2月恒例の都教委包囲首都圏ネットの総決起集会が2月7日(日)午後、文京区民センターで開催された。なぜか外のウヨクのスピーカーの音や軍歌がうるさかった。コロナ禍なので、参加者は85人と例年に比べるとやや少なかった。
この日の集会のメインは岡田正則・早大教授の日本学術会議会員任命拒否問題に関する講演だった。この問題は、昨年12月に一度取り上げたことと、わたしは緊急事態宣言再発令下の学校の様子に強く関心があるので、そちらを主として報告し、岡田教授の講演の紹介はごく一部に留める。
なお岡田教授は、東京「君が代」裁判で地裁や高裁に意見書を提出したり、セアート市民会議(後述)の呼びかけ人の一人で昨年3月1日の発足集会のシンポジウム「それでもまだ歌わせますか? 教育の中の市民的不服従」のパネリストも務められた。
学術会議会員任命拒否問題と学問・教育の自由
早稲田大学法科大学院教授 岡田正則さん
岡田教授は、2011年から約2000人いる学術会議連携会員になり、原発避難者の権利保障、生活を支える法整備の提案をしてきた。昨年秋、3年に一度の会員入れ換えの際、推薦されたが、菅政権に任命拒否された6人の1人、つまり当事者である。
この日の講演は、「1 はじめに」(日本学術会議の発足から3回の声明、会員選出方法の3回の変更などの経緯と学術会議の職務と役割)、「2 任命拒否の違憲・違法性」「3 任命拒否のねらい」「4 学問・教育の自由」「5 問題解決に向けて」の5つのパートから成る。そのうち「2
任命拒否の違憲・違法性」の一部を紹介する。
任命拒否の違法性は3点に整理できる。まず学術会議の独立性を侵害し、日本学術会議法1-3条に違反する。
1条「この法律により日本学術会議を設立し」、3条「日本学術会議は、独立して左の職務を行う」とあり、学術会議は政府から独立した機関で、政府活動をチェックし意見をいう役割を与えられた団体だ。2条「日本学術会議は(略)科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させる」とあり、日本の科学技術の発展につながり、それを支える機関である。この法律には、前文があり「日本学術会議は(略)科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命」とする。
それは憲法23条「学問の自由は、これを保障する」も破壊することになり、違憲だ。今回の任命拒否で、内閣官房はわたしたち6人だけでなく105人全部を調べたはずだ。権力が自分の研究をチェックしているとなると、今後研究者は、政府に危ないと思われる論文は書かない、研究はしない行動をとりかねない。ここでいう自由は好きなことを研究してよいということではない。たとえば核兵器の研究やクローン人間作成の研究などはダメだろう。仕組みとして、やってよいことと悪いことを自分で判断する自由、自分でコントロールする自由のことだ。
2つ目は選考権の侵害で、7条2「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」、17条「日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする」とある。法律に詳しくない人は、推薦に基づいてだから、違う人を任命してもよいのではないかと思う人もいる。それは逆でやってはいけないという条文なのだ。たとえば憲法6条「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する」とあるが、天皇が「菅は総理の器ではない」と、別の人を総理に任命できるかというと、それはやってはいけないという意味だ。また80条に「下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する」とあるが、総理が別の人を裁判官にすることはできない。法律で「に基づき任命する」という条文は、推薦した組織が選考の全責任をもつということだ。
逆に総理が罷免することもできない。学術会議法25条「内閣総理大臣は、会員から病気その他やむを得ない事由による辞職の申出があつたときは、日本学術会議の同意を得て、その辞職を承認することができる」、26条「内閣総理大臣は、会員に会員として不適当な行為があるときは、日本学術会議の申出に基づき、当該会員を退職させることができる」とあるとおりだ。会員に問題行動や欠格事由があった場合は内閣でなく学術会議の側がはずす、あるいは罷免する手続きを取る。これが独立性の組織的な保障になる。
3つ目は手続き上の違法だ。首相は10月の記者会見で「今回の任命の決定にあたって学術会議から提出された推薦名簿を見ていない」と明言した。経歴も業績も見ないでこの人はダメと決めるのは、いくらなんでも形式的な要件を満たしていない。必要書類を見ず権力行使したとヌケヌケというようでは、法の仕組みの前提が失われている。無効な判断なので振り出しに戻る。
国会が始まり、首相が「推薦に従わなくてもよい」根拠としたのが2018年11月13日付け内閣府内部文書の存在で、法制局の了解も得たと説明し出した。この文書の問題の部分は2つに分かれる。まず初めの部分の理屈は、学術会議が内閣総理大臣の所轄の下の国の行政機関であるから、人事を通じて一定の監督権を行使することができる、「所轄しているから監督できる」というものだ。しかし所轄という言葉を考えると、これから確定申告の時期になるので「所轄の税務署に行って申告してください」といわれるが、所轄というのは事務を担当しているというだけで人事監督権が生じることには法制度上ならない。これに対し「統轄」なら上下関係を示す。この学術会議は2004年の改正まで所轄大臣は総理でなく総務大臣だった。世話係をどこの役所がやるかというだけで、所轄しているから人事監督権があることにはならない。
また憲法65条「行政権は、内閣に属する」、72条「内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する」も根拠にするが、これは、行政は内閣が責任者となって行うというもので、人事監督権が憲法から直接出てくるものではない。必ず法律で具体化されて出てくる。憲法から人事権監督権が出てくるというのは法律論としてまったく成り立たない。
さらに83年の学術会議法改正の際の政府見解のなかで、総理の権限は「予算、事務職員の人事及び庁舎管理、会員・委員の海外派遣命令等」と説明している。つまり人事監督権は事務職員に限られるといっている。
後半の部分では、憲法15条「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」を使い、総理は国民から選任・罷免権を預かっている任命権者だから自分に権限があるという。しかし憲法から人事権が直接出てくるわけではないし、この15条を具体化したのが学術会議法であり、会員の選考・罷免は学術会議に任せる、総理には任せないということになっている。
法律論では説明できないということで、菅首相は臨時国会の答弁のなかで「総合的・俯瞰的活動の確保」「多様性の確保」「前例を踏襲すべきではない」「今回は事前調整がなかったから」などと説明した。
これらに対しても、岡田さんはひとつずつ論駁していった。たとえば「総合的・俯瞰的」という言葉はもともと2003年の総合科学技術会議の「日本学術会議の在り方について」の意見具申で出てきたもので、「総合的」は自然科学だけでなく人文・社会科学も含めた視点という意味、「俯瞰的」はタコツボにこもるのでなく鳥のように見下ろす観点という意味で使われている。そもそも会員選考の基準ではなく、学術会議の活動の方向性を示すものだ。人文・社会科学の6人だけを外すのは「総合的・俯瞰的」にむしろ逆行するものだ。
「今回は事前調整がなかったから」は、以前は事前調整していたという誤解が一部にあるが、そうではない。名簿自体は105人で幹事会と総会で決定した。官邸からつっつかれたので、当時の大西会長が、当初110人だったがこういう考え方で105人にしたと説明に行ったことをいっているようだ。それを今回は学術会議が約束を破り、105人しか出してこなかったというのは、完全にフェイクだ。学術会議が事前調整をして人を入れ替えるようなことは、これまで一度もやったことがない。
なお関心のある方は、都教委包囲・首都圏ネットのこのサイトに講演全体の紹介があるのでご覧いただきたい。
■現場からの報告
●都立高校教員
3学期の学校の状況を報告する。
週3回朝の打ち合わせがあり、濃厚接触の生徒の情報が報告される。感染者が出たときは、深夜に緊急連絡が入り、翌日臨時休校にして教職員が全校の消毒作業を行った。
1月に緊急事態宣言が出て、分散登校、時差通学になり部活は中止になった。少人数での話し合いもしないことになり、調理実習と体育の球技もできなくなった。
昼食は、自分の席で前を向き、無言で食べることになっているが、1月12日からさらに昼食指導として、全教室に教員が配置されることになった。黙って食べる昼食の監視はかなり苦痛だ。生徒は「こんな悲しい昼食はないよ」と嘆いている。
1月の推薦入試のとき、教員はマスクの上にフェイスシールド着用だった。濃厚接触者の受験生が何人かいたが、対応教員はものものしい防護服着用で異様な光景だった。
2020年は生徒にとって「失われた1年」だった。行事はひとつもなく、かけがえのない高校生活の思い出がなにひとつない。わたしは文化祭担当だった。みんなで協力し何かつくりあげたいという生徒の願いがあったが、他の教員はまったく受け入れなかった。
卒業式でもっとも重要な送辞・答辞はたった3分なのに、君が代はきちんとやるとは何かと思う。
今年も再任用打切りの事前通告を受けた。この問題は、5次訴訟で訴えるつもりだ。
●特別支援学校・田中聡史さんの報告もお聞きしたが、昨年9月の集会報告とかなり重複するので、それ以降のことを紹介する。
12月の学習発表会は舞台発表はなく、図工美術の作品を廊下の掲示板に展示するだけだった。感染防止のため6日間に分散し授業参観に来た保護者が鑑賞し、ユーチューブで展示を配信するだけだったが、これが唯一の大きな行事だった。保護者会で「学校が休校にならないだけでもありがたい」との声があった。
12月25日終業式のあと、校長室に呼び出された。過去の不起立の事情聴取の打診かと思ったら、都教委人事部かと思われる男性が2人いて戒告処分を発令した。2019年の4次訴訟最高裁決定で減給処分が取り消されたことに対するいわゆる「再処分」だった。なんの弁明もさせなかったので、通知書受取確認の署名は拒否した。不当処分撤回を求め、5次訴訟の準備中だ。
今年の卒業式の式次第にも国歌斉唱がある。参列者は歌わないが起立命令は出る。校歌や卒業の歌もないのに、君が代だけは残す。いったい誰のための卒業式なのだろうか。
国際人権保障ベースで考えよう セアート勧告
アイム'89・東京教育労働者組合・関誠さん
1966年10月ユネスコ総会で「教員の地位に関する勧告」が日本も含め全会一致で採択された。この勧告が各国で適用・実現しているかチェックする組織がセアート(CEART ILO/ユネスコ教職員勧告適用合同専門家委員会)である。日本人では2009年に勝野正章・東大教授が委員に選出された。
このセアートに2014年8月アイム'89が「教職員は卒入学式で『日の丸・君が代』への敬愛行為を強制され、思想良心の自由を侵害されている」ことなど「教員の地位に関する勧告」を日本政府が遵守していないので是正勧告を求めた。
2015年3月ジュネーブやパリを訪問・説明した結果、2018年10月セアート勧告が採択された。内容は「愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設ける。(中略)規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする」など6点である。この勧告を19年3-4月にILOおよびユネスコが承認した。
そこで19年4月記者会見を開催し朝日、IWJなどで報道され、9月に文科省、20年1月に都教委と交渉した。しかし文科省は、勧告に法的拘束力はないし、日本の国内状況を斟酌せずなされた勧告だと主張する。また日本政府宛といっても結局東京都や大阪のことだろうという。それなら東京や大阪に情報提供くらいはしてほしいというと、珍しく対応してくれた。
しかし都教委は広聴課が対応するだけで当該課は出てこない。20年3月市民会議を設立し、いっしょに交渉をしたが進展しない。今後も、アセート勧告を日本社会に根付かせ広め生かしていきたい。
その他、オリンピック憲章の精神を守らない2020東京オリパラ組織委員会の森会長発言批判、都教委が新型コロナ医療従事者宛に都内の小中学生に「感謝の手紙」を書かせようとした問題、天皇退位の際、八王子で子どもたちを動員した問題への抗議、1年延長になったオリパラ観戦への学校連携中止を求める運動など、多方面から報告と問題提起があった。
会場からの提起ということで、人権条約に反する人権侵害を受けた人が国際機関に直接救済を申し立てる個人通報制度を実現させるため国会の承認と内閣の批准を求める運動、解雇された教諭からのアピールもあり、盛りだくさんな集会だった。
元教諭のアピールを少し紹介する。
2018年7月小学校養護教諭の職を解雇された。指導力不足と認定され1年間研修センターで研修を受けたが、成果が上がらず教員として不適格として免職にされた。指導力不足研修は研修という名前だが、学校に行くのは週1日だけで、他の日は指導主事の監視のもと、首切りの材料を探されており、研修とはいえない。解雇されると教員免許をはく奪されるので、自主退職する人が多い。生活にも困っているが、黙っていられないので裁判を起こし2年になる。次回裁判は4月13日11時東京地裁611法廷なので、ぜひ支援をお願いしたい。
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。
この日の集会のメインは岡田正則・早大教授の日本学術会議会員任命拒否問題に関する講演だった。この問題は、昨年12月に一度取り上げたことと、わたしは緊急事態宣言再発令下の学校の様子に強く関心があるので、そちらを主として報告し、岡田教授の講演の紹介はごく一部に留める。
なお岡田教授は、東京「君が代」裁判で地裁や高裁に意見書を提出したり、セアート市民会議(後述)の呼びかけ人の一人で昨年3月1日の発足集会のシンポジウム「それでもまだ歌わせますか? 教育の中の市民的不服従」のパネリストも務められた。
学術会議会員任命拒否問題と学問・教育の自由
早稲田大学法科大学院教授 岡田正則さん
岡田教授は、2011年から約2000人いる学術会議連携会員になり、原発避難者の権利保障、生活を支える法整備の提案をしてきた。昨年秋、3年に一度の会員入れ換えの際、推薦されたが、菅政権に任命拒否された6人の1人、つまり当事者である。
この日の講演は、「1 はじめに」(日本学術会議の発足から3回の声明、会員選出方法の3回の変更などの経緯と学術会議の職務と役割)、「2 任命拒否の違憲・違法性」「3 任命拒否のねらい」「4 学問・教育の自由」「5 問題解決に向けて」の5つのパートから成る。そのうち「2
任命拒否の違憲・違法性」の一部を紹介する。
任命拒否の違法性は3点に整理できる。まず学術会議の独立性を侵害し、日本学術会議法1-3条に違反する。
1条「この法律により日本学術会議を設立し」、3条「日本学術会議は、独立して左の職務を行う」とあり、学術会議は政府から独立した機関で、政府活動をチェックし意見をいう役割を与えられた団体だ。2条「日本学術会議は(略)科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させる」とあり、日本の科学技術の発展につながり、それを支える機関である。この法律には、前文があり「日本学術会議は(略)科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命」とする。
それは憲法23条「学問の自由は、これを保障する」も破壊することになり、違憲だ。今回の任命拒否で、内閣官房はわたしたち6人だけでなく105人全部を調べたはずだ。権力が自分の研究をチェックしているとなると、今後研究者は、政府に危ないと思われる論文は書かない、研究はしない行動をとりかねない。ここでいう自由は好きなことを研究してよいということではない。たとえば核兵器の研究やクローン人間作成の研究などはダメだろう。仕組みとして、やってよいことと悪いことを自分で判断する自由、自分でコントロールする自由のことだ。
2つ目は選考権の侵害で、7条2「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」、17条「日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする」とある。法律に詳しくない人は、推薦に基づいてだから、違う人を任命してもよいのではないかと思う人もいる。それは逆でやってはいけないという条文なのだ。たとえば憲法6条「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する」とあるが、天皇が「菅は総理の器ではない」と、別の人を総理に任命できるかというと、それはやってはいけないという意味だ。また80条に「下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する」とあるが、総理が別の人を裁判官にすることはできない。法律で「に基づき任命する」という条文は、推薦した組織が選考の全責任をもつということだ。
逆に総理が罷免することもできない。学術会議法25条「内閣総理大臣は、会員から病気その他やむを得ない事由による辞職の申出があつたときは、日本学術会議の同意を得て、その辞職を承認することができる」、26条「内閣総理大臣は、会員に会員として不適当な行為があるときは、日本学術会議の申出に基づき、当該会員を退職させることができる」とあるとおりだ。会員に問題行動や欠格事由があった場合は内閣でなく学術会議の側がはずす、あるいは罷免する手続きを取る。これが独立性の組織的な保障になる。
3つ目は手続き上の違法だ。首相は10月の記者会見で「今回の任命の決定にあたって学術会議から提出された推薦名簿を見ていない」と明言した。経歴も業績も見ないでこの人はダメと決めるのは、いくらなんでも形式的な要件を満たしていない。必要書類を見ず権力行使したとヌケヌケというようでは、法の仕組みの前提が失われている。無効な判断なので振り出しに戻る。
国会が始まり、首相が「推薦に従わなくてもよい」根拠としたのが2018年11月13日付け内閣府内部文書の存在で、法制局の了解も得たと説明し出した。この文書の問題の部分は2つに分かれる。まず初めの部分の理屈は、学術会議が内閣総理大臣の所轄の下の国の行政機関であるから、人事を通じて一定の監督権を行使することができる、「所轄しているから監督できる」というものだ。しかし所轄という言葉を考えると、これから確定申告の時期になるので「所轄の税務署に行って申告してください」といわれるが、所轄というのは事務を担当しているというだけで人事監督権が生じることには法制度上ならない。これに対し「統轄」なら上下関係を示す。この学術会議は2004年の改正まで所轄大臣は総理でなく総務大臣だった。世話係をどこの役所がやるかというだけで、所轄しているから人事監督権があることにはならない。
また憲法65条「行政権は、内閣に属する」、72条「内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する」も根拠にするが、これは、行政は内閣が責任者となって行うというもので、人事監督権が憲法から直接出てくるものではない。必ず法律で具体化されて出てくる。憲法から人事権監督権が出てくるというのは法律論としてまったく成り立たない。
さらに83年の学術会議法改正の際の政府見解のなかで、総理の権限は「予算、事務職員の人事及び庁舎管理、会員・委員の海外派遣命令等」と説明している。つまり人事監督権は事務職員に限られるといっている。
後半の部分では、憲法15条「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」を使い、総理は国民から選任・罷免権を預かっている任命権者だから自分に権限があるという。しかし憲法から人事権が直接出てくるわけではないし、この15条を具体化したのが学術会議法であり、会員の選考・罷免は学術会議に任せる、総理には任せないということになっている。
法律論では説明できないということで、菅首相は臨時国会の答弁のなかで「総合的・俯瞰的活動の確保」「多様性の確保」「前例を踏襲すべきではない」「今回は事前調整がなかったから」などと説明した。
これらに対しても、岡田さんはひとつずつ論駁していった。たとえば「総合的・俯瞰的」という言葉はもともと2003年の総合科学技術会議の「日本学術会議の在り方について」の意見具申で出てきたもので、「総合的」は自然科学だけでなく人文・社会科学も含めた視点という意味、「俯瞰的」はタコツボにこもるのでなく鳥のように見下ろす観点という意味で使われている。そもそも会員選考の基準ではなく、学術会議の活動の方向性を示すものだ。人文・社会科学の6人だけを外すのは「総合的・俯瞰的」にむしろ逆行するものだ。
「今回は事前調整がなかったから」は、以前は事前調整していたという誤解が一部にあるが、そうではない。名簿自体は105人で幹事会と総会で決定した。官邸からつっつかれたので、当時の大西会長が、当初110人だったがこういう考え方で105人にしたと説明に行ったことをいっているようだ。それを今回は学術会議が約束を破り、105人しか出してこなかったというのは、完全にフェイクだ。学術会議が事前調整をして人を入れ替えるようなことは、これまで一度もやったことがない。
なお関心のある方は、都教委包囲・首都圏ネットのこのサイトに講演全体の紹介があるのでご覧いただきたい。
■現場からの報告
●都立高校教員
3学期の学校の状況を報告する。
週3回朝の打ち合わせがあり、濃厚接触の生徒の情報が報告される。感染者が出たときは、深夜に緊急連絡が入り、翌日臨時休校にして教職員が全校の消毒作業を行った。
1月に緊急事態宣言が出て、分散登校、時差通学になり部活は中止になった。少人数での話し合いもしないことになり、調理実習と体育の球技もできなくなった。
昼食は、自分の席で前を向き、無言で食べることになっているが、1月12日からさらに昼食指導として、全教室に教員が配置されることになった。黙って食べる昼食の監視はかなり苦痛だ。生徒は「こんな悲しい昼食はないよ」と嘆いている。
1月の推薦入試のとき、教員はマスクの上にフェイスシールド着用だった。濃厚接触者の受験生が何人かいたが、対応教員はものものしい防護服着用で異様な光景だった。
2020年は生徒にとって「失われた1年」だった。行事はひとつもなく、かけがえのない高校生活の思い出がなにひとつない。わたしは文化祭担当だった。みんなで協力し何かつくりあげたいという生徒の願いがあったが、他の教員はまったく受け入れなかった。
卒業式でもっとも重要な送辞・答辞はたった3分なのに、君が代はきちんとやるとは何かと思う。
今年も再任用打切りの事前通告を受けた。この問題は、5次訴訟で訴えるつもりだ。
●特別支援学校・田中聡史さんの報告もお聞きしたが、昨年9月の集会報告とかなり重複するので、それ以降のことを紹介する。
12月の学習発表会は舞台発表はなく、図工美術の作品を廊下の掲示板に展示するだけだった。感染防止のため6日間に分散し授業参観に来た保護者が鑑賞し、ユーチューブで展示を配信するだけだったが、これが唯一の大きな行事だった。保護者会で「学校が休校にならないだけでもありがたい」との声があった。
12月25日終業式のあと、校長室に呼び出された。過去の不起立の事情聴取の打診かと思ったら、都教委人事部かと思われる男性が2人いて戒告処分を発令した。2019年の4次訴訟最高裁決定で減給処分が取り消されたことに対するいわゆる「再処分」だった。なんの弁明もさせなかったので、通知書受取確認の署名は拒否した。不当処分撤回を求め、5次訴訟の準備中だ。
今年の卒業式の式次第にも国歌斉唱がある。参列者は歌わないが起立命令は出る。校歌や卒業の歌もないのに、君が代だけは残す。いったい誰のための卒業式なのだろうか。
国際人権保障ベースで考えよう セアート勧告
アイム'89・東京教育労働者組合・関誠さん
1966年10月ユネスコ総会で「教員の地位に関する勧告」が日本も含め全会一致で採択された。この勧告が各国で適用・実現しているかチェックする組織がセアート(CEART ILO/ユネスコ教職員勧告適用合同専門家委員会)である。日本人では2009年に勝野正章・東大教授が委員に選出された。
このセアートに2014年8月アイム'89が「教職員は卒入学式で『日の丸・君が代』への敬愛行為を強制され、思想良心の自由を侵害されている」ことなど「教員の地位に関する勧告」を日本政府が遵守していないので是正勧告を求めた。
2015年3月ジュネーブやパリを訪問・説明した結果、2018年10月セアート勧告が採択された。内容は「愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設ける。(中略)規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする」など6点である。この勧告を19年3-4月にILOおよびユネスコが承認した。
そこで19年4月記者会見を開催し朝日、IWJなどで報道され、9月に文科省、20年1月に都教委と交渉した。しかし文科省は、勧告に法的拘束力はないし、日本の国内状況を斟酌せずなされた勧告だと主張する。また日本政府宛といっても結局東京都や大阪のことだろうという。それなら東京や大阪に情報提供くらいはしてほしいというと、珍しく対応してくれた。
しかし都教委は広聴課が対応するだけで当該課は出てこない。20年3月市民会議を設立し、いっしょに交渉をしたが進展しない。今後も、アセート勧告を日本社会に根付かせ広め生かしていきたい。
その他、オリンピック憲章の精神を守らない2020東京オリパラ組織委員会の森会長発言批判、都教委が新型コロナ医療従事者宛に都内の小中学生に「感謝の手紙」を書かせようとした問題、天皇退位の際、八王子で子どもたちを動員した問題への抗議、1年延長になったオリパラ観戦への学校連携中止を求める運動など、多方面から報告と問題提起があった。
会場からの提起ということで、人権条約に反する人権侵害を受けた人が国際機関に直接救済を申し立てる個人通報制度を実現させるため国会の承認と内閣の批准を求める運動、解雇された教諭からのアピールもあり、盛りだくさんな集会だった。
元教諭のアピールを少し紹介する。
2018年7月小学校養護教諭の職を解雇された。指導力不足と認定され1年間研修センターで研修を受けたが、成果が上がらず教員として不適格として免職にされた。指導力不足研修は研修という名前だが、学校に行くのは週1日だけで、他の日は指導主事の監視のもと、首切りの材料を探されており、研修とはいえない。解雇されると教員免許をはく奪されるので、自主退職する人が多い。生活にも困っているが、黙っていられないので裁判を起こし2年になる。次回裁判は4月13日11時東京地裁611法廷なので、ぜひ支援をお願いしたい。
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。