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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

首都圏反原発連合400回目の官邸前抗議行動

2021年03月30日 | 集会報告

 

3月26日(金)18時半、記念すべき第400回首相官邸前抗議が実施された。記念すべきと書いたのは400回と区切りがよいだけでなく、これをもって首都圏反原発連合(以下、反原連)が活動を休止するからだ。
18時半ちょうどにコールが始まった。官邸前といえば、一にも二にも太鼓のリズムに合わせたコールである。
「原発いらない」「いますぐ止めろ」
「再生エネは世界の常識」「すべての原発再稼働反対!
地震の国に原発いらない」「再稼働反対!」
「ふるさと返せ」「原発止めて福島守れ」「原発止めて被害者守れ」
「菅政権は原発止めろ」「自民党は原発止めろ」
「東海第二そのまま廃炉」「柏崎刈羽そのまま廃炉
「大飯原発いますぐ止めろ」「川内原発さっさと止めろ」
などが、何度も繰り返された。いつもは15分くらいでスピーチが入るのだが、この日はコーラーを交代しながら、長く長く続いた。

そしてみんなが手にするプラカードもオリジナルで、官邸前行動の名物だ。この日手渡されたものは、片面が青文字で「東海第二原発再稼働反対」、裏面が赤字で「柏崎刈羽原発再稼働反対」だった。もちろん自作の「海洋放出するな!」「どこまで福島を苦しめるのか!」「再稼働やめて子どもを護れ!」、自作イラスト入り「No NUKES」などのプラカードを手にしコールする人もいる。
ほうぼうから「お久しぶり」という声が聞こえてきた。新型コロナ・パンデミックでしばらくスタッフのみの抗議が続いたので、1年ぶりくらいに出会う方が何人もいた。よく来る方は、自分の定位置がほぼ決まっているので、回りにかつて見かけた方がいることが多い。

反原連のウェブサイトによればこの抗議活動は、2012年1月、経済産業省原子力安全委員会ストレステスト意見聴取会の市民傍聴締出しへの抗議がきっかけだったそうだ。経産省前抗議は2012年2月から3月にかけて4回行われた。意見聴取会終了後、閣僚会議が首相官邸で開催されるので場所を移し第1回官邸前抗議行動が開かれたのは12年3月29日、以降悪天候や大きな集会直前を除き原則として毎週金曜18時半から90分の抗議が続いた。
わたしがこの行動に初めて参加したのは12年6月ごろだった。この年は大きな病気をし、入院とその後の自宅療養を終え社会生活に復帰できたのが6月ころだったせいもある。反原連の「活動の軌跡2」によれば6月22日(金)4万5000人、29日(金)20万人とあるが、このころが動員数のピークだった。いまは歩道の幅の半分以下のところに赤い仕切りポールが立てられているが、このころは歩道一杯に人がぎっしり、それも財務省上の横断歩道方向へ列がどこまでも延びていた。
8年目の2019年は300-400人の参加で安定していたが、新型コロナの波に呑み込まれ、20年2月末から中止が続き、7月ころからスタッフのみの抗議に移行した。「活動の軌跡」をみると9月に2回、10月・11月に各1回「参加者受入れ」抗議があったそうだが、気づかなかった。スタッフのみといっても、回りでコールするのはよいだろうと11月下旬に行くと、だれもおらず、同じように集まった一般の人から「雨の予報により中止」とのウワサを聞き引き揚げた。次週の金曜夕方行くと、本当にスタッフは2-3人で、うちコールするのは1人だけだった。しかし、久しぶりに官邸に向けコールできたのがうれしかった。
反原連の抗議活動はルールが厳しかった。たとえば「反原発・脱原発というテーマと関係のない特定の政治的テーマに関する旗やのぼり、プラカード、文言の掲示、スピーチ等禁止」というもので、団体の名称そのものが特定の政治的テーマに関する主張となっているものもそれに準ずるとあるので、総がかり行動や「アベNo」もアウトというわけだ。それだけでなく、普通の市民集会なら普通にやっている周囲の人への署名のお願いや集会チラシ配布もダメで、驚いたのは「反原発・脱原発」といっても反原連しか認めず、他の反原発グループのものはダメということだった。エリア外ならいい、というのだが、エリアがどこなのか明示されていない。一説によると財務省上の横断歩道から先はOKということだった。たしかにそのあたりで反原発スピーチをしているグループがいた。すいぶん排他的なグループだと思っていたが、配布された「マンスリー・レター最終号(21年3月号)に「同じ脱原発を主張する左派やリベラルからの攻撃には酷いものがあった。全てはデマによる誹謗中傷であり、名誉棄損で訴えるべきものも多数あった(略)訴訟にいたったのは1件のみだった。(略)「反原連は警察に顔写真を提供している」「反原連は共産党の下部組織だ」などなど、このようなデマのほとんどは左派から発せられたのだ。左右前後から撃たれながら、よくぞここまで続けてきたというのが本音のひとつであるのは間違いない」とあった。運動を長く続けていると、いろいろあるということなのだろう。反原連の大規模抗議行動で、スピーチする菅・元総理や小熊さんが聴衆から「帰れコール」を浴びせられたのを目撃したこともあった。
昨年10月ごろ反原連の活動休止のニュースを聞き「原発再稼働が次々に始まろうとしており、核燃サイクルも再処理工場の審査合格が発表された。活動休止そのものはやむを得ないことと理解するが、反原発運動の後継団体をみつけ、ぜひ後事をしっかり託して休止してほしい。たとえばたんぽぽ舎でも、経産省前テントひろばでもよいのではないか」との要望を送ったが当然返信はなかった。おそらくいろんな緊張関係があったのだろう。そういう点でも残念なことだ。
26日に配布された「ステートメント」には「コロナで活動休止に追い込まれた」との報道記事があったがそれは誤報でありコロナ災害と活動休止の因果関係はまったくないこと、「解散」でなく「活動休止」なのでSNSでの発信や「MCAN podcast」は続けることが強調されていた。
その他、この9年でいろんな思い出がある。いつも最前列でおそらく親と来ている太鼓を叩いた少年は、当時小学生だとするともう20歳近くだろう。記者クラブの門の前にはたいてい大きな多摩川太鼓を持参し演奏される方がいたが、この日は見かけなかった。国会正門前のファミリーエリアは、福島第一原発の現状など報告やスピーチがメインで、3-4度参加した。
この日わたしは19時ごろ引き揚げたが、ちょうど入れ替わりに小熊英二さんがやってくる姿をみかけた。3月7日の「原発ゼロ★国会前集会」でスピーチの最後に「大きな古時計」を歌った方だ。
400回記念の集会の参加者は公式報告で1000人だった。じつは1週間前の19日は総がかり行動の日で、その帰りに官邸前を通りかかると、先ほどまで19日行動でスピーチしていた福島瑞穂さんが長いスピーチをしていた。そのときも結構人数がいたように思ったが、参加者250人とあるのでその4倍、1000人を超えるのは3年前の18年4月以来のことだ。

地裁勝訴を報告する東海第二原発運転差止訴訟原告団
翌27日午後、日比谷野音で「福島原発事故10年 さようなら原発 首都圏集会」とデモが行われた(主催「さようなら原発」一千万人署名 市民の会。天気がよく、しかも桜が満開の日で、日比谷公園にも多くの花見客が集まった。もちろん飲酒はなしで散策のみだ。野音は密を避けるため1300人で扉を閉め、入りきれなかった人が200人、合計1500人が集まった。それでも5年くらい前は、開会の20分くらい前に扉を閉鎖していたので、参加者総数は減っている。古今亭菊千代さんの司会で、鎌田慧さん、澤地久枝さん、落合恵子さんなどいつも反原発集会でスピーチされる方のほか、現地からということで福島原発刑事告訴団の方、原自連(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟)の吉原毅会長、東海第二原発運転差止訴訟原告団の方の話があった。
3月18日の水戸地裁判決(前田英子裁判長)で運転差止の勝訴判決を勝ち取って間もない大石光伸共同代表のスピーチから一部のみ紹介する。
「この判決は大変オーソドックスで、現行法の枠内ですべて判断している。福島のみなさんへの甚大な被害が判決の前提事実として記されている。
福島の原発事故から教訓とすべきは、最新の科学的知見によっても事故の規模は予測できないので、国際的な基準を踏まえて深層防護の考え方を取り入れたものだ。その第1から第5の防護レベルのいずれかが欠落し、または不十分であれば原発は安全だということはできず、周辺住民の生命、身体が害される具体的危険性があるというべきであるという判決になった。
被告や自民党は、判決の一部を取り上げ、1層から4層まで安全性は認めれたという。しかし、この判決の真意は、1層から4層までの規制委員会の審査は予測困難なことへの審査でしかないので、司法としては審査過程の看過しがたい過誤・欠落は司法審査するけれども、その内容が本当かどうかはわからない、そう言っている。今回の判決は前田英子裁判長が「司法が現行法制下で判断できるのはここまでなの、ゴメンネ。この判決を利用して、あとは住民の粘り強い運動でがんばって原発止めてネ」、そういうメッセージとしてわたしたちは受け止めた。司法からも賽が投げられた。この首都の老朽原発を廃炉に追い込む実績をつくることができれば、全国の原発を止める一歩になり、福島のみなさまの思いにせめてもの報いになる。最後までいっしょにがんばろう!」
なお集会の動画はこのサイトで視聴できる。

最前列は福島原発刑事告訴団、司会の古今亭菊千代さん、鎌田慧さんらだった東電本社前の抗議デモ
☆始まりがあれば、終わりもある。首都圏反原発連合だけでなく反天皇制運動連絡会も今年3月で解散する(こちらは活動休止でなく解散だそうだ。30年近い歴史だったそうだ)。また人権と報道・連絡会も昨年8月で活動を休止した。わたしは単なる愛読者や一参加者だったが、寂しいことである。
若い世代の人が、意思を引き継ぎ、新たな運動をスタートさせてくれるとよいのだが・・・。
☆27日は忙しい日で、夜は「馬毛島に軍事基地をつくるな」防衛省デモに参加した。馬毛島は種子島の西10-15キロにある、鹿児島県西之表市の現在は無人島である。ここに自衛隊が米軍艦載機の陸上空母離着陸訓練(FCLP)を移転させるため基地をつくろうとしている。辺野古新基地や高江ヘリパッド建設と同じような話だ。
いま海上ボーリング調査や環境アセスメントが進行している。住民は、西之表市長が先頭に立ち、国に抗議活動を展開している。そこで首都圏でも防衛省に抗議するためのデモだった。

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。


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