化学工業博覧会の記念誌があった。これは内田が化学工業協会や日本産業協会を設立し、会長を務めたからだろう。
宝の山のような図書館だった。毎週木曜夜ナイトセミナーが開催されている。一度だけゲストとして参加したが、すごくレベルが高かった。
いまもデモのスタート地点(右端は福島瑞穂さん)
この図書館には学生時代からよく通った。隣は霞ヶ関なので、夕方夕食を食べにでてきた農水省勤務の先輩に出会ったこともある。たまたま勤務先も近くだったので仕事の資料を探しにときどきやってきた。先輩のなかには高額本は図書館にリクエストして借り出すという人もいた。
以前と比べると、雑誌の種類が少ないような気はするが、書籍は時代をまたぎよくそろっているようだし、展示は秀逸だし、ショップも充実しているし、内田文庫はあるし、非常に密度が高い。おまけに夜10時まで開館している。
思わず、こちらから「ありがとうございました」とお礼をいいたくなるような図書館だった。
住所:千代田区日比谷公園1番4号
電話:03-3502-3343
開館時間:10:00―22:00(月曜日―金曜日)
10:00―19:00(土曜日、日曜は17時まで)
休館日:毎月第3月曜日、12月29日―1月3日ほか
入場料:無料
今回新装オープンの建物の外観は、従来とまったく変わらず、館内も、階段や廊下はそれほど変わっていない。しかし室内はまったく違う。図書文化館という名前からわかるよう「学ぶ場」「情報交流の場」という機能も備えている。1階には展示室とショップがある。展示は千代田区の歴史の常設展示と特別展示で、わたくしがはじめていった12月には特別展「日比谷が熱く燃えた日」を開催していた。1970年前後の日比谷公園は反体制運動のメッカで、図書館の隣の野外音楽堂では多くの集会が開催され、71年11月にはレストラン松本楼が文字通り炎上した。今年6月には特別展「報道写真とデザインの父 名取洋之助」を開催していた。名取は1900年東京・高輪生まれ、18歳でドイツに渡りカメラマンになる。ベルリンオリンピックや党大会で演説するヒトラーの写真が展示されていた。
ショップは丸善が運営しており、「椎名誠書店」「日野原重明書店」「伊坂幸太郎書店」「福岡伸一書店」など、著名人が選定した本が並ぶコーナーがあり、たとえば椎名誠書店には「エミールと探偵たち」(ケストナー 岩波少年文庫)、「ゾウの時間、ネズミの時間」(本川達雄 中公新書)、「監獄の誕生」(フーコー 新潮社)といった本が並び、雰囲気は東京駅の松丸本舗に似ていた。ショップの一角にはカフェがありあんパン(150円)、アップルパイ(150円)、ブレンドコーヒー、紅茶(ともに300円)などを売っていた。
2階、3階には、パープル(まちづくり、新聞雑誌)、オレンジ(ビジネス、キャリアデザイン)、ブルー(アート、文学、カルチャー)、グリーン(科学技術、ライフスタイル)とゾーン別・テーマ別に本が並べられており「いま」風の図書館になっていた。
それぞれのゾーンにも展示がある。たとえばブルーゾーンでは2月には「日比谷1957 社会・文化・ファッション」という展示、そのなかの「美への探究」は、下着ブーム、働く女性の美への探究、ミシンの歴史と続き、本物のミシンが展示されている。さらにトピックスとしてバービーと旧帝国ホテル本館があった。バービーの衣装をつくったデザイナーが1年間帝国ホテルを仕事場にして、バービーの日本デビューが実現したからだそうだ。
グリーンゾーンでは「中央アジアのスイス キルギスの世界 写真展」と「心とからだにおいしい香り」、オレンジゾーンでは「男の子育て――ビジネスに活きる5つのメリット」、パープルゾーンでは「東京を走る!」という展示があった。「東京を走る!」は東京マラソンと皇居周回ジョギング、区内ウォーキング6コースの紹介などをしていた。
スポーツ運動ガイドマップの展示があり、体育館やランナーズステーションの表示はあるが、稲荷湯とバン・ドゥーシェは銭湯のマークと店名があるだけだった。個人的にはもう少し扱いを大きくしてもよいのではないかと思った。
書架はメインが4段なので、部屋全体を見渡せる。ただ部屋の端のほうは高くなっているところもある。たとえばブルーゾーンでは、17ある書架のうち手前から1-7番(芸術、歴史)は4段、伝記・詩歌の8-11番が6段、日本文学・外国文学の12-15番は7段(ただし本が並ぶのは6段まで)であった。
問題は4階である。
かつてここに何があったのか思い出せない。もしかすると一般の人は入れなかったのかもしれない。ここに特別資料室という部屋がある。2時間300円の閲覧席は、窓から公園の緑がよく見えて本当に眺めがよい。
そして内田嘉吉文庫がある。内田嘉吉(1866-1933)は逓信省管船局長、逓信次官、台湾総督府民政長官、台湾総督などを務めた官僚である。逓信省はその後の郵政省、いまの総務省だが、もっと守備範囲が広く経済産業省や国土交通省の業務の一部まで管轄していた
個人の蔵書が16,000冊あり、その7割が洋書、仕事がら海事行政の本が多い。イギリスのハクルート協会が19世紀に発刊したハクルート叢書の航海記、旅行記がずらりと並んでいた。ハクルート叢書は1847年に刊行が始まり第1集は100巻で完結、第2集は延々1997年まで発刊された。内田は第1集のほぼすべて、第2集のうち存命中に発刊された80巻ほどを収集した。また1913年にロンドンで出版されたセシル・ローズ伝もあった。
和書でもいろいろ興味深いものがあった。たとえば1909年の日本帝国第二十八統計年鑑があった。人口、学校などはもちろん監獄、寺社、訴訟の統計も掲載されている。測候所で、韓国併合の1910年より前の時期なのに釜山が掲載され、大連、奉天、天津、南京の記録があった。1910年の台湾総督府第十四統計書もあった。
内田は台湾総督も歴任したので、植民地関係の書籍も多い。「満洲国成立の経緯と其国家機構に就いて」という陸軍調査班の本(1932.4.4 120p)もあった。満州国成立が1か月前の3月なので、建国直後の刊行である。「露文満州帝国法制?要覧 第1集―第8集」というものも、ロシア語なので内容は読めないがあった。伝記もたくさんあり「桂太郎伝」「明石元二郎」「元帥寺内伯爵伝」など高官のものもあったが、甲南高校1年で亡くなった野村節雄遺稿集というものもあった(野村財閥・野村徳七の子息らしい)。
そのほか駿河台にあった一橋図書館所蔵本も公開されている。
変わったものでは1917年に上野の不忍池付近で開催された化学工業博覧会の記念誌があった。これは内田が化学工業協会や日本産業協会を設立し、会長を務めたからだろう。
宝の山のような図書館だった。毎週木曜夜ナイトセミナーが開催されている。一度だけゲストとして参加したが、すごくレベルが高かった。
いまもデモのスタート地点(右端は福島瑞穂さん)
この図書館には学生時代からよく通った。隣は霞ヶ関なので、夕方夕食を食べにでてきた農水省勤務の先輩に出会ったこともある。たまたま勤務先も近くだったので仕事の資料を探しにときどきやってきた。先輩のなかには高額本は図書館にリクエストして借り出すという人もいた。
以前と比べると、雑誌の種類が少ないような気はするが、書籍は時代をまたぎよくそろっているようだし、展示は秀逸だし、ショップも充実しているし、内田文庫はあるし、非常に密度が高い。おまけに夜10時まで開館している。
思わず、こちらから「ありがとうございました」とお礼をいいたくなるような図書館だった。
住所:千代田区日比谷公園1番4号
電話:03-3502-3343
開館時間:10:00―22:00(月曜日―金曜日)
10:00―19:00(土曜日、日曜は17時まで)
休館日:毎月第3月曜日、12月29日―1月3日ほか
入場料:無料