今年は2011年3月11日の東日本大震災、そして悪夢の福島原発事故から丸十年の年だ。わたしは、昨秋福島・浜通りを訪れたが、復興にはほど遠く、早くてもまだ30年はかかる様子だった。
3月7日(日)午後、国会正門前で「原発ゼロ★国会前集会――原発事故から10年・福島とともに」(主催:首都圏反原発連合)が開催された。9年続いた首都圏反原発連合は今年3月末に活動を休止するので、最後の大集会だった。
前週は最高気温20度前後だったのがこの日は9.9度に急降下し、すごく寒く感じた。しかも屋外で2時間あまりの長い集会だったので、最後は震えながら石畳の上で足踏みジョギングするほどだった。同じ場所で昨年12月半ばに開かれた国会前ダイ・インを思い出した。
第一部は立憲野党の政治家8人のスピーチだった。
恒例の議員そろい踏み 「野党はみんなで脱原発!」「野党は共闘!」
●まず当時の首相・菅直人さん(立憲民主党衆議院議員)。3つのことを話されたが、そのなかから、原発なしでも十分発電できる具体的方策として「営農型太陽光発電(ソーラーシェアリング)」の部分を報告する。
営農型太陽光発電とは、米や麦を育てながら、農地に支柱を立て上のソーラーパネルで発電するシステムで、1haで500kWのパネルを置けるので、菅氏の試算では500kW×1000h(1年の日照時間)×400万ha=2兆kWh発電でき、これは日本の年間発電電力量の2倍になる。農家の収入は2-3倍になり、若い人も農地に戻ってくる。
振り返ると日本のエネルギーは200年前まで薪(まき)と炭だったが、これらは再生可能エネルギーでカーボンニュートラルをやっていた。再生可能エネルギーに立ち戻るということだ。原発なしで十分やっていける。
●山崎誠さん(超党派議員連盟 原発ゼロ・再エネ100の会/立憲民主党衆議院議員)は、原発ゼロ基本法案がずっと棚上げされ、審議に入れない野党の無力を詫び、自主避難者は被害者なのに公務員宿舎から追い出されようとしていることへの怒りの声を上げた。
次に立憲野党各党から到着順で4党の発言があった。
●辻村ちひろさん(れいわ新選組・東京都第8区総支部長)は、れいわ新選組のエネルギー政策として、まず原発は即時禁止にする法律をつくる、そして2050年までに再生エネルギー100%を目標にする、また全国の送電線網を国有化し、9電力会社がもつ既得権を取り上げるというもので、れいわらしくラディカルな提言だった。
送電の問題は菅さんも、第二部の水野誠一さんも強調していた。
●福島みずほさん(社会民主党党首・参議院議員)は、福島で15mの大津波が来ることを知っていたのに対策を打たず、先日の地震で地震計が去年から壊れていたことが発覚した東電の杜撰さ、大飯原発で地震ガイドラインすら守らず許可を出し司法からストップがかかった原子力規制委員会の杜撰なやり方を指摘し、野党の力で原発ゼロを実現しようとアピールした。
●志位和夫さん(日本共産党委員長・衆議院議員)は、笠井亮さん(衆議院議員)、吉良よし子さん(参議院議員)とともに登壇し、東電がつくった40年で更地にする廃炉ロードマップはすでに破綻しているし、浪江町では震災前に1700人以上いた児童が、小学生25人、中学生6人、高校生は0人という状態であり、原発と人類が共存できないことは明確だ、継続審議が続く原発ゼロ基本法をすぐ審議させようと訴えた。また反原連の活動は「市民が主人公」の新しい市民運動を作り上げ、市民と野党の共闘の産みの親であり、その発祥の地がここ国会前、官邸前だと強調した。
●大河原雅子さん(立憲民主党衆議院議員)は、菅政権がいい出したカーボンニュートラルには原発再稼働が透けて見え、今年3月末で切れる10年時限立法の原発立地特措法改正法案は原発を増やす目的を含んでおり、この10年で政権が何も学んでいないことを批判した。
第二部はいわゆる著名人8人のスピーチだったが、後半4人のスピーチには、わたしが知らない情報やハッとさせられる鋭い指摘があり、印象が強かったので、そちらを中心に紹介する。
●香山リカさん(精神科医)
先月2月13日に地震が起きた。そのとき10年前のことをまざまざと思い出した。福島の原発事故が起きた直後は、政治問題でなくまず健康や生活の問題だった。子どもや高齢者をかかえた方はこれからどうなるのかと心配し、あんなこわい思いはもうたくさんだと思った。生活者が反原発運動に詰めかけるようになった。
しかし安倍政権に変わり原発維持政策を打ち出すと、原発批判は即・政権批判と思われる社会になり、原発批判をすると「オマエたちは政権を叩くのか、政権が決めたことを叩くのは失礼だ」という声が大きくなり、生活実感から「原発はイヤだ」と思う人は怖気づいた。「そんなつもりではなかった、政権を叩いているつもりはない」という現象が起きたのがアベ政権の7年半だった。しかし先日の地震で、原発問題はわたしたちの生活の問題、健康の問題、命の問題だったことをふたたび思い出した。わたしも原発は生活の問題ということを認識し発言していきたいと思う。
とはいえ、わたしは原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟の幹事をしている。3月10-11日にオンライン上のイベント「原発ゼロ自然エネルギー100世界会議」を開催する。
●西谷修さん(哲学者)
「ソーシャルディスタンス」というのは恐るべきワナだと思うので嫌いだ。ナマの場に人が集まり、ほかの人の体温を感じ、表情が見える関係こそソーシャルだと思っている。
今日は反原連の最後の大きな路上集会なので、反原連の集会は何だったか考えたい。いままで政治を変える運動はたくさんあった。でも反原連が始めたのは、政党でも圧力団体でもなんの組織でもない人がゾロゾロ出てきて、官邸前で場をつくり、従来の政治に冷水を浴びせるようなことだった。それも生活の場から出てきた個人が声を上げる。こういう開かれた場所が「公共」だ。反原連の運動が初めてやり、そして続けてきた。わたしたちはだれでもない、そういう人が開かれた場所に集まり声を上げ、お互い響き合う、それが力になるとき初めて日本で公共性が活きた、あるいは政治が公共のものになったということだ わたしたちが公共性なのだ。
日本では政治は完全に私物化されている。この公共が官邸に冷水を浴びせ続けてきた。日本の政治構造が経年劣化がはなはだしくもうもたない状態になったのは、冷水の効果だ。反原連の再生に期待し、みなさんも続々といろんなところに集まってほしい。
●古賀茂明さん(元経産官僚・改革はするが戦争はしない「フォーラム4」代表)
2月の地震は2000ガル未満だったが、熊本の地震で2000ガル、21世紀で一番大きな地震は岩手・宮城内陸地震(2008)の4000ガル、1000ガル以上は18回起きた。つまり年に一度くらい大きな地震が起こるということだ。昨年12月大阪地裁で大飯の判決が出たが、関電が大飯で想定していたのはわずか856ガルだ。ほとんどの原発の基準地震動は1000以下だ。一方三井ホームや住友林業などの民間住宅メーカーが地震に強いと売り出すのは4000-5000ガルだ。裁判官が関電に「856ガルは低いのではないか」と聞くと「うちに限ってそんなに大きい地震はこない」と答えた。なぜそんなことがわかるのかと聞くと、「コンピュータで計算したら856ガルで十分と出てきた」という。
2014年に関西電力大飯原発の運転差止め判決を出した樋口英明・元福井地裁裁判長は原発事故が起こると大変なことになる、よほど安全に気をつけないといけない。日本は世界の地震国だからよほど地震に強い施設にするしかない、それが民間住宅よりはるかに弱い。それを聞いただけであとは聞く必要はない、そんないい加減なことでやっているのかと思った。裁判官はだれもそんなことを知らなかったので、いま樋口さんは全国を回りその話をしている。おそらく先日の大阪地裁の裁判官もそれを知ったのではないか。「なぜ原発の敷地だけ大きな地震がこないといえるのか」、それで十分だ。だから原発は止まると思う。希望をもっている。みなさんも伝えてほしい。
●スピーチのトリは小熊英二さん(社会学者)
2月にドイツのジャーナリストの取材を受け、原発事故から10年、変化はあったかと聞かれた。
手元に1月12日の朝日新聞の世論調査結果があった。原発は今後どうすべきかという問いに「直ちにゼロにする9%、近い将来ゼロにする62%、ゼロにしない21%」、原発はほかの発電より安上がりか高くつくと思うかという問いに「安上り28%、高くつく50%」、また原発は地球温暖化の防止に役立つという意見に納得するか、という問いに「納得する28%、納得しない55%」だった。これは事故以前の調査、たとえば2007年には「原発を減らすあるいは止めるべき」の合計が28%だったことと比べると完全に変化している。これが大きな変化だと答えた。また事故前には54基の原発があり2011年1月時点で稼働していたのは39基だった。それが2012年1月(以下それぞれ1月)には6基、13年2基、14-15年0、16-17年2、18年4、19-20年9、21年今年は3基で、このまま増えていくかと思ったがそうはならず、これも大きな変化だ。
わたしは2011年半ばの時点から、この脱原発の運動は勝つ運動だ、原子力発電は斜陽になると思っていた。ドイツは脱原発を宣言したが、事故前17基だったのが現在6基、じつは昨年はエネルギーの12%を原発で発電していた。日本はせいぜい3-5%だ。わたしは前から日本はラディカルに脱原発した国だと言ってきた。日本とドイツでどこが違うのかというと、政治家が明確に「原発を止める」と宣言したかしないか、それだけの違いであり、実際のトレンドはほとんど変わらない。
そういうなかで、こういう運動が後押しした。わたしはこの運動は成功した運動だと考えている。もちろん運動の成功には、天の時、地の利、人の和が必要だ。人の和だけではできない。たとえば経済や技術動向が作用しないと成功することはない。1980年代に同じことが起きても成功しなかったかもしれない。しかし2010年代になり再生可能エネルギーの技術が進歩し安全基準が変わり原発建設コストが上がり、人びとの意識が変化するなかではこの運動は絶対成功すると思っていたし、この認識に変わりはない。こういう成功する運動に随伴することができたことをわたしは光栄に思い、反原連のみなさんには感謝の言葉もない。
最後に「大きな古時計」の歌を歌う。この歌は100年動いた時計が最後に止まる歌だ。9年間毎週金曜の6時半になると人が集まり声を上げる運動がひとつの区切りを迎える。それを記念して歌う(注・歌詞の一部を替え歌にて)。
小熊氏がバンド活動をしているという話は聞いたことがあったが、たしかにしっかりした歌唱だった。
●4人のスピーチから一言ずつ紹介する。
落合恵子さん(作家/クレヨンハウス主宰/さようなら原発1000万人アクション・呼びかけ人)は「10年たったが、まだ原子力緊急事態宣言は解除されていない。民主主義を取り戻そうよ。やっぱりいいなあ、異議申立ては。『反対』はいま一番美しい言葉です。わたしたちの声を大きく(国会に)届けていきましょう、選挙の年ですから」とアピールした。
水野誠一さん(元西武百貨店社長・元参議院議員〈新党さきがけ・政調会長〉)は政治家や企業家の肩書より、今日は故・木内みどりの30年のパートナーとしてここに来たと語った。かつて浜岡原発を止めようと静岡県知事選に立候補したこと、日本の再生可能エネルギーが高いのは、発送電を同一電力会社がやっているからだ、このままでは日本だけガラパゴス化する。この気づき、反原発運動が広がることを切に願うと述べた。
立川談四楼さん(落語家/作家/書評家)は、辞職した山田真貴子広報官のことを加藤官房長官は「退任しているので事実確認する立場にない」とシレッといった。やめたらみんな無罪か、こんなバカな話はない。菅首相はもっとすごい「政治責任に定義はないんじゃないでしょうか」という。そのうち閣議決定するのではないか、と笑わせてくれた。
中沢けいさん(作家)は、集会で常磐線で仙台まで行き、車窓の風景を報告すると何度も言いながらまだ約束を果たせていない。4月以降ぜひ柳美里さんが書店フルハウスを営む小高に行き、常磐線の風景を自分のHPかFBでレポートしたい。また安心できる風景になることを心から願う、と語った。
集会の締めはやはり官邸前集会の特徴のコールだった。人との距離は保ちつつ、しかしマスクははずして国会に向け大きな声で「すべての原発再稼働反対! 菅政権は原発やめろ」「原発ゼロをさっさと決めろ」「福島のことを忘れない」「福島の事故を忘れない」。アピールするコールがいつまでも続いた。
官邸前集会につきものの太鼓の音も鳴り響いた。
なお、2時間あまりのこの集会は、このサイトですべて見ることができる。
☆10周年の3月11日当日、夜の東電前「追悼と東電抗議」には行けないので、14時46分に東電正門前で申入れ書を渡す3.11行動実行委員会のデモに参加した。日比谷公園を出発し「再稼働反対」「全国一斉黙祷反対」「黙祷を強制するな」「被害者に謝罪と賠償を」などとコールしながら東電に向かう。そしてほぼ14時46分ごろ、「避難の権利を認め、生存・生活を保障しろ」「労働者・住民の被ばくによる健康被害に責任をとれ」など5項目の要求を東電の担当者に手渡した。ちょうど政府主催の追悼式が国立劇場で挙行されていた時間のはずだ。
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。