多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

10周年を迎えた増田さんの闘争

2007年08月05日 | 日記
増田都子さんの土屋たかゆき(板橋)ら三都議・産経・都教委との闘いのきっかけは今から10年前、1997年に足立区立第十六中学で行った「沖縄の米軍基地 普天間第二小の場合」の紙上討論だった。
当時、沖縄米軍基地に関しては、95年9月の米軍人による少女暴行事件を契機に国内外の世論が高まり、96年12月普天間飛行場の全面返還を含む11 施設の土地返還に最終合意、代替地として選択された名護市海上ヘリポート基地建設の住民投票では反対票が上回る(97年12月)という情勢だった。97年9月成立した第二次橋本内閣は国会で「沖縄問題は内閣の最重要課題」と表明したように、沖縄米軍基地問題は現在にくらべ全国的な注目を集めていた。
この授業に一人の保護者が反米教育だとクレームをつけ、産経新聞が「偏向教育キャンペーン」を張り、土屋らが北千住駅前で街頭攻撃を行い、増田さんは99年都立教育研究所での研修生活(=現場はずし)を余儀なくされる。
そして10年、土屋らは9年目にして増田さんのクビを取り、増田さんは10年目に都教委との個人情報漏えい裁判に勝訴、三都議・展転社との名誉棄損損害賠償請求裁判に勝訴した。

2006年秋、韓国での講演旅行にて
わたくしが土屋都議・落選運動で増田さんと出会い2年半になる。つい最近、対3都議控訴審の関連で、10年前に足立十六中学2年生の生徒たちが書いた「一年間の紙上討論の感想」を読む機会があった。
「日本の社会の現実を知った上で、自分の意見を持つことができた」「自分と違った意見を知ることができ、また考える力を身につけることができた」といった肯定的な評価が90%に及んでいる。
感想の背景には、生徒との深い信頼関係と増田さんの教師という職務への強い使命感があった。
増田さんは「生徒へのコメント」に書いている。
どんなに「いや」でも、向き合わなければいけない事実があること、逃げてはならない事実があること、ごまかしてはならない事実があること、を子供達に教えるのは、大人の大切な義務だと私は考えます。(略)「私達の社会」の歴史、現在の問題について、子供達の「知る権利」に答えるために私の仕事があるわけです(略)
不正に対し、断固として「意見を貫きとおす」姿勢は、未来の主権者達の不正との戦いを励ますことになるでしょう。相手が子供であれ大人であれ、誰であれ「不正」への沈黙は「不正への共犯者」となるのですから。
 この文には、大人と子どもに差をつけない増田さんの裂帛の気合、凛とした姿勢がにじみ出ている。増田さんの気迫が生徒にそのまま伝わっているのだ。

 正直言って、ビラなどで増田さんの激烈な表現をみて「ちょっと付いていけない」と感じることがある。それにもかかわらず私が支援を続ける魅力がわかったような気がする。
生徒たちも書いている。
「確かに増田先生の言葉遣いはキツイ。けど、間違ったことは言ってないと思う。」
「反対する人がいるけど、先生、頑張って!
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