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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

戦争の悲惨さを語り継ぐ意義

2008年07月22日 | 集会報告
7月19日(土曜)午後、千駄ヶ谷区民会館で開催された盧溝橋事件(7.7)記念集会に参加した。この集会は不戦兵士・市民の会、日中友好元軍人の会、撫順の奇蹟を受け継ぐ会、関東日中平和友好会の4団体の共催によるものだ。
不戦兵士・市民の会は1988年1月12人のメンバーで始まった。そのなかでいま生きているのは1人だけとなった。悲惨な戦争の語り部となり、憲法9条を守る活動をしている。
日中友好元軍人の会は1961年8月15日に職業軍人主体で結成された。社会主義戦争も含めてあらゆる戦争を否定する会である。
撫順の奇蹟を受け継ぐ会は、1957年に結成された中国帰還者連絡会(中帰連)が高齢により2002年に解散したためその事業を継承し、2002年4月に発足した。撫順戦犯管理所、太原戦犯管理所で人間性を取り戻した中帰連の元兵士たちは自分たちの加害行為を証言し続けた。その精神を受け継いだこの会は、埼玉に開設した記念館を運営し、全国に11支部をもつ。
関東日中平和友好会は、敗戦当時中国に残りその後帰国した人が1977年に結成した会で、関東以外にも関西、九州など全国に6か所ある。日中友好を目的にし、毎年中国旅行を実施している。
この4団体が持ち回りで集会を開催しており、今回は不戦兵士・市民の会の担当だった。
講演 戦場・戦争体験の継承と憲法9条の理念
           小沢隆一さん(東京慈恵会医科大学教授・憲法学、九条の会事務局)

「歴史は、短期的には勝者によって作られるかも知れないが、歴史的な認識は敗者から生じる」。ラインハルト・コゼレックのこの言葉は、ヴォルフガング・シヴェルブシュの「敗北の文化――敗戦トラウマ・回復・再生」(福本義憲ほか訳、法政大学出版局 2007年8月)に引用されている。なぜ負けたのか、真剣に反省し教訓を考えるのは勝者ではなく敗者であることは経験的に理解しやすい。南北戦争の敗者・南軍、普仏戦争の敗者・フランス、第一次大戦の敗者・ドイツの国民は軍事的敗北に対し心理的・文化的にどう反応したのか、敗北の「教訓」を紹介する。
南北戦争は、機関銃など兵器の殺傷能力が急速に高まったこと、それまで農民や労働者は動員されなかったが南部では根こそぎ兵士として動員されたこと、アトランタの町を焼き尽くしたように殲滅作戦が行われたこと、この3点からその後の総力戦の先駆けといえる。南軍の教訓は、誇り高い騎士的な「南部」は卑劣で物質的な「北部」に敗北したというものだった。日本は物量に優る米英に敗れたという言い方と似ている。そして人種差別問題は1960代まで持ち越され、KKKによる非合法な暴力事件が横行した。
普仏戦争で敗れたフランスはアルザス・ロレーヌをドイツに割譲した。対独報復とアルザス・ロレーヌ奪還はフランスの政治的宗教にまでなった。そして強い軍隊をつくることを目標にし、規律を重視するプロイセン型教育を取り入れた。クーベルタンが復興した近代オリンピックも、スポーツで正々堂々と敵と戦い打ち負かすことが目標だった。普仏戦争に敗れた教訓は「次は必ず勝つこと」だった。
第一次大戦は、1918年キールでの水兵の反乱をきっかけにヴィルヘルム2世がオランダに亡命し終了した。ドイツの認識は「戦場では不敗だったが、背後から匕首で一突きされ敗れた」というものだった。そこで社会主義者やユダヤ人など「内部の敵」への警戒を強め、国民をマインドコントロールするためゲッペルスの大衆プロパガンダが生まれた。また勝者アメリカに学べと、合理的生産技術をナチスが徹底的に実践した結果がガス室での効率的大量虐殺だった。
第二次世界大戦の敗者である日本の「教訓」はなんだったのだろうか。まず、つらく苦しい暮らしはもういやだ、平和と暮らしは不可分だということ、次に政治や社会のあり方を考え始め「だまされた」という気持ちから自由や民主主義を獲得したこと、すなわち自由や民主主義と平和との一体性を学んだこと、さらに「もう二度と政府に戦争をさせない」という不戦の誓い、すなわち憲法9条である。
日本の「経験―記憶」は他国の第二次大戦の「経験―記憶」とどう違うのだろうか。アメリカ本土は空襲にも会わず国民の生活が脅かされることがなかった。そこでファシズム国家を駆逐した「正義」の戦争だったと位置づけ、原爆投下は戦争を早く終結させる有効な手段だったとした。ドイツは他国からホロコーストを批判され非ナ化を進めたが、戦後分割占領され東西冷戦の最前線となり不徹底に終わった。戦争の総括が始まったのは、冷戦が終わり統一ドイツとなった20年前に過ぎない。この点、日本で慰安婦問題が浮上したのが20年前であることを思い起こさせる。
中国は、抗日運動から内戦を経て建国した。そこでいきなり軍隊を捨てろといっても無理がある。戦争のタネを平和的交渉によりなくしていくことが重要だ。
朝鮮は8.15で解放されたが、朝鮮戦争で離散家族が1000万人単位で生まれ分断国家となった。
日本の「憲法9条平和主義」は、憲法で戦争を抑止するという思想である。いつか平和を実現できる。9条があるからこそそのように考えられるのだ。戦後63年、日本は直接、人を殺さずにすんだ。徴兵制がないのであえて学ばないと兵士のことがわからない。憲法9条を学ぶなかで、それを守る運動にかかわるなかで「疑似体験」することは重要である。兵士のことを知ると、今度は「知った者の責任」という感覚が生じる。悲惨さを語り継ぐこと、広島、長崎、空襲だけでなく、戦地や満州での悲惨さを記憶し、語り継ぐことが重要である。

講演後の質疑応答で、不戦兵士・市民の会の方の次の発言が強く印象に残ったので紹介する。
憲法は、苦しみ、悲しみ、怒りなど戦場での叫びからできたものだ。戦争は、国家の名による人と人の殺し合いだ。人をたくさん殺せる兵士が立派な兵士だ。初年兵教育の仕上げに中国人を刺し殺すことをやらせた。これから逃れるには、脱走するか自殺するしかなかった。しかし脱走すると家族がひどい目にあい、自殺すればひきょうものと呼ばれ、縄でぐるぐる巻きにした遺体が家族に送り返された。15年戦争は、広く、長く、深い戦争だった。一つや二つ戦争体験を聞いてもそれでわかるものではない

☆会場には意外にも、若い人が多く参加していた。聞くと東京芸術座のメンバー12人が参加していたそうだ。劇団員の方から「戦争は自分が生まれるずっと前のできごとだ。兵士は命を軽んじる訓練をさせられていた。戦争という勝負に、人を殺してまでやる価値があったのだろうか」との感想が述べられた。東京芸術座は8月に「兵士タナカ」を上演する。
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